ピンさんのブータンとトルコ田舎生活日記 -6ページ目

カッパドキアへの観光客増加

今朝・9日の黒海です。


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曇り空ですが、穏やかな海に戻っています。


健康のため海岸線を約5kmほど歩きました。


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ちょうど前を50才代の夫婦が歩いていたのですぐ後ろを付いて歩いて行きましたが、1kmも歩くと100mほど離されてしまい、歩くスピードの違いを実感しました。衰えたのかな?

ご覧のように奥さんは少々太り気味でさほど早いとは思いませんでしたが、夫婦で歩きなれていたのでしょうね。



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散歩していたら、以前事故をしてエンジン部分まで壊れていた車が売られていましたが、今日通ったらその車が売れたようで、別の車が展示されていました。

トルコは自動車税が高いので値段が安ければボロ車でも需要があり、中古車屋はブランジャックだけでも10軒以上あります。

また、レンタカー屋さんも10軒以上あります。

車関連の事業はトルコでは成長産業です。




今日の新聞にカッパドキアの記事が出ていました。

トルコで一番有名な観光地はカッパドキアです。

日本人j女性が殺されたことは記憶に新しいですが、観光客は増えています。

私はまだ行ったことがないので、以下の写真はトルコ観光協会が公開している写真です。


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トルコは昨年3000万人の観光客が来ました。

日本が1000万人を目標としているとは段違いです。


その中で、イスタンブール以外ではカッパドキアがよそにない景色が楽しめると言うことで、No.1の集客を誇っています。



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上の写真の洞窟住宅やギョレメの屋外博物館や、この写真の三姉妹の岩などよそでは見られない自然が楽しめるということです。


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またこの写真のような地下都市も他所では見られません。


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また、カッパドキアの景色を空から楽しむ熱気球も有名です。


今年のカッパドキアへの観光客が300万人を超すとのことです。

昨年は233万人だったので前年比130%です。


観光産業はトルコの成長産業ですが、その外国人観光客に対し土産物が不足しており、それに対して特産物の食品での土産品作りを帰国までに提案しておこうと思っています。


珍しく日本のニュース

今朝・8日の黒海です。


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あいにくの小雨の寒い北風の朝で、久しぶりに黒海に白波が建っています。

11月と12月はこちらトルコ東北部は雨が多い時期になります。この雨が春の野菜の生育に役立つとのことです。

ここブランジャックは真冬でも5度を下回らないとのことでさほど寒くならないので助かりますが、今日のニュースではトルコ国内で雪が降り始めたとのことです。

私の住んでいるホテルや職場ではヒーターが動き始めました。



今日の新聞記事で久しぶりに日本のニュースが載っていました。


「日本で天皇陛下に手紙を出して大騒動」と題した記事でした。


記事の内容は、


新米の国会議員の山本太郎氏が福島の原発事故について手紙を天皇陛下に渡そうとタブーを犯して騒動になっている。

(その時の写真も載っていますが著作権があるので省略します。)

その園遊会のときの映像が何度もTVで流され、「失礼で不適切な行為」であると非難されています。


「天皇の神聖」と題し、その後の記事が書かれています。

第二次大戦で敗戦後、天皇陛下は国民の統合の象徴とされているが、多くの日本の保守的な人たちは天皇を「雲の上の人」と考えている。

だから天皇は政治利用してはいけないと考えています。

但し、天皇陛下は東日本大震災で被害を受けた人たちと話をしたり、手を取ってみたりしており、国民の近くにいます。但し、天皇陛下を携帯で写真を撮ることは失礼だとされています。


「天皇陛下を政治利用することは禁止されているが、「天皇陛下に真実を知ってもらいたくて園遊会にはふさわしくない失礼をしてしまった。」と山本議員は言っている。


もっと違った報道になるのかな?と思っていましたが、以外のもこんな内容でした。

タイガーウッズのドライバーショット

今朝(7日)の黒海です。


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 曇っているのと霞で水平線が見えません。

 冬の気候になりつつある感じがします。


先日お伝えしたゴルフのヨーロッパツアーの一つであるトルコ航空オープンの開催前のイベントで、タイガーウッズがイスタンブールのボスボラス大橋でドライバーを打つイベントを紹介しましたfがその写真が公開されていますのでお知らせします。

