歴史とロマンの平戸へ | 長崎回縁隊のブログ

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ご縁が回って、全国の方々と知り合えればと思います。
そして、少しでも一隊化できる場所があれば最高ぜよ。

歴史とロマンの平戸へ1泊旅行に行きました。

 

平戸市は五島、壱岐、対馬の島を除くと長崎県の最北端に位置し、長崎市から佐世保を通過して約2時間のドライブでした。

 

途中、カブトムシの巨大モニュメントのある道の駅「昆虫の里たびら」に寄りました。帰りはここで弁当を買って食べました。

 

平戸島に渡る前に国重要文化財である田平天主堂を見学しました。明治になりキリスト教解禁後に移住が始まり、祈りの場として建てられました。

 

教会建築の第一人者・鉄川与助が設計した最後の煉瓦造教会で、名作と評されています。

 

いよいよ本土と平戸島を結ぶ665mの平戸大橋を渡りますが、その前に本土側の橋のたもとで写真撮影。

 

平戸瀬戸を隔てた向うには平戸城が見えていました。

 

橋を渡って平戸城へ。平戸城は松浦家の居城として1718年に完成しています。松浦家は戦国時代からこの地を治め、明治になるまで変わることなく平戸藩を治め続けました。また明治天皇の祖母は9代藩主の娘です。

 

城は高台にあるので見晴らしが良く、もちろん先ほど渡ってきた平戸大橋も良く見えています。

 

正面が平戸港で、そこが交流広場となっています。1550年、この港に初めてのポルトガル船が来航してポルトガル貿易が始まり、1565年まで続きました。その後は福田港を経て、1570年に開港した長崎港に移りました。

 

港近くにはオランダ商館の倉庫が建っています。オランダ船は1609年に初めて平戸に入港。藩主・松浦隆信がオランダ商館建設を許可して1639年に完成。しかしながら2年後には長崎の出島に移転させられています。

 

平戸港交流広場からは様々の場所へ歩いて行くことができ、観光には非常に便利です。そして歩き疲れたら中心部にある、うで湯と足湯で疲れをとります。

 

1702年に造られた石造単アーチ橋の幸橋。平戸城と市街地を結ぶ橋で、オランダ橋とも呼ばれる国重要文化財。2014年には島原鉄道の愛野駅と同様に「愛の聖地」に認定されています。

 

平戸ザビエル記念教会。1550年にフランシスコ・ザビエルが平戸に来てキリスト教の布教が始まり、多くの人々がキリスト教徒になりました。その後は禁教令が発令されたことにより潜伏キリシタンの歴史が始まることになります。

 

平戸観光で最も有名な「寺院と教会の見える風景」。光明寺、瑞雲寺に重なって、先ほどのザビエル教会の尖塔が見えており、平戸の特徴が最も感じられる場所だそうです。

 

そして、教会と寺院を結ぶ石畳や常夜燈のある坂道は静かで趣のある歩道でした。

 

最教寺三重塔。最教寺は「西の高野山」と呼ばれる真言宗の寺で弘法太師が唐からの帰国の際に立ち寄ったと言われています。今、オーバーツーリズムが問題になっている和歌山県の高野山とは異なり、静かにお参り出来るけど圧倒的な迫力でした。

 

宿泊したホテル彩陽からも平戸城や海が眺められて見晴らしが良く、平戸瀬戸から平戸港に向かう船も見え、汽笛が聞こえました。

今回はコンパクトで行きやすい市の中心部を主に紹介しましたが、見どころ満載でした。歴史としては、1550年のポルトガル船やザビエルの到着からポルトガル貿易とキリスト教の布教が始まりました。その後オランダ船やイギリス船の来航があり、1641年、長崎の出島にオランダ商館が移転するまでは平戸がヨーロッパとの貿易港として栄えた町だった様です。まさに歴史とロマンの町でした。