前回の記事


勉強内容のご紹介 日本史『磐井の乱』


が好評を頂きまして、ありがとうございます。


という事で、日本史の物語シリーズ第二段をご紹介しようと思います。


前回同様、高校の教科書レベルです。


今日、ご紹介するのは『道教と和気清麻呂』前回に比べて、メジャーな話だと思います。



時は奈良時代の中期です。8世紀中ごろ。


奈良時代を一言で表すならば、政権争いの時代でした。


当時の天皇は孝謙天皇(女性)で、藤原仲麻呂という人が政権を握っていました。


この藤原仲麻呂が、孝謙天皇の次の天皇として、淳仁天皇を擁立します。


※ちなみに、この恩を受けて、淳仁天皇は藤原仲麻呂に『恵美押勝(えみのおしかつ)』という名前を授けますが、ここでは藤原仲麻呂で通します。



そんな最中、皇位を譲って上皇になった孝謙上皇が病気になります。


その時に、病気の治癒にあたったのが『道鏡』というお坊さんです。


道鏡は、出身が朝鮮半島、つまり渡来人ですね。今風にいえば韓国人。


この坊主が、孝謙上皇の病気を癒して回復させます。


すると、当然孝謙上皇は道鏡に感謝をして、道教の事を信頼します。


そして、孝謙上皇は、一度天皇を退いたにも関わらず、もう一度政治を自分で行うと言い始めて、淳仁天皇を批判し始めました。


登場人物が多くなってきたので、整理します。
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淳仁天皇 & 藤原仲麻呂

vs

孝謙上皇 & 道鏡
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という構図ですね。


さて、この道鏡というのが、今日ご紹介する危険人物です。


なんとこの道鏡、とても野心家で、自らが政権を握ろうと孝謙上皇に取り入ります。(一説には、愛人関係だったとも…)


何やら、道教が怪しい動きをしている、この動きに察知して道鏡を政権争いから除こうとしたのが、藤原仲麻呂でした。


藤原仲麻呂は、道教に対して挙兵します。


これを藤原仲麻呂の乱(別名、恵美押勝の乱)といいますが、残念ながら藤原仲麻呂は近江に敗死します。


そして、淳仁天皇は淡路に追いやられて天皇の座を奪っわれてしまうのです。


ライバルがいなくなった道教の権力欲は、さらに増大します。


孝謙上皇は、もう一度天皇になって『称徳天皇』と名乗り


(※分かりやすいため、称徳天皇で通します。)


道鏡と一緒に、政権を握りやりたい放題します。



765年には、道教に『太政大臣禅師』という称号を与えます。


太政大臣というのは、適任な人物がいた場合のみに設置される、天皇の次に偉い官位の事です。


そして、766年には、『法王』という、道教のためだけに新しく設けた地位に付けるのです。


道鏡は、こう思います。


いよいよ自分の権力は頂点に達してきた。


本来は天皇は世襲だが、関係ない。自分が天皇になってやろう。


なんと、道教は皇室の血筋が入っていないにも関わらず(というか朝鮮人)、天皇になろうと試みるのです。


しかも、道教とべったりの孝謙上皇には、当時子供がいませんでした。そのため、道教に皇位を譲ろうとまで思っています。


さあチャンス!何とかして天皇になってやる。


しかし、何か口実が必要だ。


そうだ、神から神託があったことにしてしまえばよい。


という事で、道教は作戦を立てました。


道鏡はこう言います。


『大分県にある、由緒正しい宇佐八幡宮という神社がある!


