「アナザースカイ」~大杉漣~ | 日々のダダ漏れ

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日々のいろんな気持ちや体験を、ありあまる好奇心の赴くままに、自由に、
ゆる~く、感じたままに、好き勝手に書いていこうかと思っています♪


テーマ:

「アナザースカイ」

 ~大杉漣~

 

 

沈黙劇とは、その名の通り、

セリフの一切をなくした演劇。

音楽もほとんどない。

大杉がかつて在籍していた劇団、

転形劇場の演出家、太田省吾により、

1988年まで、上演されていた。

 

物が落ちてるとして、例えばそれを拾おう

とする。3メートルぐらいの距離しかない

んですけど、5分ぐらいかけるんですよ。

できれば、瞬きもしない、表情も作らない

状態で、水を飲みに行ったり、物を拾い

に行ったりするっていう、ことを僕16年や

ってました。

 

16年、沈黙劇にどっぷりはまった。

 

そのゆっくり動くことによって、人間の

本当にその何か、リアルな感じが、

見えてきたりすることがあるんですね。

あと、やっぱり…。

自分のことを考えます。

そこで起きてることが、演劇であり、

観劇であり、体験であるみたいな。

非常に特殊なメソッドを持つ演劇

だったんで。

 

だからこそ、間違ってほしくなかった。

 

何が何でもこうでなければならないって

いうことを、太田さんはやったわけでは

なくて。「俺たちはこうだったよ」ってこと

を、その、太田さんではない演出家の

方に押しつけることはできないと思うん

です。ただ、それを僕らは俳優なんで、

舞台の上で、こうだっていうことを示す

ことができる。そのための1ヶ月の稽古

ですよ。作業としては。

 

**********

 

人は、聴きやすかったり、見やすかった

りする方にやっぱり行きたがるっていう、

習性があると思うんですね。僕らの7年

前にやった演劇って、聴こうとしないと

聴けない部分もあったり、見ようとしな

いと見えなかったり。僕は正直いっても

っと日本の若い人たちにこの舞台を観

てもらいたいっていう風に思ってました。

 

**********

 

俳優、大杉漣。始まりは23歳。

 

 

太田省吾に憧れ、転形劇場に入団。

 

壮絶な時間でした。

だから、劇場に寝泊まりしてました。

劇場っていうか、その倉庫にね。

 

 

転形劇場は、

普通の芝居小屋ではなく、

倉庫や工場、

時には大谷石の採石場で公演。

舞台はおろか、客席も全て

自分たちで組み上げる。

 

 

特に海外での評価が高く、

ヨーロッパを中心に2か月以上

公演を重ねることも。設営運営は、

全て自分たちで賄った。

 

**********

 

 

大杉が、初めて韓国を訪れたのは

30年前。劇団員時代のこと。

 

どっちかっていうと日本よりも、海外で

公演してる回数が圧倒的に多かった

ので、ソウルオリンピックの、演劇祭

というか…それの招へいで。当時の

イメージと全然違うんですけど。

 

旅慣れた一座の海外公演。

しかしあの日は、

いつもと様子が違っていた。

 

いつもならみんなでこう、ホントに貧乏旅行

なんですけど、公演終わった後、今日どう

する? どっか行って食べてあれして、みん

なでワイワイするのが楽しみだったりする

んだけど。あの、正直ソウルで公演の時に、

みんなでそういう時間を、持たなかったと

思います。じーっとこう、出番を待っている。

 

その日楽屋は、

重く冷たい空気で満たされていた。

 

 

なぜなら、解散が決まっていたから。

 

まぁ、解散っていう形がなければね、

正直言うとホントに僕ずっと、舞台

やってたと思いますよ。

 

続けられるものなら、続けたい。

そんな切ない気持ちを抱えたまま、

公演に臨んだ。

 

利益を追い求めれば、

存続できたかもしれない。

けれど太田省吾は、

それを良しとはしなかった。

 

 

太田さんは、そういう世界で1番真逆

にあって、彼は、最後まで自分たちの

やり方をやるんだっていうことを押し

通しました。稽古は普通大体1ヶ月と

か1ヶ月半とかですけど、転形劇場は

3ヵ月やりました。新作は。長いんです、

だから。最初の頃はセリフをちゃんと

しゃべってて、それを、練習してそこを

捨てていって、どんどん言葉を削いで

いって、最終的にはもう、感嘆詞すら

なくなっていくっていう。だから沈黙っ

て音は聞こえないけど、言葉はあるん

ですよね。稽古を10日間くらい続けて

いく時に、一言だけ言うんですよね、

僕にね。

「大杉。君は飽きないのか?」

って言うんですよね。

10日間ね、とっても一生懸命やってて、

何かをやってる。怒ることがないんで

すよ。怒ることよりも更に怖いんです

よね。その先を見たいのに、

「君はまだそこかい?」っていうことを。

その繰り返しでしたよ。

だから、不思議と、(解散して)自由に

なれたっていうところもあったんですよ。

それも正直ありました。

だからどこ行ってもいいんだけどどこ

行こう?ってところもちろんあって。

 