勝手の写真を引用すると著作権に引っかかるとのことですので、良ければアドレスをコピーしてヒューリエットデイリーニュースにアクセスしてみてください。

http://www.hurriyetdailynews.com/Default.aspx?pageID=429&GalleryID=1772


このイベントは常に混雑しているボスボラス大橋を通行止めして行った開催前のイベントで、非難されながらもイスタンブール市が後援して行ったもので、このイベントには、報道陣がバスで同行して写真を撮っています。


タイガーウッズだから許されることなんでしょう。

シリアとトルコの国境線

今朝(6日)の黒海です。


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快晴ですが、昨日に引き続き靄がかかっていて遠くが見えません。

漁船が近くの海に久しぶりに多くいます。


仕事を終えて帰る途中にある小学校のが電気が点いています。


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2部制の午後の授業がまだ終わっていない様子で、親たちが校庭のベンチに座り子供達を待っていました。狭い学校の宿命でしょうが、一寸かわいそうですね。


今日のトルコに新聞にこんな記事が載っていました。


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ここブランジャックの町にある新聞スタンドです。30紙ほどの新聞が売られています。そんなに多種類の新聞を読む人がいるのかな?と思いますが・・・

新聞配達はありますが8時頃の配達ですから、仕事に出かける人は朝家で読んでいる暇はありません。


本題ですが、トルコとシリアとの国境線にトルコ政府が壁を作ったことに対し、反対政党の2つが抗議しています。

トルコとシリアとは戦争状態に近いわけで、トルコとしてはシリアとの国境を明確にしておきたいのですが、その国境付近はクルド人が住んでいて、もともと往き来していたわけで、トルコにもクルド人は大きいます。

トルコではトルコ人が半数以上いますがその次はクルド人です。その他はギリシャ人、アルメニア人、ユダヤ人、スラブ系民族、アルメニア、グルジア人その他多くの民族で構成された多民族国家なのです。

シリアではクルド人が迫害を受けトルコ領内のいるクルド人を頼って逃げてくる人々がいます。

トルコはこれまで無条件にクルド人の避難民を受け入れてきましたが、その人達がトルコ領内に入れなくするのはおかしいということの抗議です。

クルド人からすれば亡命などと言うことでなく一時退避程度のことなのでしょう。

その人達をトルコ領内に入れないのはおかしいとして国境線で1週間ハンガーストを行っている国会議員がいたり、新聞に反対声明を訴えたりしています。


シリアの政策が変わり、国境線が落ち着くといいのですが。

島国の日本では想像もしていなかった現実です。


おなか一杯

今朝(5日)の黒海です。


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曇っていないのにもやが出ていて遠くがよく見えません。

小型漁船が3艘出ていました。いつもながら穏やかな海です。


今日の新聞のインターネット版を読んでいたら、イスタンブールのアジアとヨーロッパをつなぐボスボラス大橋でタイガーウッズがゴルフをしている写真が載っていました。

いつも大混雑する橋ですが今日は2時から3時までアジア側からヨーロッパに渡る車線を閉鎖し、タイガーウッズのゴルフのデモンストレーションを行ったということです。

これはトルコ航空オープンと言うプロゴルフのヨーロッパツアーのPR の一環で、イスタンブール市が協賛して行ったもので、通行止めになったおかげで、もう一つの橋に車が押し寄せ大混雑だったということです。

当初は4~5時間閉鎖する計画だったそうですが非難されたので1時間の限定したとのことです。

橋の上では見物客はいないのだからTVだけでのPRです。 .