この宇佐八幡宮の神様から、私にお告げが来て、皇位を譲ると言っている。


誰か宇佐八幡宮まで言って、その神託をもらって来い』


こうして、道教は皇位に王手をかけました。


何とかしなければ、神聖な皇位が欲の深い外国人に取られてしまう。


そこで、反旗を翻したのが『和気清麻呂』でした。


和気清麻呂は『私が行きます!』と言って、遠路はるばる大分まで、神託をもらいに行きます。


そして『宇佐八幡宮にはそのような神託はありませんでした』


と、道教に皇位が移らないように、自分の首と一族の首をかけて、道鏡に皇位が移らないように抵抗したのです。



これが、769年『宇佐八幡宮神託事件』です。


結局、和気清麻呂は道教の怒りを買い、罰として大隅国(鹿児島県東部)に流されます。


しかし、この事件がきっかけで道教への皇位継承は、一先ずなくなりました。


そして、道鏡の後ろ盾だった孝謙上皇が翌年に亡くなります。


こうして、道鏡は、結局薬師寺に追放され、一件落着となりました。


まさか、外国人に皇位が移るという危機があるなんて、かなり驚きでした。


日本の歴史は世界最長ですから、こういう数々のドラマを乗り越えて来ているのだと感心します。

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こんにちは


このシリーズも恒例になってきました。


今日のテーマは、リーダーとしての側面です。



⑦背中を見せる


現在の教育現場に最も足りない点は、ここだと思っています。



先生達は、生徒たちに勉強をしろと指示します。


しかし、かく言う先生たちは、日頃どれだけ勉強しているんだ!と突っ込みを入れたくなるものです。



私も教員をしていましたから、学校の先生が忙しいのは分かります。


でも、一方で生徒たちも忙しいんです。

その忙しい中を隙間時間を見つけて、勉強しているのが受験生ですよ。


学生の忙しいと、先生の忙しいとは、異質なものであることはわかっています。


でも、私からしてみれば、大差ないと思いますね。


さて、では実際の教育現場ではどのようなことが行われているか。


生徒たちが、休憩時間に談笑していると注意するクセに、先生たちは職員室で談笑している。


とか、


家に帰ったら○○時間くらい勉強できるだろう?と、隙間時間の使い方を強要するクセに、


自分は家に帰ったらダラダラと過ごしている


とか。


全ての先生がそうとは全く思いませんが、しかしこのような事は往々にしてどこの教育現場でも見受けられるのではないでしょうか。




別に、生徒と同じように、国語や数学を勉強しなくても良いとは思います。


先生としての授業技術の向上でも、世の中の情勢をキャッチする事でも、なんでも良いと思います。


先生たちのレベルアップがあってこそ、生徒たちのレベルアップがあるのではないでしょうか?


