「夜桜お七」から「丙午(ひのえうま)の女」 | 過去を振り返って現在を知り、未来を思う

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今までの人生、あまり人に興味をもたなかったけど、これからは人と向き合い、楽しんでいこう。
今さらながら人を幸せにしたいと思うようになった平凡なオヤジの日々。
Schaue dankbar zurück und mutig nach vorne.

先日、江戸東京博物館を訪れた夜の帰り道、散りかけて華やかな夜桜を見ながら、坂本冬美さんの「夜桜お七」(1994年発売)を思い出す。

 

 

「お七」といえば「八百屋お七」。江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘、お七は、天和2年(1682)の火事で避難した寺で、寺小姓の吉三郎に会い恋に落ちた。

家が再建されて戻ったものの、お七はどうしても吉三郎が忘れられない。その一途な恋は「もう一度火事が起これば会えるかも知れない」との思いに至り、ついに自宅に放火をしてしまう。

捕まったお七は、鈴ヶ森刑場(今の品川区南大井)で火刑になったという。1683年3月29日のことだとか。


恋する少女の放火事件 - 浮世絵 - 八百屋お七 | もさくの浮世絵はじめました。
 

「八百屋お七」の話は、井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になった。

その「八百屋お七」が『丙午(ひのえうま)』年の生まれだったということで、江戸時代の「丙午の年には火災が多い」という迷信とともに、「丙午生まれの女性は気性が激しく、夫の命を縮める」という迷信に繋がったという。

『丙午(ひのえうま)』というのは、十干の「丙(ひのえ)」と十二支の「午(うま)」の組合せで、60年に一度やってくる。ということで、巷の『丙午生まれ』は、1966年(昭和41年)生まれということになる。

ちなみに、日本における1966年の出生率は、前年に比べて25%下がった。迷信というか「八百屋お七」の力恐るべし。お七さんは、さかのぼる300年前の1666年の生まれである。

ところで、僕はこれまでの長い人生で、女性から「私は『丙午生まれ』よ」と言われたことは、たった2回しかない。『丙午生まれ』だと認識している直接の知人もこの二人だけだが、典型的な『丙午生まれ』っぽく、アグレッシブに活躍されていて嬉しい。

さて、また無駄話が随分長くなったが、5年後に次の『丙午』がやってくる。少子化時代の『丙午』がいかに過酷なものか想像し難いが、僕の孫が「丙午の女」になる可能性は十分にある。

それまで僕も元気で楽しみにしたいと思う「夜桜」の日であった。