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🚑 《年間ベストショット2023年》11月・相原・北鎌倉 

 

 

僕のブログは、1回に掲載する写真を15枚程度に制限しているので、やたらと写真数の多いものではない

 

それなのに、ひとつの町を年間ベストショット2回ぶんに分けなければならなくなる事態になるのは、ひとえに連載回数が多いからで一般的には何の見所もないと思われている町を、十数回連載するのは日常茶飯事である

 

 

今回は、それとは違い密度が高くて写真を省略しきれず次のブログも11月の後半になることを、最初にお断りしておく

 

さて、11月の1発目は東京都町田市と神奈川県相模原市に隣接する相原からはじめる

 

 

 

 

相原

 

 

 

 

 

相原は、最近西口にロータリーができたが、基本的には東口を降りた駅前付近に数軒の店があるだけの都内とは思えない地味な駅である

 

駅前にあるほんの数軒の商店街、とは言いかねる場所を抜けると旧町田街道につながる道に出るが、その道に出たとたんに、わたってもガードレールて封鎖されているためどこにも出ないトマソン橋がある

 

 

トマソン橋から旧町田街道方面に向かうと、すぐにこんな風景が目に入ってきた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこまでも続くかのような屋根付き黒板塀と土蔵、茅葺き古民家ばりに大きな入母屋屋根の豪農屋敷である

 

これだけ大きいと都内の一等地なら二代継続するのは不可能な天文学的な相続税が発生して跡形もなくなっていただろう

 

 

もちろん、東京都内にも江戸時代の規模をほぼ保った砂川の砂川家や日野の有山家など例外は多数あるが、それはたいてい土地の安い(都心部と比較して)郊外のことだ

 

以前、書いたが小学校の同級生の父親が取締役に昇進して、田園調布にある車回しのついた洋館の役員宅に引っ越したが、今、その邸宅は跡形もなく何軒もの家に細分化されている

 

 

 

 

 

 

 

 

黒板塀の豪農屋敷から旧町田街道に入るとすぐ左手に不自然な位置に土蔵が並んでいる場所に出くわした

 

土蔵は街道沿いと土地のいちばん奥という離れたところにあり、その周囲はガランとして何もなく、さらに土地の右端には古い物置小屋のようなものがあり、これなどは豪農屋敷の屋敷が解体されてしまった跡地であろう

 

 

そして、その物置小屋の先にあったのが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四足門に長屋門の半分だけくっつけたような興味深い門構えの、またしても豪農屋敷である

 

屋敷の前に小さな橋のようなものがあり、ひと跨ぎできそうな砂利の隙間があるが、おそらく以前は、この砂利の部分が水路だったにちがいない

 

 

この屋敷の隣にあるのが、今回の目的地のひとつである……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有形文化財の「青木家」である。青木家は代々の医院というだけではなく青木得庵は天然理心流・近藤三助の弟子で自宅に道場を構えるほどの剣士であった

 

そして息子の省庵も同様で、武州の豪農の多くがそうであるように、明治以降は自由民権運動に身を投じている

 

 

ちなみに、省庵は土方歳三の類縁、谷保村の医師・本田覚庵の弟子、この相原村の隣の村は新選組の近藤勇の師匠である近藤周助の生まれた小山村なので、おそらく近藤や土方もこの屋敷を訪れたと考えて間違いないだろう

 

 

残念ながらこの日は休診日だったので門は閉ざされたままで、茅葺き屋根のまま残った主屋は屋根しか見えなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは青木家の裏門。通用門が隣の豪農屋敷の門と同じレベルというのが凄い。というか、こんな豪華な裏門は他では見たことがない

 

 

 

 

 

 

 

 

青木家には屋敷に付随する裏山も残されており、そこから屋敷の巨大な屋根がチラリと見えた

 

首都圏でこのように屋敷だけではなく付随する土地まで残った現役の豪農屋敷は、前述の砂川家、横浜市の関家、飯田家ぐらいだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

町田街道から旧横浜街道(旧国道16号線)に曲がると出桁造り商家を看板建築に改装した味わいのある建物が残っていたが、久しぶりに訪れたら住居仕様に改装されてガッカリした

 

しかし、そのすぐ向かい側にある……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

農家のものとしては、かなり巨大な有形文化財の牛久保家長屋門が残されている

 

 

この長屋門の門前スペースは、どうやら駐車場のようで僕は3回見に行ったが、常に車が停まっていて門だけ撮影できたことがないのが残念だ

 

この牛久保家のすぐ先は、文字通り東京都と神奈川県の県境になっている境川が流れており、その川沿いにも

 

 

 

 

 

 

 

 

おそらく茅葺き屋根の古民家を魔改造したものと思われる巨大な入母屋屋根の主屋を持つ豪農屋敷がある

 

このあたりは、かつての橋本宿の中心部で境川をこえて相模原市に入ったとたんに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向かい合う3棟の豪農屋敷が残っている。残念ながらこの界隈が宿場町として賑わいを見せていたのは、かなり昔のことで商家はほとんど残っていなかった

 

この豪農屋敷群のすぐ先で旧国道16号線は八王子バイパスの国道16号線と合流してしまうため、真っ直ぐには行かず左に曲がり橋本の駅前の繁華街を横目に見つつ駅前通りを通過

 

 

