みなさん、お久しぶりですー。
お元気ですかー??
私は、いつも通りに暮らしています。
多少のアップダウンはあれども
内面的にもほぼ静かな状態。

最近では、今まで以上に内側の世界を漂うようになりました。
外界との接触を最小限にしているというか。
もちろん外に買い物に行ったりはしています。
パートもしていますし。
必要以外は極力やらないようにしている、というだけですね。
たぶん、誰でもいいわけじゃなくなったんだと思う。
どこでもいいわけじゃない。
この人!!
ココ!!
っていうのがないと動かないってだけで。
やはり私は少数派なのだなー。
友達も多けりゃいいってもんじゃなく、
この人だーと思う人と(できれば)長く付き合っていきたい。
だけども囲い込むつもりもなくて、合わなくなったら離れたらいい。
そこは流動的でいい、というかそうなるだろう。
いつまでも友達でいようね♫
なんていうのは、重くて仕方ないし
身動きが取れない気がして非常に窮屈。
誰にも何かを制限することなど不可能なんだもの。

今年に入って、某ウイルス騒動で自粛だなんだと
不自由な状態が続いて、私がわかったこと。
不自由、制限というのは人が作り出しているものだ
ということ。
もっと言えば、
自分自身が作り出している
んですよねぇー。
枠、囲い、制限、不自由…
それらは全て、幻想なのかもしれない。
そしてそれに自ら囚われていってる。
1ヶ月くらい前だったでしょうか??
ある芸能人の不倫が話題になってました。
名前忘れましたけど(興味ないから)、男性でした。
お昼ご飯の時に、テレビをつけたら
それに関してやっていて。
ある女性のコメンテーターが喋ってた。(芸能人です)
相手側の女性に関してとても辛辣な、私からすると冷たいコメントをしていました。
たぶん、不倫された側の奥さんの立場にたって
コメントをしていたんだと思うんですが
ここで私はすごく不思議に感じたんです。
不倫ということは、相手がいることで成り立つので
不倫「された側」の女性と、「した側」の女性は同数いるはず。
なのになぜ、多くの人は「された側」の立場に立つのだろう??
「した側」になる可能性は考えないのだろうか??
そこを考えたら、そこまで辛辣なこと言えないよね??と。
私は、自分が経験して、色々と感じて考えて…
そして私なりの結論として
「結婚」「夫婦」なんてただの箱、呼び名である。
というのを導き出したのね。
結婚したから幸せなわけでもないし
夫婦だから安心なわけでもない。
「結婚」したこと、「夫婦」であることに
安心してしまい、そこに胡座をかいてしまうと
その重みで壊れることだってある。
つまりは、「関係性」についたただの「呼び名」なだけ。
そこに縋り付きすぎなのかもしれない、今の日本人は。
そこに多大なる権威があると思いすぎなんだろう、今の日本人は。
そうなると、「不倫」っていうのもただの「呼び名」。
ただの呼び名に意味を持たせすぎ。
「母親」「妻」「嫁」「成功者」「ビジネスマン」…などなど。
ぜーんぶ、呼び名。ただの呼び名。
そこに絡め取られる必要なんてない。
母親だから、母親なのに
妻だから、妻なのに
嫁だから、嫁なのに
成功者だから、成功者なのに
ビジネスマンだから、ビジネスマンなのに
そうやって自らを狭い殻の中に閉じ込めなくてもいい。
呼び名にそこまで大きな意義を与えなくてもいい。

そんな外側のことに囚われるんじゃなく
自分がどうしたいのか?
が大事なんじゃないかなぁ??
自分の内側を見つめてみて
どうしたいのか?どう思っているのか?
聞いてみて、その都度対処する。
それで良いのではないかなぁ??
まぁ、私はぶっ飛んでるのかもしれないけど
一つ言えるのは、ぶっ飛んでるかもしれないこの考えに至ってから
私はすごく楽に生きられるようになった、ということ
なんか、このことはね
ブログに書かなきゃ!!ってすごく思った。
ってことは、どこかにこれを必要としている人がいるってことだよね。
届くといいなぁー