その頃、旦那さん(以後オーちゃんと呼びます。)は、高校3年生で、私は大学1回生だった。


オーちゃんにお金はなく、私が家庭教師で貰ったばかりのバイト代3万円が全財産だった。


高校は8日から始まるので、私達の駆け落ちロードの全日程は3日間と最初から決まっていた。


帰ることを前提の実力行使だったからか、私たちに暗さは全く無く、どちらかと言うと婚前旅行のような気分だった。


1日目はオーちゃんの友達の家、2日目は私の友人ち、で、3日目はちょと遠出して京都の近江屋旅館に泊まった。


旅行気分の3日間はアッと言う間に過ぎ、二人で家に戻ると、思っていた以上に双方の親たちは困憊していた。


結局私は大学を1年休学し、オーちゃんの就職先での仕事が落ち着いたら一緒になっても良いと言う結果になった。


それでも母は最期まで入籍に拘り、暫くは同棲して籍は大学卒業後に入れて欲しいと言い続けていた。


今にして思えば母の杞憂は正解だったのだろうが、若い燃え上がるだけの私たちには聞く耳が無かった。


その後、半ば反対を押し切る形で家を出た私たちは、親に頼らず本当に2人だけでの慎ましい新婚生活をスタートした。


数年間は本当にお金が無く、毎日モヤシ炒めが続く事もあった。

調味料は当時、スーパーに良く置かれていた中華味の試供品だった。


それでも不思議な事に、その貧乏な頃は喧嘩をする事は殆ど無かった。


今にして思えば、2人で力を合わせて生きて行く!!と言う、強い団結心があったからなのだろう。

(それが数十年後、こんな風に別の人を心に宿す事になるなんて・・・・)。


自分たちの収入で生計を立てると言う事を経験してみると、働きながら大学に復帰するなんて事は甘い事だと分かり、私は両親に内緒で大学に退学届けを出した。


(その事を後々知った母は、狂乱し自律神経失調症になった。)


私はそうまでして一緒になった旦那さんが3年も経たないうちに浮気するなんて思ってもいなかった。