旧安田別邸に思う

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先日、神奈川県は大磯にある、安田善次郎の旧別邸に行ってきました。


私は、安田財閥の創始者である銀行王安田善次郎を敬愛しており、大変恐縮な事ではありますが安田善次郎の生涯を60分にまとめて講義する機会を定期的に頂いております。


60分という限られた時間ですので、講義内容を考える上では様々気を使います。


つまり、情報の取捨選択は非常に大切です。


どんなに小さな情報でも講座に必要だと思えば組み込むし、どれだけ一般的には知られている情報でも講座に邪魔になれば言いません。


例えば、安田善次郎は銀行を中心に財閥を大きくしたのですが、保険業や不動産業なんかも積極的に行っていましたし、茶道や和歌、乗馬や旅行が趣味で、かなり遊びもしていたようです。


しかしこのような情報は、講座中には一切言いません。


また、安田善次郎は陰徳の精神といって、良い事をしても周囲に隠す事をモットーにしていました。


講義ではこの陰徳を全面的に押し出すのですが、実は安田善次郎が最もスゴイ部分は、陰徳ではなくて克己だと思っています。


というか、克己心がなければ陰徳を徹底出来ないのです。しかし、講座にする上では克己は言いません。



さて、そのような安田善次郎のエピソードの中で、最後まで講義に含めようかどうか迷っていたエピソードがあります。それが暗殺のシーンです。


安田善次郎は83歳の時に、暗殺によって亡くなっています。


陰徳の精神を徹底しすぎたため、新聞などで散々酷評された結果、ケチで吝嗇家(りんしょくか)として有名だった安田善次郎ですが、第一次世界大戦後には、国内の格差がかなり大きくなってきたため、資産家への嫉妬や避難が一層大きくなってしまいます。


そんな中、安田善次郎に寄付を求めて、家にまで押し寄せたある人物がいます。


朝日平吾(あさひへいご)です。


神奈川県の大磯・・・湘南、茅ケ崎、平塚や辻堂よりももっと先にある海岸沿いの町に、安田善次郎の別邸がありました。


大磯の駅から徒歩10分ほどのところにある、大きくはなくても立派な日本庭園のある別邸に足を向かわせた朝日は、今すぐに安田に会わせろと門の前で騒ぎ、それに見かねた安田善次郎は仕方なく客間に通します。


そこで、朝日が持ってきた寄付の提案を一通り聞き、若干のお金を渡して引き取ってもらおうと胸から財布を取り出そうとした瞬間、朝日は短刀を取り出して安田の胸元に刺しました。


安田善次郎は83歳ながら、まだまだ元気であり、刺された後も扉を開けて助けを呼ぼうと走りながら庭の方へ向かったそうです。


しかし、若い朝日に追いつかれ、今度は後ろからもう一突きされて、その場に倒れて息を引き取ります。

何人かが悲鳴に駆け付けたところ、朝日は今度は西洋カミソリを取り出して自分のノドを掻っ切って自決をしました。


少々、背中が寒くなる話をしましたが、この殺害現場である大磯の別邸は今は安田不動産の管理物件として存在しており、一年に一度だけ解放されて観光客でにぎわいます。


私も、数年前に講義を作成していた時からその情報を知っていたのですが、中々予定が合わず、この前ついに訪れる事が出来まして、夢が叶いました。


私は講義の直前には、安田善次郎のお墓がある有楽町線の護国寺の方を向いて手を合わせています。


時間があるときは、護国寺のお墓の前に行きます。


しかし今度からは、大磯の別邸の鮮やかに咲くツツジの美しさや、陰徳の精神を表すかのように小さく目立たないご夫婦のお墓を思い出しながら講義をすることが出来そうです。


世間にはあまり知られず、しかし100年経った今の日本にも確かに存在する安田善次郎の功績を思い浮かべながら。

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