替え歌セラピー3部作物語 第1話「引き寄せた邂逅」 | いらっCHINA~海外起業・国際結婚の”カオスこもごも”の楽しみ方

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2017年9月に北京で起業した異文化コミュニケーションコーチの起業日誌、中国人との結婚などの”カオスな日常”とその楽しみ方について綴ります。


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 来週の土曜日、今日からちょうど一週間後、第4回 の北京日本倶楽部(旧 北京日本人会)の歌合戦が開催される。第3回までは「都道府県別対抗歌合戦@北京」というイベント名だったが、大使が変わり、日中友好色を強めた今回からのイベント名は「日中友好 故郷(おくに)自慢歌合戦」と変わった。

 

 このイベントは、自分にとっては北京の日本人社会に参加するキッカケとなったモノでもあり、自分の中ではとても重要な位置づけ。3回の出場で4つも賞を頂けたのは自分だけだし。

 

 北京の日本人社会の中で自分についての話をするときには決して欠くことが出来ないイベント。

 

 と同時に、この第一回目から第三回までのイベントを通してかなりたくさんの心理的葛藤があったこともまた事実で、人との交流だけでなく、人としての成長を促してくれたコトとしても非常に印象が深い。

 

 そのイベントでは毎回「替え歌」を作って、国民的に有名なメロディに乗せて歌っていた。どんな替え歌かというと、北京在住の駐在員の代表的な心境を表現した歌や、自分も含めた北京在住の日本人の心境を綴った歌。

 

 たくさんの方々にご支持頂き、どこまで本当か不明だけど「ファンです」と言ってくださる方にも多く恵まれ、毎回「次は何をやるんですか~?」と尋ねられていたけど、前回でそうしたネタ作りはもう卒業。

 

 ようやく自ら肩の荷を下ろしてラクになれました。

 

 そんなに大変なら自分で一回目で終わりにすれば良かっただけなのだけど、周りの人たちの期待の声も大きく、大学時代から20年近くをエンターテインメント業界で働いてきた経験からくるエンターテイナー的なサービス精神も手伝って、なんだかんだで3回も続けてやってしまった…。

 

 第一回目が終了した直後には、もう第二回目は何を歌うのかを考え始めていたし、第二回目の直後にもすぐに第三回目は何を歌うのか考える始めていたけど、そんな状況もようやく終了。

 

 上で、「ずっと心理的葛藤があった」と述べているけど、具体的にどんなものがあったのか、というと

 

 1. 歌い手から"替え歌芸人"へのポジションの拡大

 

 2. 一回目がウケすぎてその後の周囲の期待のハードルが上がってしまい、自分のクビを絞めたこと

 

 3. それでも"一発屋"で終わることを絶対に許さなかった自分の作り手としてのプライドゆえの苦心

 

 4. 個人的に評価して欲しいのは歌唱力なのに、ネタばかりが注目されたこと

 

 

 ただネタに触れているだけでは想像すら出来ない僕の内面活動の数々。

 

 でも今振り返ってみると、こんなことですらみんないい想い出になっている。こうした場を企画・提供してくれた実行委員会の方々、僕のネタに爆笑してくれた方々、投票してくださった方々、拍手を送ってくださった方々、2回も大使賞をくれた前任の木寺大使には感謝が絶えません。

 

 では、この歌合戦に何故出場することにしたのか、何故"あの曲たちを選択したのか"、どういったロジックで替え歌の歌詞を考案したのか、都度どのような心の機微の変化が生じていったのか、それらをこれから数回に分けて綴っていくことにする。

 

 

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第一話 「引き寄せた邂逅」

 

 まず、自分が何故、その歌合戦への出場を決めたのか、そんな話から始めよう。

 

 第1回の歌合戦が開催されたのは、2014年の2月下旬で、2013年の12月くらいから出場者の募集を開始していたと記憶している。

 

 僕は2013年9月に転職をして、主に日系企業の新規顧客開拓をミッションとして活動していたものの、当時の状況が自分の想像を超える厳しさを有していた。

 

 潜在顧客先に訪問をしても、あんまり歓迎されていない。何せ自分への認知度がなさすぎる。日本にいたときも新規顧客開拓の仕事は経験があったものの、商材との相性というのもあり、そのときよりも遥かに厳しく感じていた。

