マウントポジション | 動きの哲学、日常のヒント

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🥵暑い! とにかく暑いですね。梅雨明けたのでしょうか?

しかし、朝は、意外なほど涼しいです。

夏は、早起きがいいです。

 

 

 

マウントを取られたことある?っていう、ブログ運営局さんのお題が昨日あったのですが、

まったく趣旨を変えて、「マウントポジション」という格闘技のことを、書いてみます。

 

 

マウントを取る っていう表現が普通に使われるようになったのは、ここ2~3年ですかね。

以前は、「マウントを取る」とは、私のように格闘技をかじっている人間の間でのことばでしたね。

 

 

もともとの語源は、動物が他の個体に対して、自分の優位性を示すために、馬乗りになる体勢を指し、このことから格闘技の「マウントポジション」は、(観戦する人はよく知ってますが)同じように馬乗りのポジションです。

 

いつごろからなのか、人間関係でも、

 

「自分はお前より優越しているんだ」

と言いたくて、それを誇示しようとする言動を指すようになった。

 

私の場合、30歳過ぎてから、若者に交じって一時期(2~3年)総合格闘技ジムに通って練習をやっていたことがあります。そのときの、練習の中で「マウントをとられた」状態のときの気分を思い出した。

 

 

格闘技の「マウントを取る」、「マウントポジション」は、これ ⇓ (下図)です。

 

 

 

観ての通り、基本的に下の人は不利です。

さて、ジムには、私以外にも年寄り(失礼!)がおりまして、数人は親しくなりました。ここ数年すっかりお会いしていないので、「どうしているかな」とちょっと寂しい、人恋しい気持ちになることもあります。

 

 

 

さて、マウントポジションを取られたときの気分は、ある種、屈辱感があります。

「制圧」された体勢ですから。練習ではやりませんが、マウント取られたこの体勢で、相手選手に上から殴られるので恐怖があります。

 

 

ですが、「年寄り友達」の中の一人のおっちゃんと寝技のスパーリング(稽古)をしていると、また違う気分もあるんですよね。自分と同い年のおっちゃんにマウント取られました。おっちゃんは「うっしゃぁ!」「うりゃぁ」メラメラが混ざったような気合いを入れて完全に私を制圧。

 

 

その瞬間、屈辱感泣

 

 

実は、私は根拠もなく「自分のほうが格闘技のテクニックは上だ」などと傲慢な気持ちがちょっとあったからです。

稽古してみたら、「あれっ?」真顔 という感じ。

 

「自分のほうが弱い、これはナゾだな、いやマテよ、よくよく考えたら俺弱いからなぁ」

 

と一気に弱気に転じる。

一瞬の間に、強気と弱気と屈辱感。そして、ちょっとの納得感。

 

でも、それと同時に「自分と同じ年齢のおっちゃんに対し「やるなぁ、力強いなぁ(⌒∇⌒)」という頼もしい気持ちも結構持ったものです。不思議と、ちょっとばかり元気をくれるもんです。

 

もともと、うつ状態だった時に、何でもやってみようと苦し紛れにはじめた格闘技が元気をくれたのは、そんな不思議な心持もあるのですね。

 

 

思うに、体は一人ひとり違う。当然、一人ひとりの心は違う。何がどう心身に影響を与えるかは分からないのが正直なところ。

今だって、縁あって私が教えさせていただく健康体操(含 ストレッチ、ピラティス)で元気になる人がちょっとでもいるのがありがたくも、また不思議なことでもある。

 

 

 

 

さて、格闘技のことですが、

練習いっしょにして、マウント取ったおっちゃん仲間に、ふと今、

●●さん、元気かい?コロナだったけど、商売はどう?

 

って、あらためて心の中で今思いだしながら、おっちゃんにマウント取られた屈辱感と、力強さ、頼もしさを思い出した。

自分の昔話に持ってきたが、そんな感じです。

 

ではでは。


 

 

 

 

 

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