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☔ ⑥日大二高通りに密かに残る出桁造り商家
前回の記事で「八丁通り商店会」に残る戦前物件はだいたい見終えたので、いったん青梅街道と環八の交差する四面道交差点まで戻ることにする
というのも、その交差点のすぐ向こう、西荻窪側から見て少し荻窪駅寄りで青梅街道から斜めに伸びている日大二高通りが以前から気になっていたからだ
環八に向かう途中、先ほど見たせっかくの銅板葺き看板建築に青いブリキ波板を張ってしまったバチ当りな物件に明かりが灯っていたので、なんとなく撮影した
しかし帰宅後、その写真を何気なく眺めていたら店舗入り口の上に銅板葺きの部分が、わずかに残っていたことを発見してテンションが上がった
ところで、日大二高通りと言われても地元民でもなければ、さっぱり意味がわからないと思うので地図で説明する
地図の画面を「↖️」に横切っているのが青梅街道である。そして上下を「↑」貫くのが環状八号線だ
地図の左手で見切れている青梅街道の環八から先が「八丁通り商店会」で、つまり僕はこの地図の左手から右下に向かい環八を越えたところで、「↗️」こっち方面に続く日大二高通りに向かうわけだ
上の写真は日大二高通りから青梅街道を見た構図。下の写真はその逆に青梅街道方面から日大二高通りを見た構図である
青梅街道から通りに曲がってすぐの場所には明かりが灯っている店舗が並び、街灯には「天沼新生会」という商店街の名称を記した看板が下がっていた
こちらの広島お好み焼きの店なのに、何故か「八丁堀」という屋号の店を写した写真を見ると、いかにも商店街といった雰囲気である
ところが商店街の体裁を保っていたのは、青梅街道から曲がってすぐの場所だけで……
そこから先は明らかに廃業しているものと思われる看板建築が並び現役で営業しているような物件は、ほとんど見かけなくなってしまった
また、建物の間口から見て以前は看板建築だったのではないか? という新しい建物や古いビルが並び、この通りが商店街としてある程度栄えていたのは、昭和中期頃までのことではないかと思われた
上の写真の渋いモルタル物件は現地で見たときは、廃業して無住で放置されている元和菓子屋と想像したが、帰宅後にGoogleマップで確認してみると驚いたことに現役の染物屋であった
下の写真の看板建築は、店舗だった部分がふさがれて住居仕様にされているから廃業物件であることは間違いないだろうが、雨戸や建物の側面に描かれたリアルな犬のイラストが意味不明である
ところで、今回の記事の一連の写真を見て、あることにお気付きだろうか?
“あること”とは「空」そして「雲」である。先ほどから濃い灰色の雲が低く垂れこめていたのだが、その雲が灰色からドス黒い雲に変わりパラパラと雨が降り出してきたのだ
雨も降ってきたし、どうやらこの通りは、すでに終わった商店街みたいなので引き返そうかと考えていると、前方に煌々と明かりを灯した現役の店舗が見えたので、その物件を見てから引き返すことにして、そちらに向かうと……
一見すると、どこにでもありそうな廃業したコンビニ(というかセブンイレブン?)の跡地を利用したクリーニング店のように見える
あたりが急に真っ暗になってしまったため写真だとわかりにくいが、この建物は……
驚いたことに出桁造り商家をコンビニ的な店舗に魔改造した物件だったのだ!
出桁造りの部分の向かって右側には、看板建築まで付随しており、戦前物件と見てまず間違いないだろう
このような戦前物件があることから日大二高通りが古くからの道筋であることは明らかだが、この裏手に住んでいたのが文士村と呼ばれた荻窪を代表する作家の井伏鱒二だ
荻窪には他の文士も住んでいたが、僕がもっともリスペクトする文化人である徳川夢声もこの界隈に居住していて、そのあたりが中央線文化の源流となっているのだろう
などと言ってるうちに、ますます雲行きが怪しくなってきた
これはもう荒れるのはまず間違いなさそうので、この先は見るべきものもないだろうし、雨が弱くなっているあいだに荻窪駅まで戻ることにした
こういった場合、同じ道を戻ってもおもしろくないから、途中で見て気になっていた妙に曲がっている脇道を使って駅まで戻ることにした
僕の脳内地図アプリが間違っていなければ、こちらの道に入って途中で右方向に曲がれば、おそらく教会通り商店街に出るはずだ
続く
†PIAS†
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