私は教育現場にいて、自分の無力さをヒシヒシと感じました。


だから、もう一度原点に立ち返って、勉強しなおそうと思った次第です。



かつて、二宮尊徳という偉人がいました。


学校においてある(最近はみなくなりましたか?)二宮金次郎像のモデルです。


この方は、江戸時代の村の復興をした人物です。


作物も取れず、村人たちもやる気がない、そんなダメダメな村を、生涯かけて600以上も復興させたのが、二宮尊徳でした。



最近で言えば、いくらゆるキャラを作っても、なかなか町おこしに繋がらなくて悩んでいる地域があるのを考えると、どれだけ二宮尊徳がすごいかわかるでしょう。



その二宮尊徳の手法が、まさにリーダーである自分が背中を見せること、つまり率先垂範でした。



赤の他人が住む村であろうが、その復興のためならば、まず自分が始めに何でもやります。


誰よりも朝早く起きて、誰よりも遅くまで仕事をして、誰よりも質素に生活する。


資金の投資が必要ならば、まず自分の資材を全部売ってしまう。



そのような姿を見ている農民たちは、『そこまでするならば自分たちも』と思い、村の復興に手を貸すようになるのです。


そして、尊徳に敵対していた人間も自然と味方するようになり、尊徳に恩を感じていた人間は弟子となり復興を手伝うようになるのでした。



指導者が、自ら背中を見せる。


これは、とても大切な事だと思っています。


それが私にとって、東大受験だったわけです。


普通の受験生よりも、厳しい条件ならば、なお良し!という事で、この一年間は大勝負をします。

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このシリーズも長くなってきました。


が、もう少しお付き合い願います。



今日は、半分真面目、半分不真面目な内容です。


箸休めみたいな記事です。


⑥言いたいことが言える



よく、学校の勉強は意味がないって言われます。


将来、数学なんて使わないとか、日本の英語教育を受けても会話が出来るようにならないとか…




しかも、どうせ忘れてしまうし、大人になって学校で習った事をちゃんと覚えている人はとても少ないように思います。



さて、この『学校の勉強は不要論』に対しての私の意見は、賛成も反対もしていません。


というか、全て賛成とか、全て反対とか、そういった二元論で片づけられるような単純な問題ではないと思うんですよね。




確かに、日常生活で微積分を使う機会はないですし、私も英会話は大して出来ません。




公民の分野なんか、ほとんど覚えていませんし。



しかしですよ、だからこそ、東京大学に理系でも文系でも合格した後ならば・・・



『日本の学校の勉強は意味がない!!』


という発言に説得力が出ると思います。


何せ、最高峰の大学にほぼあらゆる科目を利用して合格しているのですから、もうこの領域までいけば専門家みたいなものです。



ただ一方で、私の場合は学校の勉強を通して良かったこともたくさんあります。


私は数学や理科、最近であれば日本史をたくさん勉強している中で、



人生の幅が広がったり


深い考え方が出来るようになったり


広い教養が身に付いたり



むしろ、『意味がない論』よりも『役に立っている論』の方が優勢になるくらい、勉強していて良かったと思う事ばかりです。





だからこそ、学校の勉強なんて役に立たない・・・と言っている人に対して



『じゃあ、役に立つほど徹底的に勉強したのか!!』



と言ってやりたいと思っています。






この、『学校の勉強のここがダメだ』も、『学校の勉強も役に立つ』という意見も、


東大に文理両方で合格した人に言われたら、どうでしょう?


正直な所、ぐうの音もでないですよね。


私は、性格が意地悪な所があるので(笑)、言いたいことがあるなら発言に重みを持たせようと思いました。



現在の教育には、たくさんの問題点があります。私も、その一部を何とかより良く変えられないものかと思っています。



そのためには、発言力や説得力を身に付けないといけません。



その一歩目として、東大に文理両方で合格するというチャレンジを、(この点においては遊び半分で)しています。

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最近、このブログでお知らせしている通り、相変わらず受験勉強をしています。


特に、4~5月は日本史を集中的に勉強しており、普通の受験生の5倍以上のスピードで進めています。


約1か月で、古代から江戸時代まで進んでしまいました笑


すると、自分がいかに何も知らなかったか分かりますね。


思った以上に勉強になっていて、楽しみながら進めています。



という事で、今後はたまに、勉強した内容についてご紹介しようと思います。


あくまで、高校日本史の範囲の知識をまとめて、しかも情報をわざと削って分かりやすくしているので、専門的な突っこみはご容赦願います。


今回は、527年に起きた『磐井の乱』(いわいのらん)について。


私が日本史を勉強し始めて、最初に出会った売国奴です。


まず、この問題を理解するには、二つの事を押さえましょう。



①朝鮮半島の情勢


当時、朝鮮半島には、3つの国がありました。高句麗、新羅、百済です。


このうち、百済は日本と友好国でした。


その百済が新羅に攻め込まれそうになっています。


そこで、百済から日本に助けてくれと、救援の要請が来ました。


余談ですが、集団的自衛権ですね!


