私がセラピストになるまで~生い立ち編~ | 3ヶ月で成約率・顧客満足度を上げて幸せセラピストライフを送る方法

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こんにちは!ニワトコ―庭常―の青野です。

以前アロマテラピーとの出会い  は書きましたが
今日は私の幼少期から高校生までのことを書きたいと思います。
どうしてサロンを開業しようと思ったのか・
どんなふうに歩んできたのか・私の人となりを知って頂きたくて裸になります><
主に心に残ってることを中心に書いています


感覚的でどこか大人の目を気にした子ども時代 幼少期~小学生
愛知県生まれ、今も味覚は名古屋魂引き継いでます♪赤味噌大好き
田舎の喫茶店のモーニングに反映された
与えることを惜しまない温かい県民性が
大好きです

育ちはずっと東京寄りの千葉県で
チーバくんの鼻下辺り、現在は松戸市に住んでます。
千葉県民の特権(?)「チーバくんでいうとここ」
使ってみました!

10代の頃は「家の周り畑ばかり!
野菜の無人販売所があるなんて田舎でダサい」と
思ってましたが
今ではほどよく田舎な所含めて大好きです♡


台風など自然現象を過大に想像してすごく怖がってました。
よく熱を出したりよくケガをしていて
親泣かせな子供でした。


プールでぼーっと空想したり絵を書いたり
自転車で公園の坂道を下ったり
みんなでわいわい よりは
マイペースに遊ぶのが好きでした。


近所に男の子の幼なじみが多かったので
小学校低学年までは一緒にゲームしたり
少年ジャンプ回し読みしたり男の子と遊ぶ方が多かったです。

描いた絵を見て「元気がもらえる」の一言から
絵を描くのも好きでした。
「ノンタン」シリーズ、「ぐりとぐら」シリーズ
「100万回生きた猫」など絵本を読むのも好きだったので
当時の将来の夢は絵本作家でした。



中・高校生-ドスコイ期・反抗期-

1駅で東京都内なのに通学路には畑があって
学校の敷地内にたぬきが出るような
田舎の中高一貫の女子校出身。
校則も厳しく不良になりようがない環境でした。

所作が身についたことは唯一良かったことだと思います。

反抗期まっさかりの背伸びしたい時期。
父から「お前はすねかじりだ、学費以外の金は自分で払え」と
高校から一切お小遣いがなかったので、
未成年だったのも役立たず認定されたのも嫌で
「そう言わせるもんか」と火がついて。
自分で学費以外のお金を稼ごうとバイトをするのも
学校にバレないように一苦労でした><

負けず嫌いなのも他人軸だった価値観も「~と言わせない!」って
対抗意識からやってきたのが大きく出てるのかなって思います

中1から中3にかけて急に思春期ニキビが増えて太りやすくなり、
メイクとかオシャレに興味が出てきた頃なのに
何かあかぬけない、
自分のイメージ通りに思い通りにならない
イライラを抱えてました。

中学の頃人生で最高記録に太りました。
(写真は全部捨てました><お見せ出来なくて残念!)
155cmに65kgどすこい!
コンプレックスも体重もピーク!

「ニキビまっさかりな安西先生(スラムダンクの)」
今はセラピスト仲間と練習をしていても
骨の位置が分かりやすくてお役に立ててますが
当時は肉で埋もれて「鎖骨って何ですか?」でした。
今なら笑って言えるけど黒歴史です!!

当時甘いものを無性に欲してて菓子パン1日に3個とお菓子がアタリマエでした。
しかも部活やってなくて強いて言えばライブ見に行くのが好きだったので
カロリーの消費場所がそこだけ汗


勉強は基本的に好きなんだけど成績もやる気ある・興味がある教科以外からっきしダメでした。

図や表を書くとか1つのものに集中するとだいぶ聞き漏らしてて
数学は結局わけわからなくなって追試の常連だったり。
理科の血液循環や人体なんて当時は
「(教科書の図が)気持ち悪い!」
「血がダメ!」で本気で受け付けなくて赤点取ったこともあります。
その位苦手だったものが今アロマセラピストになって「血液循環は〜」とか「へぇ、○○筋ってこーゆー形なんだ」って
解剖書をまじまじ眺めてスーっと入っていってるので、
人間どう変わるか分からないな~と思います。

高2の頃習熟度別クラスの文系で1番上のクラスにたまたまなって
それまで「平均取れていればいいでしょ」、「80点台取れたら大の字でしょ」と
自分のための勉強じゃなくて親に怒られないための勉強に目的がズレてたのが、
80点台でも順位が最後の方に近くてみんな当たり前のように満点に近い点数。
それでも本気で悔しそうにしてる。
そこから「私のアタリマエ・及第点」を見直して、
ようやくちゃんと試験勉強をするようになりました。
勉強って「何がわからないのかさえ分からない」
「勉強の仕方」自体がわからない時が一番つらいけど
それがなくなれば楽しいんだってわかってからは火が付きました燃え*

勉強は楽しいけど美容系の仕事にもあこがれを持っていました。
当時メイクをするのがすっごく好きで、
安くてかわいい化粧品や可愛い香水瓶を集めてました。
アナスイとか化粧品メーカーのキレイな広告が好きで、
当時よくライブに行ってたバンドのメンバーのメイク前・メイク後の
もはや芸術的な違いから・コンプレックスを消してくれるからと
メイクする仕事に就きたいと思って美容系の専門学校に行きたいという私と、
「大学以外許さない、出ていけ」と話を遮りヒドイ時は物を投げられ笑
頭ごなしに怒鳴られて全く話し合いにならなくてよく父親と衝突していました。

ヘアメイクといっても美容師免許があったほうが有利。
でも美容師になりたいわけじゃない。
大学に行くか専門学校に行く説得をするか悩んでいた矢先
手にはねたカラーリング材でただれるように荒れて、
「肌が弱いと務まらない」と悩んで美容師の経験を積まなくてもヘアメイク
または美容部員になれないか調べて、大卒でも美容部員採用があることを知って
大学にひとまずは行くことを決めました。
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当時の将来の夢はヘアメイク・美容部員か、意外と言われますが予備校教師(まぁこれは一時的でしたが汗)でした。
どちらもショーのような、ライブ感があること・
「やってもらいたい人(受けたい人)対象」なこと・
人の意識や気持ちごと変える仕事だからって全然違う仕事だけど
大きな理由はおんなじでした。


のちにこのドスコイ田舎娘が、「おら東京さ行ぐだ」と大学デビューをして
社会人になってどうしてセラピストになるにいたったのか。
それは次回お話ししたいと思います♪
(注)けっこうヘビーなことも書きます!!