現代私度僧事情 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

私度僧、というのは何かと言うと、昔の日本の律令制下では得度することは官許に依っていたにも関わらず、自分で勝手に僧体となり、私的に得度して修行していた人たちのことを指すのだが、さて、現代において僧籍のない人が、勝手にお坊さんの衣を着て僧侶を名乗ることは許されるだろうか。
 
ここに仏教系の新宗教があるとして、そこの教祖さんを始め、所属している宗教家は全員、既成仏教宗派の正式な僧籍を持っていないとする。その場合、そこの宗教家たちが、全員、既成宗派の僧侶と同じ衣を着て頭を丸めていたとしても、彼らは正式な意味での「僧侶」ではない。
 
また、正式な僧籍を持つお坊さんであっても、勝手に弟子や信者を得度させることはできない。日本のどの宗派であっても、宗派の許可や、宗派を通しての所定の手続きを経ない限り、得度式をしたり、僧籍を与えることはできない。
 
得度式の形式は、各宗派によって、それぞれ違うけれど、まず最初にブッダの定めた得度式の決まりがあり、そして、ほぼそれを踏襲している現在のテーラワーダ仏教の得度式や、さらにやはりブッダ以来の戒律を典拠として応用が加えられて来た中国系やチベット系の大乗仏教の得度式があり、中国仏教の伝来した日本でも、各宗派のお祖師さんからそれぞれの弟子へと法脈が繋がって、全てのお坊さんへと至っている。
 
ところで、日本で勝手に黒い衣を着て、僧体で修行している方たちに、私は何人も出会ったことがあるのだが、仮に彼らがまがい物ではない真摯な情熱を持っていたとしても、どこかに自己流独特のぎこちなさ、そしてその雰囲気を生み出す基となっている「我」が感じられたものだ。さらに言えば、自分で一所懸命に修行するためだからと言って、勝手に黒い衣を着なければならない必然性は何もないはずだ。
 
先日、既成仏教のお坊さんで単立の寺院を別に建てて、一所懸命、布教活動に邁進しようとしている方がおられて、そのお寺の職員さんが、いざとなったら、その単立寺院でお坊さんにしてもらいます、普通のお寺の修行は厳しそうだから、などと冗談めかして言っているので、その場合、仏教界では正式な「お坊さん」としては認めてもらえませんよと説明してあげた。
 
あの役行者ですら、立派な修行をして、一般の僧侶より法力や験力に優れていたにも関わらず、正式に得度はしていなかったが故に、役の優婆塞(うばそく=信士=在家仏教信者)と呼ばれていたのだから。
 
 
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