私がセラピストになるまで~社会人編②厄年とアロマの道へ~ | 馬喰町・銀座アロマテラピーサロン ニワトコ-庭常-

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こんばんは!オープン準備中Aromatherapy salonニワトコ―庭常―の
オーナーセラピスト青野です。
昨日今日のレスリングの試合のこと書き出したら止まらなくなりそうな位
感動しました!!吉田選手、本当にありがとう。
朝の番組でTOKIOの国分くんも言っていたけど本当にこの一言に尽きます泣
連日オリンピックで寝不足ぎみな方が多い中空気読まず失礼します汗
ボリューミーな「私がセラピストになるまで」シリーズの続きをお送り致します!!


「私がセラピストになるまで」シリーズ
◆バックナンバー◆

・幼少期~高校生編
・大学生編
・社会人編前半


《厄年 24歳》
自分の人生で厄年かと思う位嫌なことが重なったり変化の多い時期はありますか?
私は迷わず24歳の頃と答えます。


ざっくりと書くと
*新しい仕事のストレス
(合わない職場・認められたい焦りからの空回り)
*家族・自分の命にかかわる病気
(それに伴い職も失い世間から隔離されて置いてきぼりにされたような気持ち)
*家族内の環境の激変
(これから先どうなるんだろう、っていう不安)
でした。
家族に関することは家族の意向を尊重して詳しく書けませんが
私のこと・今に繋がったことを書いていきます。


《転職》
仕事に慣れて楽しくなってきた頃に
会社自体の組織改編により部署や人員がすべて変わることになり、
転勤と別の業種への転向の辞令。
夢中になっていたものをひょいっと取り上げられたような心境・
戦力に全然まだなれていないんだと無力感を思い知らされました。
そんな時に家族の重い疾病が発覚、認知症が進んだ祖母の介護が始まりました。
今家をあけるわけにはいかないと退職を選びました。

2011年震災明けの4月、販売の仕事をしていました。
慣れない10cmヒールにバッチリメイク・髪をがっつり巻いて立ちっぱなし。
一言でいうと激務でした。人も仕事もキツかった><
「私も早く顧客様が欲しい!」「早く認められたい!」
「お客様の個人情報の扱いが雑でどうしてこの言葉をわざわざ選んだ?って
驚く位嫌味ったらしくて大嫌いな先輩に負けたくない!!
仕事で見返せるようになるんだ」って焦れば焦るほど空回り。
当時の私は負けず嫌い通り越して傲慢・
おかしいと思ったらすぐ言い返すような
ちっとも可愛げのない子でした。
負けず嫌いって聞こえはいいけどそこで発揮しなくてもでした。
「どうせ売り上げを全部先輩のにするんでしょ?」って信用してなかった。
(これは実際あったからだけど)
素直に分からないって言ったり甘えることが全然出来なかった。
気負って空回りして毎日疲れが抜けなくて自分の心身もいっぱいいっぱい。
売り場で花柄のフリフリなワンピとか可愛い服を着てただけに
メイクを落とした後の疲れた顔つきが酷かったのが際立って仕方なかった><
友達と会ってても仕事の話になるとマイナスな言葉ばかり出そうな自分がすごく嫌でした。


《緊急入院→無職・世間から隔離されたような感覚》
9月ごろ、穴をあけられない5連勤を控えた2日前から
立てない位左下腹部が痛み、おかしいと病院に行ったら即入院。
軽度の膀胱炎と急性腹膜炎でした。
小さい頃はしょっちゅう風邪をひいてたけど入院は初めて。
「連勤控えてるんで困ります」と何度言ってもドクターストップ。
「こんな状況で無理です」とお腹を軽く押されて立てなくてうずくまる始末。
家族と職場に入院する旨を電話して職場からは主治医が間に入って
一旦話がついたけど色々揉めて入院中に退職の話を進めてました。

科は消化器科で相部屋でした。
自力で排泄が出来ずシモのお世話が必要な人もいたようで
ナースさんも当たり前のようにシモの様子を見ようとしたり
体拭きましょうかと言われて
「(お世話が必要になる自分を想像してそうなるのが)絶対嫌だ!」って
心底思いながら自分でトイレができること・自分でシャワーを浴びに行けることのような
日常当たり前にやっていることのありがたさを痛感しました。