もっと人の集まる違う場所ですれば見物客も集められ、非難を浴びずに済むのに変わった演出です。



昼食を腹いっぱい食べたので夕食は軽く済まそうと思い、親切な夫婦がやっているロカンタへ行き、料理を見ていたらチャーハンがあったのでほうれん草のスープとチャーハンを頼みました。


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右のほうれん草スープにはインゲン豆なども入っていて美味しい味です。

ところが店の親父さんが唐辛子を持ってきて「これを加えるともっとおいしくなる」と言うのでお任せで入れてもらいました。

唐辛子を入れると全く変わった味になり、私にはおいしくなくなってしまいましたが、親父さんがうれしそうな顔をするので「おいしいよ」としか言えません。日本人の悪いところですね。


これを頂いていると、今度は奥さんがコップ一杯のドリンクヨーグルトとヨーグルトを持ってきてくれました。


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300ml以上のプレーン・ヨーグルトです。アシカにトルコではプレーンヨーグルトは料理メニューにあり、出されておかしいものではありません。

これに食い放題のパンがついています。


さすがにパンは食べきれません。

それでも出された以上は食べないと申し訳ないのでパン以外を食べきったら、今度はご主人が「チャイを飲むか?」と言う。お茶くらいならちょうど口をさっぱりするのにいいからもらうことにしました。

早速近所のお茶屋さんに出前を頼むと1分もしないうちにチャイが到着。

これで8リラ(400円)です。


最近ズボンがきつくなってきたので食事制限をしようと思っているものの、トルコ人の親切でなかなか食事制限が出来ません。




おまけです。


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商店街にある写真屋さんの看板にフジフィルムの看板が掲げられていて、照明で遠くまで目立っています。

今ではフイルムなど見ることが無くなっていますので、この看板は10年以上前に掲げられたものだと思われます。

日本企業の先陣として、巨大な欧米の企業と競争してトルコの市場を開拓された先人の努力がしのばれます。

ギレスンの町と兵役の義務

今朝(4日)の黒海です。


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穏やかでさざ波程度の単色の青い海です。


今日夕食を食べに行ったピザ屋さんでそこの娘さんが店で遊んでいました。


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一生懸命ままごとで料理を作るふりをしたり、お茶を入れるふりをしたりしていました。

それを見ていたお父さんがその仮想の料理を食べたり、お茶を飲んだりするふりをすると、急に娘さんが泣き出し、お父さんを殴り始めました。

お父さんは慌ててそこから逃げ出したので、面白くてカメラを構えたら、お母さんが私がカメラrを構えたことを娘さんに言うと急に泣き止み、ままごとを再度始めました。

洋の東西を問わず、小さな女の子のすることはどこも一緒だなと感じた次第です。



昨日マリキさんに連れられ見学に行ったギレスンの町について。

ギレスンはギリシャ人が開拓した町で、その後ペルシャ人やローマ人などが入り込んでできた街で、ヨーロッパ風の顔の人を多く見かけます。

人口は10万人ほどのさほど大きな町ではありませんが、一応県庁所在地です。


街の中心部にはイスラム教のモスクがあります。


ピンさんのブータンとトルコ田舎生活日記 も好きには電光掲示板があり、文字が流れていました。近代的なモスクです。
ギレスンの街はモスクを中心に発展しており、さしずめ門前町のようです。

モスクの東側は大きな広場になっており、彫刻や噴水などもあり多くの人が佇んでいます。

モスクが無ければヨーロッパの街並みと違わないのでは。

また写真左手の歩道に沿って飲食店はテーブルや椅子を歩道に出し、オープンカフの雰囲気が素敵です。


このモスクから左に向かって坂になっており、そこが素敵な商店街です。


ピンさんのブータンとトルコ田舎生活日記 一見ニューヨークのタイムズスクエアーのようにも見えます。
手前は歩道の敷石の工事中ですがこの先500mほどが素敵な遊歩道の商店街になっています。

有名なイタリアブランドの店などもありとても10万人の町とは思えません。

写真でもわかるように結構な人通りで、日本でいえば混雑している都会の地下街を歩いているようです。


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坂を上りきったところです。ここでも歩道入り口の工事中でした。

