大川小学校津波裁判の
記録映画生きるを見てきました。
東日本大震災の津波で、大川小学校の
生徒と先生84人が亡くなったことは、
わたしたちの記憶でも薄れることはないですね。
子を亡くした父兄たちは、
自然災害だから仕方がなかった・・・
という諦めの気持ちの一方で、
子どもたちが登れる山が
学校のすぐ裏にあったのに、
なぜ川沿いに避難させたのか?
助かる命ではなかったのか?
という思いも強くお持ちのようです。
しかし
学校側の答弁では事実が隠蔽され、
その時に起こったことを明らかにするためには
裁判という方法しかなかったのだそうです。
これは5年間を闘った裁判の記録映画です。
2人の弁護士とともに、
関係者から聞き取り、学校との応答を記録し、
そのなかで父兄たちは、
地震が起こり津波警報が発令されて、
子どもたちが校庭に集められた際の様子を
少しずつ辿って行きます。
学校側に避難のマニュアルはなく
一部の先生と生徒からの
山に逃げよう!
という声にも拘らず、避難は遅れ、
川沿いに逃げる途中で
生徒たちは津波に襲われたのでした。
津波到着まで約51分。
もし山に逃げたのであれば、
山の津波到着点の高さまでは、1分程。
このことを実証したのも、原告団でした。
こうした5年間を経て裁判は勝訴しました。
学校が子どもの命の
最後の場所になってはならない
これは、裁判官の言葉です。
勝訴したとは言え、全てが判明した訳では無く、
父兄はこれからも遺族としての日々を歩む。
そんな、何とも辛い現実を感じる
映画の終わりでした。
上映会の主催者さんからは、
そんなことは起こらないだろうと思わず
じぶん事として考えてほしい
という言葉がありました。
実際この震災で、赤ちゃんから預かる保育園が
子どもたちを守り抜いた内容が、
震災後、保育関係誌げ・ん・き №126↓に
ルポされていました。
どの園もしっかり対策がなされていたのです。
げ・ん・き №126
エイデル研究所/¥876.
この映画は自主上映で、
週末に日程を組まれているところが多く、
昨日は、唯一月曜日に予定のあった
岡崎の蓮華の家共同保育園さんに
出向いたのでした。
ところが、東名の工事渋滞。
豊田から先、止まっている時間の方が多く
(アイドリングストップ27分でした。)
残念なことに
映画は後半しか見られませんでした。
それで、戻ってから
ネットをあちこちと覗いて前半の情報を埋め
見てきた後半部分へと繋ぎました。
その過程で見付けたのが、避難の際別行動し、
山に逃げて助かった小学生男子のこと。
漁師であるおじいさんの
津波が来たら山に逃げろ!
という教えがあったからだそうです。
誰が何と言おうと、自分で自分ので命を守る、
それは、子どもでも大人でも、
何より大切なことであると思います。
組織としての災害対策を万全にすると同時に、
自分で考え自分で行動する人を育てることを
目指さなくてはいけませんね。
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