時代への警鐘 | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

時代への警鐘

今から一世紀以上前に書かれた文章ですが、最近、この文章に書かれていることを考えることが多くなりました。

例の中国や韓国での「反日騒ぎ」も沈静化(表面化していないだけですが)しているようなので、冷静に自分のスタンスについて考えてみたいと思っています。

【以下はあくまで、筆者が個人的に自省した際に心に響いた言葉です。ここを訪問して下さった皆さんに対する、筆者の宗教的表明ではありませんので、誤解の無いように願います】

 

内村鑑三

病的愛国心(Diseased Patriotism)

 

 「愛国心は常に人類特愛の徳なりき」と有名なるフランスの一文士は言えり。「愛国心は確かにわれらの時代の特愛の徳なり、そはわれらの時代の宗教とすら成れり、しかして宗教としてそれは当然そのタータフ(偽善的信仰家)を有す。もしモリエールがわれらの時代の人なりしならば、彼らはモリエールの描かんと欲したるたぐいのものなり。このたぐいの偽善がルイ十四世時代の宗教的偽善に劣らず民衆に厭はしきものとなるの日は、遠からざるなり」と。

 フランスにおけるごとく日本においてしかり。かつて愛国心が現在のごとく声高に我国人によって叫び廻られしことなく、その名をもってこれ以上の害悪のおこなわれしことなしとは、余輩の信ずるところなり。愛国心の名において危害は国賓に加へられ、しかして同じ名においてわれらは軍備急増を求むる叫号によって、破産の淵に瀕せしめられつつあり。わが教育制度は愛国心に訴うるその声の極端なりしがゆえに腐敗せり。唯一人の真の愛国者を産することなくして、愛国心の騒音はほとんど国土を溺れしめたり。このたぐいの愛国心については、われらの訴うる声ますます少なからざるべからず、それにますます多きを求むべからず。

 愛国心が純粋にして真実なる為には、無言にして無意識ならざるべからず。真実なる人にして己(おの)が国に対し熱烈なる愛を有せざる者はあり得ざるなり。愛国心は彼には「自然の感情」にして、彼の負える皮膚の色のごとく脱ぎ去るあたわざるものなり。そは彼の存在そのものの一部分にして、真正無雑の自己の当然の結果なり。われらに真の人を示せ、しからば彼の愛国心を保証せん。しかれども、人の真心はその愛国心によりて保証することあたわざるなり、そは愛国心はあまりにしばしば「悪漢の最後の拠り所」なればなり。

 無言に畑を耕す農夫、勤勉に読書にいそしむ学生は、愛国心を説くことを職業とする人々よりはるかに愛国者なり。しかして数百万のかかる無言の農夫と数十万のかかる勤勉なる学生のこの国にあるは、少数のこれら職業的愛国説教者のあるよりも、日本国民の愛国心のために多くを弁ずるものなり。まことに日本人の愛国心は、これらの騒がしき愛国者によりて言い触らさるるにははるかに余りに深きなり。そは無言にして無意識なり、しかるにこれら「タータフ」連の口に唱うる愛国心は、健康と力を求めて叫ぶ病人の訴えたらざるを得ず。

 しかして愛国心とは、われらが己れの国に負う明白なる義務を果たすこと以外の何者なりや! 隣人に親切なること、貧しき者乏しき者に同情すること、勤勉にして鄭重なること、等などは、われらの見るところによれば国家の拡大を策しわが国民の美徳を誇ることと同じだけ愛国的なり、多くの場合にはそれ以上に愛国的なり。芝居がかりの愛国心は、実に十分以上を有せり。日本が大いに必要とするものは、深き無言の無意識なる愛国心にして、今日の騒々しき愛国心にあらざるなり。

(1898年3月31日『万朝報』)

 


武士道とキリスト教

武士道は日本国最善の産物である。
しかしながら武士道そのものに日本国を救うの能力(ちから)は無い。
武士道の台木にキリスト教を接いだもの、そのものは世界最善の産物であって、これに、日本国のみならず全世界を救うの能力がある。
今やキリスト教は欧州において滅びつつある。
そして物質主義にとらわれたる米国に、これを復活するの能力が無い。
ここにおいてか神は日本国に、その最善を献じて彼の聖業を助くべく求めたまいつつある。
日本国の歴史に、深い世界的の意義があった。
神は二千年の長きにわたり、世界目下の状態に応ぜんがために、日本国において武士道を完成したまいつつあったのである。
世界はつまりキリスト教によって救わるるのである。
しかも武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教によって救わるるのである。

(1916年1月 『聖書之研究』)(信23/191)