写真右側の建物は2階から4階まで窓を全開にしてあり、ここもさしずめオープンカフェの雰囲気を醸し出しユニークな建物です。

雨が降れば、折りたたんだガラス窓を閉めるようになっています。


すぐ横のバーガーキングの店がありました。


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マックはまだギレスンには出てきていません。

トルコではハンバーガーはこちらのファストフードと比べ高いので人気がないとのことで、バーガーキングもさほど客は入っていませんでした。

むしろイタリアンピザは高い割には繁盛しています。


一歩裏通りに入ると歴史的な建物が残っていました。


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この古い建物は現在は商業高校として使われているということです。


ここを覗いていたら、クラクションを鳴らし続けた車が数台連なって走っていました。

「うるさい!」 と叫びたいほどです。

トルコ国旗を車に掲げており、何だろうと聞くと、兵役を終えた若者が退役祝いに走り回っているとのこと。

トルコは15か月の兵役義務があり、若者は参加しなければなりません。

それも近い内に20か月に延長されるとか。

一般市民でもピストル所持が認められている国なのです。

現在のシリアだけでなく、イランともかつては戦争状態にあり、隣国との戦時対応ができる準備が必要なのだから兵役は避けられないとのこと。

平和な日本では考えられないトルコの現状を知る機会でした。

JICA支援の山村の温室栽培

今朝(3日)の黒海です。


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遠くの海面が縞模様になっています。

海の色は手前は青く、途中は薄青く、遠くは黒っぽくなっています。

海を見ていたら私がブランジャックに来てから初めて桟橋に船が泊まっていました。


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9時頃に桟橋に行ってみました。


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魚でも降ろしているのかな?と思って見に行きましたが単なる停泊らしく、各種の大小のサイズの魚網も綺麗に仕舞ったままで水にぬれた様子もなく、拍子抜けでした。


そんな折、カウンターパートのマリキさんから電話が入り、「今どこのいますか?あなたの泊まっているホテルにいて、あなたを待っています。イナジャ村へ行きますよ。」とのこと。

急いでホテルに戻ると、マリキさんと同室のアーメットさんが車で待っている。

「金曜日にアーメットがイナジャ村へ行きますよと言ったでしょう。」と言うが、「アーメットは8時に行くといったが来なかったから出かけたのだよ。」と言いたかったけどアーメットさんの英語の知識が不足しており、正確に伝えてくれなかったのが原因でした。


イナジャ村へは黒海に面したトルコ東北部最大の町・トラブゾンの農家50人が見学に来るのでそれに付き合うんだということです。

トラブゾンには先月初めまでJICAのシニアボランティアが2年間農業指導で来ており、温室栽培の指導をしていました。

そのボランティアが先に指導した温室栽培を見学に来たので一緒に案内しようというわけです。


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イナジャ村に着いてこれから記念撮影です。



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JICA支援の看板です。


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JICA支援で出来た温室栽培の見学開始です。


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サニーレタスやほうれん草、トマト、ナス、唐辛子、インゲン豆、玉ねぎ、ピーマンなどが温室で栽培されていました。

イナジャ村は海抜500mほどの山の頂上にある村で、平坦な場所は無く、もっぱらヘーゼルナッツだけを栽培していたのですが収益性が悪く農業の高度化として温室栽培を始めたものです。

決して良い土壌とは思えませんが年間を通じ野菜栽培が出来ることで農家の収益は向上したとのことです。


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これは柿です。

出べその柿で、食べてみると甘みは不足しているものの、渋みはほとんどなく甘柿と呼べるものです。


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キウィー栽培は相当前から行われており、ニュージーランド産で日本に入ってきているものより大粒のものがなっていました。

これらの農園を見て回りました。

トラブゾンから2時間かけて見学に来た農家の人たちは熱心に見学していました。


私が日本人と知ると、トラブゾンの農民は「JICAで来ていた日本人はトルコ語が上手だった。あなたはトルコ語が話せるか?」と質問されたがあいさつ程度だと答えるのが精いっぱいです。

恥ずかしいですね。残り2か月弱ですが少しでもトルコ語を上達させたいですね。


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当然ながらここはトルコでのヘーゼルナッツの第一番の産地です。