願わくはずっとこのままで。

そう思っていたはずなのに、

解散に自由を感じる自分が、いた。

 

**********

 

Vシネマっていうのがありまして…。

いわゆるヤクザ物、いきなり沈黙劇

からヤクザにいくんですけど。大体

若頭か組長ばっかりやってました。

何本ぐらいやったか記憶にないんで

すけど。若い子たちが、「いや~現場

きついっすよね」ってたまにこう。俺そ

の時何もきついと思ったことなかった

りするんですよ。

 

三十路半ばの再出発。

ピンク映画で…Vシネマで…

頂いた役を片っ端からこなした。

そんな時だった。世界の北野と、

運命の出会いを果たしたのは。

 

ちょっとたけしさんの話をさせて頂くと、

「あの夏、一番静かな海」って見た時に、

こんなにこう黙ってる映画で成立するん

だっていう。僕ひょっとしたらたけしさん

の映画出たいな…って思ったんです。

その時に。ホントそれは偶然だったん

だけど、その時に、その次の映画のオ

ーディションを、受けさせて頂く事にな

って。運があったのかどうかわかりませ

んけど。まぁ、合格させて頂いたという。

で、現場に行った時に、「黙っててもい

いよ」っていう事、結構あったんですよ。

その時の何か嬉しさっていうか、「突

っ立ってていいんだ」、皆さんどう思っ

てるか分からないけど…。「俺突っ立

ってるの大好き」って言いたくなったし。

「黙ってます」っていうのも、何かそうい

う手法を、北野武さんとやっぱり僕が

味わえたのは黒沢清さんという監督で

した。これは僕にとっては、劇団解散し

てから本当に大きな出来事であったし、

励みになったんですよね。

 

16年は無駄じゃなかった。

研ぎ澄ませてきた最大の武器を、

北野武が生かしてくれた。そして、

「300の顔を持つ名バイプレーヤー」

と、呼ばれるまでになった。

 

今こうやって、どうにかなっているでしょう

けど、うちの家人も、こうしてあぁしてって

いう人じゃないので。あの…。大変だった

と思うんですよ。僕の子供まで2人も産ん

で下さったりしてて、経済的な事考えても、

僕は、ギャンブルとかよくやってましたし。

すみません。そんな事もありましたし…。

 

妻に感謝。

支えてくれた事務所のスタッフに感謝。

太田省吾に感謝。みんなに感謝。

劇団解散から30年、

今や海外からも、出演オファーが届く。

 

**********

 

2016年公開の映画、「隻眼の虎」。

メガホンを取ったのは、韓国で今、

最も評価の高い監督。

 

北野武さんの作品とかに相通じるものが

ありまして。いや素晴らしい監督だなと思

いまして。それはもう一も二もなく僕は…

もう快諾というよりは、出させて頂くという

感じだったと思います。

 

沈黙劇から始まった俳優人生は、

やがて世界へと繋がっていった。

 

30年前にそんな事はまず考えなかっただ

ろうし、まぁ…。何だろう…。雑な言い方

すると、その時一生懸命やってるぐらい

の事しかないですね。

 

その時その時を、懸命に生きてきた。

今回どうしても、逢っておきたい人がいた。

7年前、舞台で共演した大先輩。

(韓国を代表する舞台女優、ペク・ソンヒ)

また一人、大切な人を失った。

 

 

大好きだった俳優さん達がたくさん亡くな

られてるんですけども…そういう人たちと

現場を一緒に過ごした時間っていうのは、

やっぱり何事にも代え難い時間なんです。

何かを直接教わったっていうよりも、現場

で過ごした事が僕にとっては1番のリアル

な言葉であるという考え方をしてるんで。

僕より後の世代が僕をどう見ているか僕

は分からないけど、俳優のなんか1番こう、

失っていけない部分、冒険するだとか挑

むとか、そういうものに対する、その、精

神を、現場でちゃんとこう、味わいたいし、

味わってもらえるようなその時間を、共有、

これからもしたいなっていう思いは、ちゃ

んとあります。

 

現場に立ち続ける事こそ、

俳優にとって最も大切な事。

それを伝えていきたい。

 

**********

 

30年前、公演を行った思い出の会場へ。

 

こんな広かったっけ。

 

奇しくも今年、大杉漣は、太田省吾の

没年と、同い年になろうとしていた。

 

 

 

