主がそう言っておられるから

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教会員には、本当は自分の思いを、あたかも神の思いであるかのように都合良く語る奴らがいる。



「主が私にそう言っておられると確信したから・・・」


「これは主と私の間で決めた事ですから・・・」



これはすごく便利な言葉だ。




クリスチャンにとっては、自分の思いよりも神の思いを優先させる事が正しい。

周りもそれを尊重してあげなければならない。

だから主を全面に持ち出されると、ぐうの音も出ない。

誰も文句がつけられないのだ。






ある教会の牧師の話。

そいつは突然、「○○○(海外リゾート代表格の場所)の日本人教会に赴任する事を主から召された」と言い出した。



その教会の信徒にとっては寝耳に水だろう。

牧師が突然いなくなってしまうのだから。

普通の人が普通の心情で考えたら、これまで一生懸命教会をささえてきた自分達を差し置いて、その牧師が家族で、突然違う教会に赴任してしまう事に驚くと思うのだが。しかも場所は○○○などという南国リゾート&バカンスの国・・・。



私はその教会の信徒ではなかったが、その牧師は新天地の○○○で主の守りがあるようにと、祈りを呼びかける名目でうちの教会を訪れた。主から○○○行きの「召し」をもらったいきさつなどを証ししていた。聞いていると、その期間も展開もめちゃめちゃ早く、バタバタした感じだった。

おそらく早く事を進めないと、自分達以外にその○○○の教会の席を埋める牧師が現れてしまうから、早くツバをつけないといけなかったのだろう。



「普通に考えたらおかしいと思われるかもしれませんが、この○○○行きは主の召しなのです・・・」

「是非私たちの事をお祈りください」とか言っていたが、

その心は「だから金くれ」って事か。

牧師よりも、牧師夫人の方が口がうまかったな。とうとうと流暢に話していた。



当時の私はまだ従順なクリスチャンだったので、違和感を抱きつつもそんな事もあるのかなぁと思って献金に協力してしまった気がする。





でも、今の私ならこう口に出せる。


「コイツ何考えているのだ?」


お前、絶対○○○でバカンス気分を味わいながら生活したかっただけだろう?



主が許したかどうかなんて関係ない。

私はお前を許さない。(別にその教会の信徒でもないけど・・・)




けれどもその教会の信徒は牧師を引き止めることも出来ず、みすみすとその牧師一家を○○○の地に送り出してしまった。お別れ会は淋しく惜しまれつつも円満な雰囲気で送られたらしい。





・・・・美談?




ケッ、気持ちわりぃーーーーーーっ







牧師は、自分で後任の牧師を見つけたわけでもない。

自分で開拓してつくった教会だったのに。

「後任の牧師が与えられる事をお祈りください」なんて言っていたが、結局与えられず無牧の教会のまま数年が過ぎた。



普通の社会で考えたらあり得ない。

自己都合で仕事を辞めたりする時は、穴を開けないように後任の人を見つけたり、引継ぎが出来てから辞めるものなのではないか?


そこらへんの店のバイトの子でさえ、自分の都合で仕事を休まなければならない時、代わりに出られる人をみつけてから休むのがルールですよ?



それなのに、「主から召しを受けた」というそのひらめき(としか私には思えない)だけで、教会のトップ責任者たるお前が後任も引き継ぎも何も無しでバカンスの国で伝道だとぉ~??


ったく、ざけんなって感じだな。





何故「主が言ったから」と言ってこのような好き勝手が許されるのだろう。

人の信仰の世界の話を、他人がそれは本当だとか嘘だとか判断のしようはないが、せめて責任のある辞め方をしろと言いたい。ここはまだ天国ではなく、生身の人間の住む世界なのだから。



こういうところが世間とずれているのだが、クリスチャンはそんな不条理に耐える自分達を「信仰的」と酔いしれているらしい。

フン、バッカみたい。














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