🏠🏠☕🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠

 

 

 

 

 

 

 

☕ 《年間ベストショット2023年》9月・淵野辺・練馬区江古田 

 

 

 

 

 

 

淵野辺

 

 

 

 

 

9月の一発目は、今までこの町を散策するようなブログを一度も見たことがない町、相模原市にある淵野辺を散策した

 

淵野辺といったら、たいていのひとは、あー、とくに何もないよくある郊外の町だろ。と、あまり関心を持つことはないだろう

 

 

僕がこの町を初めて訪れたのは、5、6年前に相模原市緑区に残る古民家を調べようと駅から至近にある図書館を利用したときである

 

それまでは駅の西側を通る国道16号線を車で通過したことがある程度で、まったく気にも止めていなかった。ところが、この町にリサイクルショップのセカストが出来たので、久しぶりにおもむくと上に掲載した元は商家だったものと思われる出桁造りの建物を発見してしまった

 

 

木造二階建て平入切妻、建物の後方が片流れ……という、この様式は典型的な武州の戦前の商家のもので、見つけたときには、まさかこの町にそのような古民家があったとは! と、驚愕したものだ

 

というのも、この建物の横、つまり僕が建物を撮影している場所のすぐ後ろは県道のアンダーパスになっていて、そこなら車で数十回は通過していたからである

 

 

わずか数メートル脇を数十回も通過しておきながら、何故この建物に気がつかなかったかといえば、アンダーパスの出口は、この建物よりほんのわずか先にあり、真横を通っているのに道路に高低差が生じて、見事に死角になっていたのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのことがきっかけとなり俄然、この町のことを知りたくなって調べてみると、元々、ここには帝国陸軍の施設が多かったのだが、敗戦を迎えると進駐軍に接収されて米軍基地に転用された

 

米軍基地といえば特飲街。当然、荒くれ者の兵隊の慰安が求められ基地に隣接したこの町は、相模原地域で最大の歓楽街になった

 

 

当時を知るひとの談話によると、現在は普通の商店街になっている駅の東側には、兵隊相手の飲み屋や安手の売春宿などが林立し酔って暴れる兵士やヤクザ者、不良学生が夜な夜な暴れ回る物騒な町と化したそうだ

 

それはそれで、ちょっと見てみたい気がするが……

 

 

ちなみに、上に貼った「梅津時計店」は、廃業しているようにしか見えないが、現在も営業する現役の店舗である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあたりが、かつての特飲街の跡地である

 

しかし現在は、ごく健全な商店街になっており、バラック飲み屋とかカフェー建築のような怪しい建物は、完全に一掃されてしまい跡形もなく消え去っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町を散策すると、ところどころにレトロな店は見られるが、怪しい建物があるどころか、ここでも大規模区画整理や巨大マンションの建設などによって、どこにでもありそうな郊外の町にされようとしている最中であった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一見すると廃墟に見える「梅津時計店」だが、店を開けると昭和中期のまま時を止めたような懐かしさがこみ上げるような素晴らしい佇まいだ

 

駅前通りにある僕の大好物であるマーケット形式だった「ショッピングセンター 箱根屋」は、残念ながら廃業してしまったようだ

 

 

この通りをしばらくゆくと右手に姿をあらわすのが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に見たときは、あまりの素晴らしさに言葉を失った片流れの看板建築「趣味の園芸 たねと苗の 大国屋」である

 

擬石ブリキ板で縁取られ、真ん中は縦線を基調にしたシンプルなデザイン、横部分には擬レンガのブリキ板と波板……典型的な東京の戦前型の看板建築を、まさか相模原市で見るとは夢にも思っていなかった

 

 

これだけでも個人的には途中下車して見にゆく価値があると思うが、国道16号線が通る駅の反対側のメインストリートを、数百メートルすすんだとこには

 

 

 

 

 

 

 

 

まさに相模原市の至宝。「相互マーケット」というブリキ波板のこんな素晴らしい看板建築のマーケットが目に入る

 

こちらの物件は、この先に別のセカストがあるため車で何度も通過しており、いつか取材せねばと機会を狙っていた

 

 

初めてこの物件を見つけたときは、まだ何軒かの店舗が営業していたが、現在は完全に廃墟になってしまったようだ。しかし、かつては魚屋、肉屋、食品店、洋品店などが入居していて2階は貸席になっていた

 

 

 

 

 

 

練馬区江古田

 

ということで、淵野辺の次は練馬区唯一の学生街にして昭和初期頃には、すでに商店街や同潤会の分譲住宅街など郊外の町として賑わいを見せていた江古田を紹介する

 

しかし、単純に江古田を紹介しても面白味に欠けるからヒネリを入れてみた

 

じつは練馬区に江古田という地名は存在しないのに、一般的な「練馬区の江古田」と、その駅名の元になった住所として存在するほとんどのひとが存在を認識していない本家「中野区の江古田」を同時に取材したのだ

 

 

東京という町にマニアックな探求心を持っている者なら、本来なら中野区のほうが江古田の本家なのに、何故、江古田という地名が存在しない練馬区の江古田地区のほうが江古田として認知されるようになってしまったのか気になるはずだ

 