まぁ、いつか、僕も…ねぇ。

そういう意味では、すごくリアルに考えな

きゃいけない「死」っていうものがあるん

でしょうし。考えるってわけじゃないけど。

ただ僕ね…あの…死にたくないとも思わ

ないし、と言って死にたいとも思わない。

死ぬっていう事がわかってるってだけで

あって。死ぬまでの間にじゃあ、俳優と

してどれだけね、できるかっていう事は、

分からない。

 

いつも漣さんは…

芝居の事ばかり考えていた。

 

何かしようとする精神があると、

確実にダメなんですよ。

だから何かをそこにいるだけで

いいのにっていう。

 

何かをやろうとすると、

分かりやすい事になるわけですよ。

むしろ逆だったんですよ。

 

だからいつもね、思うんですよ。

「お前それでええのか?」

…っていうように、やっぱり

聞こえてくる部分があって。

 

何もしないとこから、何か表現と

いうものを生み出そうとする。

 

答えに向かって進むのではない。

進んだ先で、

答えが見つかる世界を生きてきた。

 

やっぱりね…。こういう、空間って

ちょっとワクワクしません?

 

**********

 

もしやろうとしたら…。

金儲けの事を考えたら俺

いろいろあると思う、副業。

俺そんなん全然興味ないし。

うん…。

銭は要するに役者で儲けると。

 

喜んで頂きたいなって気持ちは

やっぱりあるんですよ、それは。

正直、当然ね。表現者として。

 

まぁ、申し訳ないけど、もうちょっと

生きたいなって思ってます。

っていうか僕はもうちょっと

やりたい事もあるので。

66歳でも希望がいっぱいありますよ。

 

選んだ道に間違いはなかった。

 

21日にバンドでライブがありまして…。

何の練習も…

なかなかできないんですよ。

 

やりたい事は片っ端からやる。

表現者としてあらゆる事に、

全力で挑み、全力で楽しむ。

 

それが、バイプレーヤーとしての

新たな顔を生み出すと信じてきた。

 

 

もう母親も父親も死にましたけど…

「ホンマに人間が困った時に、

ちゃ~んといてくれるのが、

友達なんやで」って母親がよう言う

んです。よう言うてました、それを。

僕にね、小っちゃい時から。

それいまだに残ってるんで。

 

本当に困った時、

側にいてくれるのが、友。

 

 

俳優、大杉漣は、

最後まで現場に立ち、

挑戦し続けていた。

 

 

そして、たくさんの友と、家族に、

見守られながら…

 

 

寄り添われながら、

 

 

2月21日、旅立った。

 

 

**********

 

大杉漣、最後に歌う。

 

 

♪歩き疲れては 夜空と陸との

 隙間にもぐり込んで

 草に埋もれては寝たのです

 所かまわず寝たのです

 歩き疲れては 

 草に埋もれて寝たのです

 歩き疲れ 寝たのですが

 眠れないのです

 このごろは眠れない 

 陸をひいては眠れない

 夜空の下では眠れない

 ゆり起こされては眠れない

 歩き疲れては 

 草に埋もれて寝たのです

 歩き疲れ 寝たのですが

 眠れないのです

 

表現者、大杉漣、66歳。

蓮さん、

向こうでも、楽しんでください。

 

 

**********

 

番組冒頭、漣さんの顔を見た瞬間、涙が

溢れてしまった。とても悲しくて辛いけど、

映像が残っていてよかったと心から思う。

 

現場に立ち続ける事こそ、
俳優にとって最も大切な事。

まさに、その事を体現して見せた漣さん。

本当に困った時、側にいてくれたのが、

友であり、仲間だったことに、救われる。

 

遺作となってしまった「バイプレイーヤー

ズ」の最終回が本当に素晴らしい編集で、

まさに、現場に立ち続けた、漣さんの生き

様を見せてもらえた事が嬉しくて、泣けた。

 

いくつになっても、夢はいっぱいあってい

いし、やりたい事がいっぱいあっていい。

まだまだ、もうちょっと生きたいと思いな

がら人は生きていくんだよね。それがか

なえられたり、かなえられなかったりしな

がら、人は生きられるだけ、生きるのだ。

 

もっともっと、あなたが挑戦し続ける姿を

見たかったけれど…。今もまだ、あなた

がこの世界にいないことが信じられない

けれど…。生きている今を、人を、大切

にしなければという思いが日々強くなり、

あなたのおかげで、丁寧に生きようと思

えるようになったことを感謝する毎日で。

 

漣さん、

好きなことを、好きなだけ、

思う存分、楽しんでますか?

今もどこか、アナザースカイを、

気ままに旅しているだけですよね?

 

ありがとう、漣さん。

映像の世界で、また逢いましょう…。

 

(個人的に残しておきたい部分を書き起こし

ていますので、その旨、ご了承下さいませ)

 

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