②継体天皇即位


ビックリするかもしれませんが、第24代の武烈天皇を境に、一度皇統が断絶しています。


厳密に定義すると断絶なのかどうなのか分かりませんが、かな~り遠い血筋から半ば無理矢理血の繋がっている人を選んできて天皇にしました。


それが、第25代の継体天皇です。


ちなみに、この継体天皇からは、現在の今上陛下までは繋がっています。




さて、この二つの出来事を踏まえて、話を先に進めましょう。


百済から助けてくれと言われた継体天皇は、百済に軍隊を送る事にします。


これで、構図は


---------
日本と百済
vs
新羅
---------


となりますよね。



助けるのが朝鮮半島ですから、もちろん九州から軍隊を出さなければなりません。


そこで、九州北部にあった筑紫の国の国造(くにのみやつこ)、つまり九州北部の県知事のような人間に、百済に軍隊を派遣するようにお願いしました。


この県知事をしていたのが、磐井(いわい)という人です。



しかし磐井は、なんと継体天皇のお願いを断ります。


『どこの馬の骨だかわからない人間が天皇になったからって、命令を聞く筋合いはない。それなら俺が天皇だとしてもよいではないか!』


そして、なんと磐井は新羅と手を結んで、日本に反逆しようとします。


もう一度言いますが、日本は百済と手を結んで、新羅と戦おうとしています。


しかし、磐井は敵である新羅と手を結んで、ヤマト政権に反逆しようとしているのです。


今に置き換えれば、中国と手を結んで日本政府を相手に戦争を起こすようなものです。


これぞまさに売国奴ですよね。


こうして、


---------
日本と百済
vs
新羅と磐井
---------


という構図になってしまいます。



このままでは危ない!という事で、継体天皇はいち早く磐井を潰すことにします。


大連(おおむらじ)と言う幹部をしていた物部麁鹿火(もののべのあらかひ)に、磐井を倒すように命じます。


これが今日ご紹介する『磐井の乱』です。



結果は、無事に磐井は倒され、日本を売る計画も破綻に終わりました。


このような出来事が、古代からもあるんですね。



このように、また何か気が向いたらご紹介していこうと思います。

こんにちは。


それでは、前回の続きとして、東大受験による、ビジョンやメリットについてです。




⑤指導力の向上



私は、『受験勉強=勉強量』とは思っていません。



勉強量は大切ですが、ただ闇雲に勉強量を増やしてもダメだと思っています。



十分な勉強量を確保する前提で、成績を上げるコツというのが、絶対に存在します。






例えば一つご紹介しましょう。


私が思うに、成績を上げるために絶対に必要なモノがあります。


それは『基準』 の高さです。


定期テストを思い出して下さい。


80点の生徒と50点の生徒の何が違うでしょう。



例えば、社会の暗記物で言えば、高得点を取るためには、教科書の本文だけじゃなくて、欄外の細かい部分まで覚えなければならないでしょう。


時には、資料集などの別冊を引っ張り出してきて、読み込まなければなりません。


そうして、万全の態勢を整えた生徒が90点取ったとします。



それを50点しか取っていない別の生徒が見て『すごいな!』と言いつつも、心の中でこう思います。


(そんな細かい所を覚える気にはなれないよ…)


実は、この心の声が全てを決めているのです。



なぜ50点と90点の違いが生まれるのか!それは、心の中の基準です。


50点の子は『50点取れるくらいの勉強をしたら、そこで勉強をやめる』から50点なのです。


細かい所まで覚えれば高得点になると分かっているのに、『これくらいでいいや』とやめてしまう。



対して、90点の子は『90点取れるくらいの勉強をしないと満足しない』のです。


教科書の、欄外の細かいところまで覚えても、「まだ足りない」と資料集を引っ張り出してきて、また細かい所まで覚えこんでいく。



このように、勉強する以前に、心の中の基準の高さで勝負が決まっているのです。



50点の基準の子が、いくら勉強量を増やしても、50点にしかなりません。


資料集を開いて見ようとは思わないのです。


だから、勉強量だけでは語れないものがあるんですね。




今、一つ例を出しましたが、勉強量以外にも大切な要素がたくさんあります。



傍から見たら、どの受験生も、ただ単に問題集を解いているように見えるかもしれませんが、


実は、目に見えない部分で、大切な事がたくさんあります。




こだわり、生活スタイル、予習復習の仕方、時間の使い方…





でも、そういうのは大人になってから気付く事って多いと思うんです。


子供の時には、健康の大切さがわからなかったけど、大人になると分かるように、




なので、もう一度受験生という環境に身を置くことにより、受験生にとって本当に大切な事を『大人になった視点』で体感する。




そして、それを今度は、私の生徒に還元していく。



これにより、指導力は確実に向上する事と思っています。





私はサラリーマンや教員の経験もありますし、成功哲学など少しは勉強した事があります。



であれば、あえて『大人』が受験勉強という一種の『お仕事』に取り組むことにより、新たな方法論が見つかるかもしれません。




実は、すでに見えてきたものもありますし、今後少しずつご披露していこうと思います。