電話を一方的に切られたのに、
私は、架け直す事が怖くて出来なかった。
いつも私がしていたみたいに、
着拒否をされていたら、立ち直れない・・・。
そう思った。
メールを送ろう。
部屋に戻って、彼へのメールをしたためた。
どうしたら許してくれる?
何て謝ったら、もう1度やり直してくれるの?
なんでもする。
ヨウが許してくれるなら、
私、何だって出来る。
だから教えて。
すがり付く、みっとも無い女になっている事は、分かっていた。
でも、それでも良かった。
プライドなんて言葉は、あの時の私には無意味だった。
ヨウともう1度一緒にいられるなら、何もいらない。
心からそう思った。
送信しても、返事は来なかった。
また、メールをしたためた。
お願いだから、無視はやめて。
家を捨てて、ヨウの所に行っても良い。
二度と、試す様な事は言わないと約束する。
逢えなくても、困らせない。
だからお願い。
別れは嘘だと言って。
それが嘘でも良い。
嘘でも良いから、別れないと言って。
泣きながら、何度も、同じ様なメールを送った。
でも、返事は1通も来なかった。
ただ、送信できる事だけが救いだった。
送信BOXが1月6日分だけで一杯になる位、
私はメールを送り続けた。
私は、何通りかのメールを、
何度も何度も送るだけの機械になっていた。
ヨウがそれをどう思うのか、考える余裕は無かった。
ベッドに入って、日付が7日に変わっても、
同じ動作を繰り返した。
いつの間にか少し眠ったみたいだった。
仕事に行く前の、いつものヨウの時間、
ヨウからのメールが届いた。
やっぱり、分かってくれたんだ。
おはようって、いつもの通り、メールをくれた。
喜んで、私はメールを開いた。
弥生へ。
と、表題がある事で、またひとつ安心して、本文に進んだ。
弥生へ。
いつからストーカーみたいな真似するようになったんや?
こんなメール貰って、俺の気持ちが変わると思うか?
賢い、弥生らしくないで。
私は、ベッドの中で声を上げて泣いた。
本当にもう終わりなんだ。
頭の中では分かっていた。
何を言っても、どう謝っても、
もう、ヨウの気持ちは変わらない。
分かってはいた。
でも、それを認めるだけの余裕が、心には無かった。
2005年の私の仕事始めは、11日だった。
まだ休みが続く事が救いでも有り、
余計な時間が有りすぎる事が、不幸でも有った。
何時までベッドにいたのか、窓の外は暗くなりかけていた。
朝も、お昼も食べてはいなかった。
義母には、風邪引いてしまったから、
1日部屋で眠ると、朝の内に告げていたし、
旦那さんは、仕事の後、新年会で帰りが遅いと聞いていた。
結局私は、丸1日ベッドの上で過ごした。
ヨウからのメールの後、何度もメールをしたためたが、
怖くて送信ボタンを押せなかった。