こんにちは、ぴぴです。
ツインレイ彼に出会う前、私はスピリチュアルからはとにかく距離を置いていました。
とにかく目に見えないフワフワしたものに頼るのはよろしくない!
そういう考えでないといけない状況があったからです。
(その割に身内に僧侶がいたりコアに瞑想を実践している人がいたり、スピリチュアリティを考えること自体は身近でした)
では今はどうか?
今日はちょっとそんなお話をしてみたいと思います。
スピリチュアル、別にフワフワしてない
フワフワさせるか否かはその人による
と私は思います。
どう定義するかで印象が変わるなというのは感じています。
見えないものが見えるのかと言われると、「感じてはいるけどコントロールができない」が現状です。
恩恵を感じたことは特にありません。
視覚的聴覚的にハッキリ見えるならまだしも、身体全体で反応するという感覚なのでぼんやりです。
なのでコントロールができず、伝えることもままならず、色々とうまくいかない状況を経験してきました。
奇しくもそのコントロールの仕方を教えてくれているのが彼です。
自分の感覚を客観視できる場と、コントロールの手段、そしてそれを身につける時間を与えてもらっています。
彼との出会いもあって、私的にはスピリチュアルは身体的感覚に紐ついたリアルなものという位置付けになりました。
元々心と身体の繋がりを模索するため、身体側からのアプローチを選択した結果ここにたどり着いたわけですが、見えない世界というのは特別なものでもなんでもないというのが現段階の理解です。
ちなみに人間の元々持っている感覚を超えたものに関してはわかりませんし、あまり興味もありません。
見えないからこそシビア
いわゆる物理的に触れられない感覚というのは、フワフワどころかかなりシビアな世界だと思います。
思考とは違う高精度なセンサーを扱う感覚です。
それを思考を介入させずにいかにコントロールするかみたいな話になってくるから大変なんですね。
でも結局やることはとことん自分に向き合うことだけです。
これが難しいものだから修行をする人がいたり、何かしらの補助輪をつけた方が学びやすいねという話になるのでしょう。
サインみたいなのは面白いんですけど、正直ちょっと本質からズレるなあと感じていたりはします。
そこはあまり必死に追いかけず、何か感じることがあったら自分の心に目を向けるためのきっかけとして利用するくらいがいいのではと思います。
逆に…
逆にですね、ツインレイに関してはみなさん現実面の経済的自立のところで詰まる方が少なくないんじゃないかと思います。
スピリチュアル文脈がフワフワしがちだからと言って、ことさらにこの部分を強調して見るのにも注意が必要だと思っています。
ツインレイ関連も焦りにつけこむような形で語りかけてくるビジネスをちょくちょく見かけます。
そういうマーケティング手法があることは十分承知していますし、入り口だけで中身は違うのかもしれません。
人のビジネスに難癖つける気はないのですが、ここに関しては私個人的には否定的です。
焦りから何かを始めて自分の外側に身につけるやり方は、この学びの真逆にあるものだと感じているからです。
フワフワと言われればそれまでですが、経済的自立も“成る”ものです。
精神的自立も経済的自立もその起こりは全て一つの同じものからであると確信した時にしかるべきタイミングで勝手に動き出します。
それは全然全くスピ界隈と縁のないことだったり、ツインレイなんて言葉を忘れるほど縁遠いことだったりもする訳です。
経済力は大事です。
でも『自分が幸せであるために』何がどう大事なのか、どれくらい必要なのか、そのすべてを自分で定義できなきゃ意味がないんです。
お金があればなんとかなるとか、そういう外側の理屈は事実ではありますが、それはわざわざここに結びつけてやることじゃないと思っています。
注目すべきは選択肢の拡大です。
お金があるから、お金を得る行動を取るから選択肢が広がるんじゃなく、自分の中の選択肢が広がるからお金もついてくるしその方法が見えるようになるんです。
いろんなツインレイ情報がある中で経済的自立に関してあまり詳しく出てこないのはなぜだろうと以前は思っていましたが、本当に頑張るべきことはそこじゃないからだろうと思います。
ツインレイに出会ったら本当にどこまでいってもスピリチュアルです。
本当にリアルに、自分を生きていくためのスピリチュアルを学ばされると思います。
私はそう感じています。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました˚⁎⁺˳✧༚
あなたのすべてがあなたの愛で満たされますように˚✧₊⁎⁺˳✧༚♡