ベッドがトイレと近くて毎日私も同室の方も尿検査のために
採取するので時々床にこぼれてたり尿コップが近くに置いてあって
カーテンを開けるとものすごく臭くて。
夜中何度もナースコールをして泣き喚く同室の方もいて
「何事?!」と夜中眠れませんでした^^;
(入院して数日は泣き声が気にならないほど
痛かったと思うとホント恐ろしい。。)
お見舞いに来た母に頼んで手持ちの精油ボックスと
初心者向けのアロマの本を持ってきてもらって
抗菌消臭スプレーを作って自分のベッド周りにシュッシュしてました。
当時は本に書いてあるまま「○○効果」を重視して選んで
「これ持ってない、どんな香りだろう。
退院したら買いに行こう」と興味を募らせてました。

退院後も通院が続いて1つの用事で出かけるだけでもどっと疲れて
人間動かないとこんなに体力が衰えるのかと愕然。
たった1週間の入院だったのに(その間に職を失ったのも大きいけど)
1年以上世間から隔離されてたような気分になりました。
あの不安感・日ごろ当たり前に出来てることへの感謝に気づけたことはきっと一生忘れられない。
退院明けあたりからFacebookが浸透し出しててふと登録してみると
友達の結婚・仕事やプライベートが充実してそうな投稿がいっぱい。
当時の私には眩しすぎて友達も一気に遠くの人たちに見えて
自分からとても連絡を取れなかった。

退院1か月後今もお手伝いさせてもらってるシフトが緩い
通販会社の事務と接客のバイトを始めながら
AEAJのアロマテラピーインストラクタースクールに通い始めました。
母校は生活の木 表参道校のスクールです♪
一度ヒルナンデスの取材でスクール2Fのカフェに来てた
関ジャニメンバーのロケ中にレッスン日がかぶったことがありました!!
二人ともとても感じよかったです。横山君お肌キレイだったーLOVE


《家庭環境の激変》
年明けに親と親戚のことで色々あり、
これからのこと・不安が頭から離れないこと・悲しみが
入り混じって毎日一人になると泣いて気持ちを落ち着かせていました。
私は重い悩みはある程度吹っ切れてからじゃないと
人になかなか言えないけれど、同じような経験をした友達
(友達思いの超ポジティブな子)にある日電話で相談した時
「ゆうちゃんが今どんなに不安に思ったり悲しんだりしてても
お父さんには分からへん。
悲しんでいようと同じように時間は経っていくから
一旦頭から離して今一番やりたいことやったり笑って楽しく過ごしたほうがいい!

っていう力強い言葉を貰いました。
家族のことを考えなくなる=現実逃避、自分勝手みたいに思って
ずっと頭から離すことに罪悪感があったけどその言葉にハッとしました。
その日から「好きなこと・やりたいこと…アロマをもっと勉強したい!」と
大学時代アロマのカルチャー講座に来てた大学OGの講師が頭に浮かんで
好きなことを楽しそうに発信して、それを必要としている人に喜んでもらうこと。
とても魅力的な働き方・キャリアだと思い出しました。
それが趣味から「好きなことを仕事にして生きる」
のちに「セラピストとして生きる」ために踏み出す後押しの言葉でした。


《セラピスト資格を取るまでに 光が差した時期》
アロマテラピーを深く学べば学ぶほど精油のことが
ライフサイクルに応じてサポートしてくれる心強いものなんだと知ってさらに好きになりました。
当時までは歳を重ねることを「歳を取る、嫌だ誕生日嬉しくない」
「25過ぎたらおばさん」とマイナスに捉えていました。
ですが当時お世話になった先生がご自身に・お嬢さんに・
ご主人に・お嬢さんの出産産後に・ペットに・介護にと
ライフサイクルや目的に応じて精油を活用されていることを
レッスン内で生き生きとお話ししている姿や
周りのアロマ繋がりで知り合った方も年齢や家庭の状況に関係なく
好きなことを仕事にしている姿を目にして
娘から妻・母・祖母へとライフサイクルの変化に当時は不安を感じていましたが
歳を重ねるごとに役割が変わるごとに引き出しや深みが増すこと・
アロマっていう心強い味方があることから「きっと大丈夫!」って
歳を重ねることにポジティブに、
「歳を重ねるごとに今が一番楽しい」と言える人生を送りたい。
常に今を生きていたい
と思うように変わりました。


色々めまぐるしすぎて気持ちがついていけなかったり
変な負い目もあったけどこの1年がなかったら今の私は絶対いない。
よく「複雑な家庭なんだね」とか言われたり同情されたりするけど
大丈夫、心配ご無用ですキラキラ
フラットに接してもらえるのがいちばんありがたいことなんです。
5年前より老けたけれど当時の私の基準だと「おばさん」になったけど
今の私の方が絶対人生楽しんでるし好きと胸張って言えます。

以上、長くて重たい内容を最後まで読んで頂いた方
本当に本当にありがとうございます。
(のちに読みやすく、構成をちまちま変える程度の修正は入るかもしれません)

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