...............日記....2006.2月15日(水)
パン1個買って、
1140のはくたかに乗った。
ここは雨。
東京は晴れ、20℃もあって、暑かった。
1510、診察。
ドクタと喧嘩になった。
あのドクタは、病人をもっと悪くすると思う。
アドバイスもしない人なので、
良くなれない。
49日分の薬を処方される。
高島屋、休日だった。
キハチで、バ-スディコ-ヒ-貰った。
22時くらいにホテルへ戻った。
ゆっくりお風呂した。
心が荒れているので、落ち着かせなきゃ。
...................
2003.9/7、
信頼していた自然食品店経営S氏に
レイプされた。
妊娠した。
2003.10/5、
強制堕胎手術させられた。
術後の経過は悪く、
2004.1月になっても
新宿レディースクリニックへ
通院していた。
2004.3月、
ラ-ラ門下ピアノコンサ-トまで
無茶に頑張り、翌日、体の異変。
2004.4月から、毎日10時間以上
涙が止まらない生活になり、
2004.9月、
強制的に心療内科へ行かされた。
ここまで重症になって来る人は
見た事ない! とドクタに言われ、
「無茶させ過ぎましたね
「我慢させ過ぎましたね
と言われ、
ドクタに言われる事を
S氏は守らず、どんどん悪化していき、
ドクタも3人変わった。
3人目のドクタは、若いドクタで
(レディースクリニックなので
ドクタ看護師女性のみ男性立ち入り禁止)
患者さんを見ず、
ガイドだけを追い求めながらの指示だった。
薬の本を見ながら、、だった。
苦しみに寄り添わず、
薬漬けにするような方で、
悲しかった。
糸魚川のイノヤパンは、
高校生時代から大好きだった。
パンマニアだったラ-ラは、
毎日、好きなパンが焼きあがる時間に
イノヤへ行った。
もう食べる事も難しいけれど
(財産が無い)
1個買って、電車の中で、
やっとやっと食べた。
食べる事は、生きる人がするモノで、
ラ-ラは生きたらいけない、、と
思っていた為、食べる事が難しかった。
クリニックは目白。
通う事も苦しみだった。
新幹線のホ-ムまたいで、
新幹線に乗る事が、恐怖だった。
人が怖い。
トンネルに入る時の恐怖。
糸魚川から東京への道中、
トンネルが何十個もある。
その度に、ビルから飛び降りるような
恐怖が襲った。
ドクタは、勝手な憶測でのレイプを
想像したままラ-ラにぶつけていた感じだった。
だから、「違う!!!」と言うのに、
聞き入れなかった。
喧嘩したくないのに、
喧嘩すると、心が揺れ出し、
苦しみになるから、
穏やかで居たいから、
喧嘩したくないのに、
喧嘩に持っていくような言葉を
発信されていた。
高島屋、、
行きつけメゾピアノと言う店で
従業員さま達と会話する事に
視点合わせて行ったので、
定休日には期待が絶望になった。
当時、キハチが、フラックスビル内に
入っていて、常連だった為、
ここなら、寛げた。
人見知り状態になっていた為、
知らない所に行く事が恐怖になっていた。
元気だった頃のラ-ラは
人見知りは無かった。
ラ-ラの誕生日、覚えていたみたいで、
過ぎていたけれど、
コ-ヒ-のサ-ビス頂いて
とっても嬉しかった。
もう、Y社長様のお力は借りれないので
ビジネスホテル予約していた。
今まで言われた事が、
体験で実感する。
心傷つき、病んだ人は、
広い部屋で寛がせる必要がある。
特に、レイプは、自身が汚れている!
と思い込み、狭くて暗い部屋に居るだけで
「レイプされたから酷い部屋なんだ」と
思い込み、益々苦しむ事になる。
よって、部屋に居ても居なくても良いが
広い空間の良い部屋に泊まる必要がある。
Y社長さまに言われた時、
涙がこぼれた。
苦しい感情に、沁みた。
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