 

 故に当時アタマの中を駆け巡っていたのは…

 

 「いっそ辞めてしまった方がいいのか、他に何か有効手段はないのか、特段有効な一発大逆転出来る打ち上げ花火のようなイベントは何か無いものか…。」

 

そんなことを毎日考えていた。

 

 「打ち上げ花火か…、といっても俺が打ち上げられる花火といったら歌うことくらいしか無いじゃないか…。そんなイベントが仮にあって何か歌ってみたところでこの状況を果たして改善できるのか?にしても、そんなイベントがまずあるはずないじゃないか…。何をバカなあり得ない空想しているのだか。」

 

と途方に暮れていた当時。

 

 

 

 そうやって数日が過ぎたある日、突然県人会のメールアドレスから

 

 「第1回 都道府県別対抗歌合戦 出場者募集!」

 

 という内容のメールが飛び込んできたが、これをみたときは最初はさすがに自分の目を疑った。

 

 "そんなバカな空想ごとが起きるはずないじゃないか…"と思っていたことが、現実に目の前で起こっているのだから。

 

 日本で今、女性の間での流行している「引き寄せの法則」が、現実として自分に対して起きた。

 

 「ホントにこんなことってあるんだ…」

 

 と半分は信じられずにいたが、あるものはある。この機会を当然逃すわけにはいかない。この千載一遇のチャンスをどう活かすか。それを考え始めた。

 

 こういうイベントは何よりインパクトが大事。インパクト………。SNSでアイデア募集などをしてみても何にもアイデアは得られなかった。そりゃそうだ。

 

 そんなある日のこと、当時僕は毎月コーチングセッションをプロコーチから受けていたけど、そんな僕の悩みを受け、プロコーチからいくつかの質問を受けた。

 

 コーチ「そこで主に集まるのはどんな人たち?」

 

 ひら「主に日本人。駐在員が多い気がする。駐在妻とかも」

 

 コーチ「年代は?」

 

 ひら「多分年配者が多いはず。50代以上」

 

 コーチ「そんな人たちはどんな歌が好き?」

 

 ひら「演歌、懐メロ、古いアニソン辺りでしょうか」

 

 コーチ「その中でひらさんが得意なのは?」

 

 ひら「懐メロかアニソンですね。演歌は歌ったことないですし」

 

 コーチ「こういうときはやっぱり得意なのを歌った方がいいですね」

 

 そして…

 

 コーチ「あと、僕から提案していいですか?替え歌はどうですか?歌を全部替えるのは厳しいかもしれないけど、部分的に替えるとか」

 

 ひら「替え歌・・・ですか・・・?!」

 

 

 それでそのセッションは終了したものの、"替え歌"というのは正直な話、心理的に抵抗があった。

 

 

 まず、これまで作ったことがないし、考えたこともない。

 

 それに、自分は歌うことにはそこそこ自信はあるけど、芸人であるつもりはない。ぶっちゃけた話、そんな芸人地味たマネはあまりしたくなかった。今思えば、プロでもない素人のチンケなプライドでしかなかったのだけど。

 

 こうして、普通に得意な歌を歌うか、敢えて替え歌にトライしてみるか、という2択の中で数日ああでもないこうでもない、という葛藤が始まった。

 

 歌合戦事務局に参加申し込みをしてエントリーシートをもらってから、実は最初にエントリーしていた曲は「世界にひとつだけの花」だったけど、事務局から「他にも同じ曲でエントリーしているのが2組くらいいるから、他の曲に変えてみた方がいいのでは?」という回答をもらい、この線は取りやめた。

 

 やっぱ替え歌作るしかないのかねぇ…。替え歌か…そもそもどうやって作るんだ…

 

 "そもそも今回の目的はなんだ?ただ気持ちよく歌うことではなく、聴衆に多大なるインパクトを与えることのはず…"

 

 じゃあ…、取り敢えず作ってみるか…、「出来ない」ということはやってみて作れなかったときに改めて言うとしよう。。。と自分のチンケなプライドは横に置いておいて

 

 取り敢えず替え歌を作ってみよう!と覚悟を決めた。

 

 

 (続く…)

 

 

 

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