ドングリのように見えますがこれがヘーゼルナッツの実です。ドングリと違い丸いものが味がよく値段が高いとのこと。長細いものは加工用に使われるとのことでした。



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山の頂上にある村なので遠くの景色が見えます。

これはブランジャックが属するギレスン県の県庁所在地のギレスンの町です。

なかなか素敵な街です。

このイナジャ村の案内の後にマリキさんが私を連れて行って案内してくれました。

ギレスンの町の様子は明日報告します。

ブランジャックの街の人情

今朝(2日)の黒海です。


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快晴の朝ですが遠くがもやっていて海と空の境界がよく見えません。

海は遠くが黒く見えるので境界と分かりました。


今朝は風邪気味で起きるのが面倒だったのですが、こんな日こそ動き回らなくてはと思い、朝食を腹いっぱい食べ、昼頃宿を出ようとしていました。

そうしたら昼前の部屋の掃除に来ていたおばちゃん2人が自分たちの昼食と同じものと思われる昼飯を部屋に運んでくれました。

一人でお昼頃部屋にいたので可哀想と思ってくれたのでしょう。

有り難いですね。

断るわけにいかず、ありがたく頂戴しました。

米のピラフに牛ミンチの炒め物とドリンクヨーグルトととっても甘い油がギトギトのバクラウと言うお菓子です。

(トルコのピラフには松の実が入ったバターライスや挽き割小麦のピラフなどがあるそうです。)

朝食を腹いっぱい食べているのでお昼でなく、夕食で頂きました。



昼から散歩に出かけました。

町の端の高速道路わきにあるオトガルです。


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正面がオトガル(長距離のバスターミナル)です。

11社ほどのバスの窓口があり、乗り入れているのですがどう違うかはよくわかりません。

田舎のターミナルですのでバスはほとんど停まっていません。


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オトガルには写真のカフェ(オトガル・チャイと書いた看板の店)やお菓子などを売る店があり、出発時間まで時間が潰せるようになっています。


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また、タクシー乗り場もすぐ横にあり重い荷物を持った人などは便利です。


その横に警察署や消防署があります。

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警察署横に止められていたパトカーです。


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ブランジャック郡の消防署のはしご車です。



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街の中心部に人だかりがあり、よく見るとスポーツトトの売店です。

ガラス面で一生懸命覗いている人は今日の各地のサッカーの途中経過を見ているところです。



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中を覗いてみると若者が多く、試合表を見ながら予想を立てていました。

小さな町の小さなトトの売店なので、日本の競馬の場外馬券発売所とはちょっと雰囲気が違います。


街中をあるいていたら、靴屋の店頭にベルトが並んでいたので見ていたら「5リラだよ」と店の人が言うので買ってみました。

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裏地も牛革で5リラとはびっくり。250円です。

サイズ丁度のものが無く、「長いベルトに穴をあけるけどそれでいいのか?」と聞くので「OK]と言うと店の奥でベルトに4つも穴をあける。相当長いベルトなのです。

それを私のズボンに通し、「これでいいだろう。」

代金の5リラ支払うと、「お茶を飲んでいかないか?」と言う。

5リラ程度でお茶をサービスするなんてびっくりです。

そうすると、近所の店にさっそく電話して出前を頼むと、1分もしないうちにお茶の出前が到着。

お茶の出前はブランジャックでは大体40クルシュ(20円)です。

サービスが良すぎる。

正面の店主に、「横に座っているのはあんたの子供か?」と聞くと「近所の子供だ」とのこと。

そんな子供が店の売上金を管理しているのです。


この店でも田舎町のブランジャックの人情を感じるひと時でした。

また、歩き回っている内に風邪気味だったのがいつの間にやら元気になっていました。





手軽に食べられるロカンタ(軽食屋)

今朝(1日)の黒海です。


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曇っているので海が黒く見えます。

11月に入っても気温は最低が15度程度で、最高気温が20度以下ですから過ごしやすい気候です。


昨日の新聞で女性国会議員4人がスカーフをかぶって登院したことがニュースになっていました。

トルコでは学校や国会などはスカーフを禁止していました。

イスラムの教えには法律まであって、それには飲酒の禁止や豚肉を食べないことやスカーフをしなければならないなどとなっていますが、トルコはそのイスラム原理主義を捨てて世俗主義のイスラム法を一部捨ててきました。それによってトルコは経済成長が出来たと言えます。

それが国内の内紛の原因でもありようです。


ところがトルコではイスラム教を大半の人は信じており、イスラム原理主義への回帰現象もあり、スカーフを国会でつけても問題にしなくなり、1昨日から国会議員がスカーフを着用することになりました。

また、男性のあごひげも公務員は禁止されていましたが、先月8日から解禁されています。

私はあごひげをしていますから、従来ならばトルコでは公務員にはなれなかったのです。

日本人でよかった!



