見えてきた男性側の視点 | \出会ったからにはしかたがないっ/

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ツインレイを通して出会う、本当の自分

こんにちは、ぴぴですにっこり

 


私は彼の気持ちが何にもわかってなかった

それどころか全く違うものを見ていたし

無自覚に彼に呪縛をかけていた…

 

 

そんなことを感じています驚き

また長くなりますがお付き合いいただけると嬉しいです。

 

 

 

 

 

私の中の対極の性質が統合されたのち、自分の自由意思で現実を動かすことが目下の課題になっています。

そこで今私を支えているのが

 

 

 

『自分自身の人生に責任を持ちたい』

 

 

 

という気持ち。

何か揺れることがあっても、どんな時でも自分に戻ろうという意思が働くようになってきました。

そんな折ふと、思ったのです。

 

 

 

「彼は強い自我をもって現実を動かしてきた人だけれど、それは本当に彼の望みだったのだろうか」

 

 

 

と。

こう考えるきっかけは、彼の後輩の言動でした。

私はこの男性がとても苦手で、できれば関わりたくない人でした。

(このブログでも極めつけに苦手な人として何度か取り上げていますw)

相変わらず主張も行動も好きではないのですが、彼の言動に見え隠れする『男性側の苦しみ』にようやく気が付いたのです。

 

 

 

 

 

 

これまで私はこの人が鬱陶しくて大嫌いでして…

ツインレイ彼がこの後輩氏を気に掛けているのでしぶしぶ…という感じでした。

男らしさとか女らしさとがぐだぐだ語っては上からアドバイスなどしてくるのですが、自分は反省する気がない。

自己批判を受け入れられない姿が女々しく映って仕方がないのです…

 

 

 

私の父は本当に男の美学みたいなのにこだわった人でした。

とある界隈で日本一になっていて、本当に命がけでその哲学を追求し、行動結果ともに誰にも文句を言わせないを体現してきた人です。

それだけに、

 

 

「こんなダラダラした人に男の何たるかを語られる筋合いはない」

 

 

と内心思っていました。

あなたはそれができるほどプレッシャーに向き合ってないじゃんと。

私は男でもありませんし、私が成し遂げたことではないので表には出しませんでしたが、正直不快でした。

それくらい父と感性が癒着していたということもあります。

 

 

 

でもこれが盲点でした。

無自覚に男性に「男とはかくあれ」と呪いをかけていないかと思ったのです。

 



 


 

思えば私は無私を強制される環境でした。

逆に男性(ツインレイ彼)は、自我を強制される環境なんじゃないかと。

 

 

 

これまでは私は出会う人出会う人に「いい人だね」「純粋だね」と言われ続けてきましたが、自ら望んでやっていたわけではありません。

環境に要求された結果、自分でアクセスできない領域に「無私である”べき”」という観念が根を張っていただけです。

それが陰陽統合後、改めて自ら選べる状態になりました。

 

 

 

では彼は?

 

 

 

自分の意思をもって強く現実を選んでいく頼もしい人

どんな人にも分け隔てなく接する懐の広いリーダー

誰もが納得せざるを得ない実力

たゆまぬ努力で成長し続ける模範のような人

 

 


 彼はこれを体現しています。

…でももし、彼が環境に求められるまま、もはや自分で選べない状態で自分に課していたとしたら?

 

 

 

実際私はこれを無意識に彼に求めていました。

彼の苦しみの本質を理解せず、無邪気に憧れ、尊敬し、嫉妬すらして。

それなら私の見ている彼は一体…

一体私は彼の何を見ていたのか、と。。。

 

 

 

 

 

 

 

かつて父が自身の活動について

 

 

 

「好きでやっているわけじゃない」

 

 

 

といったことがあります。

彼のいた世界は日本や世界のレベルでは実際命がけですが、それでもあくまでも趣味の世界。

好きじゃないなんてありえない、そう思っていました。

でも実際”ただ好き”でいられなかったのかもしれません。

男として、自分に、家族に、社会に、責任を果たさなければいけないから。

好きなものであっても必ず趣味を超えるものに昇華させなければいけなかったんだと思います。

 

 

 

父はどんなに苦しかっただろう。

そして今彼はどんなに苦しいのだろうと。

おそらく自覚すらできていないんじゃないでしょうか。

見ているものは違っても、自分を生きられない同じ苦しみを私も知っているから。

 

 

 

 

今私は、「自分を生きる責任を果たし”たい”」と思っています。

そしてそれだけが彼のためにできることだと思います。

どれだけ揺れても、自分に戻る。

自分の責任を果たす。

そしてまたはたと、これこそまさに彼がサイレントの段階でしてくれていたことではないかと気づきました。

私が私の意思で選ぶことができるようになるのを、彼は自分のことをしながら待ってくれていた。

しかも「果たさ”ねば”」の苦しい中でです。

 

 

 

だからこそ彼を信じて待たなければいけない。

これは私の意思で、私が望んで自分に課すこと。

彼がインナーチャイルドを癒して、自分の意思で選びなおすことができる日を待ちたいです。

 

 

 

 

 

 

ツインレイは「嫌いな人がいなくなる」と言われますが、本当にそうなんだなあと改めて感じています。

個人レベルの好み云々話ではなく、本当にすべての視点を統合していく学びなのですね。

その意味で件の後輩氏にも大変申し訳ないと感じています。

後輩氏も自分の幸せを見つけられますように、そして全ての人が自分の心の望むように生きられますようにと祈るばかりです。

 

 

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございました°✧˖°

あなたのすべてがあなたの愛で満たされますように°˖✧˖°♡