なのに、そういった視点からふたつの江古田をリポートした記事などは見た記憶がなく、ならばマニアックな散策ばかりしている僕がやらねば誰がやるのか! という、妙な使命感にとらわれて取材はスタートした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江古田駅の周囲には、練馬区には珍しく東京の下町の匂いを強く感じさせる町並みが残っている

 

駅のどちら側を降りてもバスロータリーなどはなく、いきなり狭い道に商店街が連なっており、南口、北口のどちらも昭和の雰囲気を濃厚に漂わせている

 

 

 

 

 

 

 

 

練馬区というと郊外の印象が強いけれど、江古田は池袋駅から3駅、中野区に隣接しており、現在はイメージに反して郊外のような雰囲気は一切感じられない

 

商店街に並んでいる建物は圧倒的に戦後型の看板建築が多く、八百屋、鮮魚店、豆腐屋などの昔から続いている店舗が残り、それに学生街ゆえか安くて美味しい飲食店や飲み屋も多い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北口の商店街は「ゆうゆうロード」は、だたっ広い都道を越えた先まで続いているが、やはり僕がかねてより唱えている「広い道路は町を分断して結果として滅ぼす」説を裏付けるかのように、唐突に廃業している店舗が目についた

 

商店街が分断されたあとに、地下鉄の新桜台駅が開業したが時すでに遅かったようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、その商店街の裏手にある昭和3年に建造された有形文化財の青柳家住宅である

 

スペイン瓦の平屋建てのモダンな住宅だが窓周りがアルミサッシに換えられてしまっているため、モダンな外観がむしろ災いして、一見すると新しい建物にしか見えないのが残念だ

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、こちらが唯一現存する同潤会の分譲住宅の最後の1棟である。このような歴史的に貴重な建物を、文化財にも指定せず傍観している練馬区には、強くダメ出しをしておく。一刻も早く保護対策を講じるように

 

 

ところで、こちら北口のキラー物件といえば江古田を知る者なら誰もが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの廃業してしまったたい焼き屋をあげるにちがいない

 

以前は、この並びに僕の大好物であるマーケット形式の江古田市場もあったが、取材しようと思っていた矢先に解体されてしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、江古田市場は皆の心にも通りの名前にも残っており、この狭い路地の入り口には「江古田いちば通り」という名称が誇らしげに記されていた

 

いちば通りとゆうゆうロードの交わるところから西武池袋線の踏切を越えて、南口の商店街に入ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

建物と建物の隙間の奥に、おそらく昭和初期頃に建造されたものと思われる擬洋風建築の医院が残っているが、現役で診療を続けているため、なかに入ることはできない

 

もっとも、あまりにもスペースが狭いため、フォクトレンダー・ウルトラワイド・ヘリアーの超広角レンズでもないかぎり、撮影するのは困難を極めるだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

南口の商店街から千川通りに出てすぐの場所には、片流れの戦前型の看板建築が残っている

 

この少し先の向かい側には、廃業して住居仕様に改装された出桁造り商家が残っていたが、いや、過去形ではなく現在も残っている……のだが

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの出桁造り商家だった建物は、初めて気がついたときから住居仕様に改装されてしまった状態で、僕のような古民家マニアでなければそれと気がつくことがないルックスであった

 

だが今回久しぶりに訪ねてみると、オリジナルの部分が残っていた2階の部分にも大嫌いなサイディングボードで覆われるという、悲惨極まりない姿にされてしまっていた

 

 

いや、それでもまだ「取り壊されてしまうより百倍マシ」と自分に言い聞かせながらこの先にある二軒長屋の出桁造り商家に向かった

 

--が、あろうことか千川通り沿いに残っていた貴重な出桁造り商家は、ここでも

 

 

 

 

 

 

 

 

半分にぶった切られ先ほどの出桁造り商家と同じように、建物の元の姿を知らなければ、間違っても戦前物件だとは気づかないであろう悲惨極まりない姿にされてしまっていた

 

それでも解体されてしまうより……以下、省略

 

 

 

 

 

 

 

 

さすがにこの鳥居はそのまま残っていて少し安心したが、せっかく東京大空襲や高度経済成長期、狂乱のバブルを掻い潜って生き延びてきた2棟の出桁造り商家の魔改造には強いダメージを受け呆然としてしまった

 

なので、いつもならこの先の信号で引き返していたのだが、なんとなく信号の先のセブンイレブンで缶コーヒーを買って駐車場で一服していると、あり得ないものが目に入ってきた

 

 

 

 

 

 

 

 

東京の墨田区京島にあるようなモルタル外壁の長屋建築である。うおっ、なんじゃこりゃ。と、思わず心のなかで声を上げてしまった

 

この圧倒的な存在感。この写真に「東京都台東区東上野三丁目で撮影」というキャプションをつけても、誰も疑わないような見事な下町風景が練馬区に!

 

いや、待てよもうここまで来たら豊島区に入ってるんじゃないか?

 

 

という感動的な出合いがあり、魔改造されてしまった出桁造り商家のダメージから回復し、後半の「中野区の江古田」つまり江古田の本家の取材に対して俄然やる気が満ちてきたところで……

 

 

 

続く。えっ?

 

 

 

 

いや、実際、この記事は月をまたいでいるので、当然のように続きは10月ということになる

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠☕🏠🏠