さほど行かないうちに、それまでビルばかり並んでいた通り沿いが住宅街に変わったとたんに……

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほどまでの桁外れなスケールではないが、こんな立派な農家の屋敷が目に入る。ここからがクライマックスである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に度肝を抜かれるのが、こちらの原家長屋門である。後ろに聳える巨大なマンションと比較してもその大きさがわかろう

 

残念ながら「主屋」は解体されて「社屋」にされてしまっているが、雰囲気だけは残っている

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに原家の隣には、どこまでも続くかなような屋根付きのこんな長~い塀が。この塀の先には期待に応えるかのように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小山家の長屋門が残っていた。こちらは屋敷林も主屋も残っているが、鬱蒼とした屋敷林に阻まれ主屋がどんな屋敷なのかは一切目に入らない

 

という、これが東京都町田市の相原から、神奈川県相模原市の橋本の見所であった

 

 

ということで、後半は鎌倉にハマるきっかけとなった北鎌倉の散策である

 

 

 

 

 

北鎌倉

 

 

 

 

 

北鎌倉の散策は計画したものではなく、この日せっかくの休日だったのに、会社の健康診断をサボったツケで、横浜の外れにある港南台の診療所で健康診断を受けたことにはじまる

 

健康診断は、思ったよりアッサリと終わり余った時間を横浜ぶら歩きしようかと漠然と考えていたが、ふとGoogleマップを見ると港南台から北鎌倉までは、たった3駅であることに気がつき唐突に北鎌倉に向かった

 

 

変な出口で出てしまったので、すれ違うのもやっとという、猫道のような狭い隙間をすすんで、ようやく踏切を見つけて駅の反対側に出て最初に目についたのが、上に掲載した2棟の古民家である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北鎌倉の大船方面は、観光地という鎌倉のイメージからかけ離れた、まるで山あいの地味な宿場町のような雰囲気で、僕の心を大きく揺さぶった

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、さすが古都と言われる鎌倉だけあって、戦前物件もあちこちに残っている

 

さらに大船方面に向かうと鎌倉街道のすぐ手前に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな素敵な出桁造り商家が! 残念ながら廃業してしまっているようだが、よく旧態をとどめており、かつての店内の上がり框には万年青の鉢植えが趣を深くしていた

 

これで、無計画の極みの散策に俄然弾みがつき、今度は鎌倉の鶴岡八幡宮の方面に向かった

 

 

 

 

 

 

 

 

路地裏にもこんな素敵な古民家が

 

まるで小津安二郎の映画に出てきそうな屋敷だが、小津はこの屋敷の左手後方の山の中に屋敷を構え北鎌倉が舞台の「晩春」「麦秋」などの名作を撮った

 

関係ない話だが、宮崎駿が「となりのトトロ」のお父さん役に、プロの声優ではなく素人の糸井重里を起用したのは、あの訥々とした喋り方が笠智衆に似ていたからだと類推している

 

僕は声優(とくに若い女子)の、キャラを強調するためワントーン以上高くした滑舌のよい鼻にかかった声が大嫌いなので、糸井のナチュラルな仕上がりに、さすが宮崎。わかってらっしゃる! と、思わず膝を叩いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北鎌倉駅の付近まで来るとそれまでの閑散とした雰囲気は一変し、いかにも地方の街道沿いのようなユルい風景に変わる

 

それまでの廃業した店舗ばかりが目立っていたのとは対照的に、なんとも懐かしい商店街のあの雰囲気だ

 

 

 

 

 

 

 

 

町中華の名店と言われている「中華料理 大陸」は、残念ながら定休日で閉まっていた

 

 

ブログ本編では書かなかったが、じつはここで夕食を摂ろうと漠然と考えていたので、けっこう落胆する。さすが定休日を引く男の本領発揮である

 

何しろ事前に調べて出掛けた施設が、改装工事とか臨時休業だった……なんてことは日常茶飯事になっている

 

 

そして、北鎌倉で最大の見所は駅舎を出て鎌倉方面に向かい建長寺の少し手前にある

 

 

 

 

 

 

 

 

ズラリと古民家が並ぶこの町並みであろう

 

僕は鎌倉周辺は、ポツリポツリと単体で古民家が残るだけで、町並みとしては存在していない。という認識だったので、これにはかなり驚いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一連の建物の真ん中にある茅葺き屋根にトタンを被せた物件が度肝を抜くが、その並びは房総スタイルの古民家であるところが渋い

 

それに挟まれているのは、残念ながら廃業して店舗の部分が住居仕様に改装されてしまった武州スタイルの平入切妻の出桁造り商家

 

 

ダメ押しに、その並びに妻入の商家が2棟と、5棟の古民家が並んだ風景は鎌倉地域では随一の景観であろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湘南新宿ラインの踏切を越えると2棟の渋い茶室が残っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先を、鎌倉の鶴岡八幡宮の裏手に向かうと恐ろしい雰囲気の崖下に簡素な住宅があった

 

建長寺が近づいてくると2棟の房総スタイルの建物があった。鎌倉地域に何故か房総スタイルの建物たくさん残っているのは、おそらく東京湾の向こう側は房総スタイルの本場、千葉県だからだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

建長寺の先の丘陵を登ると稜線は切通しになっていた。地図を見ると巨福路坂切通とある

 

この切通しを越えた坂を下りきったところが鶴岡八幡宮の裏手で、八幡宮を横目に見ながら小町通りを抜けて鎌倉駅に向かった

 

 

この散策がきっかけとなり鎌倉にハマることになる

 

 

 

 

 

 

†PIAS

 

 

 

 

 

 

 

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