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時折行くロカンタ(軽食屋)です。

出来上がり料理を炭火や電気で温めて陳列しており、この店は電気で温めています。

常時10品前後の料理が並んでいます。

その中で気に入ったものを注文して食べるのですが、私のようなトルコ語が話せない人間には都合のいいお店です。

このような店は簡単に開業できるので、近所にも先月1店舗出来、近日中にも1店舗が出来る見込みです。


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2皿注文したら、ドリンクヨーグルトをサービスでつけてくれました。

ヨーグルトを発見した国ですからヨーグルトが料理メニューにあったり、和え物で出てきたりいろいろな使い方があります。

これに食べ放題のパンが付きます。

因みに、これで7リラ(350円)でした。

私にはおいしいトルコの料理です。

チョコパイ似を比較

今朝(31日)の黒海です。


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海に筋が見えますが今日は海の色に濃淡が無い平穏な海です。


今日の新聞やTVでは30日に起こったマルマライ・トンネルの停電事件が報じられていました。

安倍首相が参列して29日に開業した海底トンネルで、30日早朝に乗客のいたずらでトンネル内が10分間停電しました。

停電したので乗客が列車から降り、避難通路を歩き出してしまい混乱が広がったとのことです。

10分間程度の停電だったので大きな事件は起こらなかったとのことですが、当然ながらマスコミは安全管理の徹底が出来ていないと言っています。

反対に鉄道会社は停電は地上でも起こっており特別なことではないなどと言っています。

ともあれ、今日31日は事故もなく通常運航してたとTVは報道しています。



近所のスーパーでチョコパイ似の商品が売られていたので買ってみました。

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手前のHalk社のものは12個入りで1.69リラで、奥のFally社のものは10枚入り(300g)で2・99リラでした。
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どちらも個包装ではなく、つまむとチョコが手に付きます。


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この製品はずっしり重く、高級そうなパッケージです。



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左のHalk社のものはチョコが充分かかっていません。またパッケージの写真とは違い中のクリームが写人の半分以下で、しかも表示を読むとマシュマルを使っている、またマリータイプのビスケットを使っておりチョコパイとは似て非なるものです。

従って安くて当たり前でした。


右のHally社のものは日本のチョコパイほどのソフトさは無く、ロッテがインドで作っているチョコパイとそっくりでした。

インドは年間40度を超す暑い気候でチョコも溶けやすく、傷みやすい条件ですから水分を絞らなくてはなりません。従ってインドのチョコパイはしっとり感は無く、どちらかと言うと乾燥したちょこぱいです。

このような商品はトルコには無かったのでロッテの商品をまねたように思います。

しかしトルコの気候は日本とよく似ており、インドでの製品ほど水分を絞る必要はないと思います。

10枚入りで150円程度ですから妥当な値段と味です。

それでも食べようとしてつまむとチョコが手に付くので日本の個包装が一日の長があります。


ところで日本食を1か月以上食べていないのでカップヌードルなどが無いかなと探しいましたがここブランジャックでは全く売っていません。

その他でもキッコーマンのしょうゆすら売っていません。キャンディー類もヨーロッパのキャンディが少し売られているだけで売られていません。職員にキャンディーを聞いてもキャンディーを知っている職員はいませんでした。

これらのことからも日本の食はまだトルコでは売る余地が多くあるように思います。

インドも魅力的な市場ですが、インドよりトルコは文化程度や民度が高く、貧富の差が少なく、成長が続いています。

トルコは魅力的な市場です。