...........日記....2006.1月4日(水)
S氏の呼び出し。
15時、上越に来い。
どこも人がいっぱいで
S氏に呼び出され、上越に着いてから
S氏の配達に付き合った。
その後、ピザを食べた。
19時まで滞在した。
21時から3美の聴音レッスン。
2030に3美来て、語った後レッスン。
将は、あいさつもできず、去って行った。
今日は何も無い。
生きれないよ。
苦しい。
............
水曜は、配達の為、S氏は上越に居た。
よって上越に呼び出される。
正月休みだったので人が沢山。
ラ-ラの人見知り状態は、
悪化するばかり。
人の中に入る事が恐怖。
知った人であっても、
呼ばれるまでは、自ら行けない状態だった。
人が多すぎた為、S氏は先に配達へ向かった。
荷物が大量に乗っていたので、
荷物の奥の隙間に乗った。かなり後方の。
ラ-ラは、1人で居る事が
出来なくなっていた。
小さい子供状態。
虚しいね。
大人なのに、子供って。
そして、
レイプされた体を人に触れて貰えないと
汚れてるから!
ゴミだから!
価値が無いから!
必要ない人間だから!
と、連鎖していき、過呼吸起こして
泣きじゃくるレベルで荒れる症状が
出ていた。
体に触れてくれれば、それは回避できる。
元気だった頃のラ-ラの真逆なラ-ラだよ。
ラ-ラは、肩を人に触られるだけで
無理だった。鳥肌立って、逃げる。
人に体を触れられる事を極限で嫌がっていた。
お腹はもっと無理。
聴診器など、ストレス以外ない。
本当に無理だから!!!!
その状態をS氏は「ラ-ラの過緊張は異常だ」
と言っていた。
なのに、レイプされた為に起こる症状が、
今まで体感した事がないコトや、
意志と真逆なコトしか起こらないので、
ラ-ラ自身の中での混乱が、
過呼吸となって苦しみになっていた。
上越から戻って2030には
スタル-ムに3美が来ていた。
3美と将は、高校卒業後、
ラ-ラの元で音楽を専門的な分野も
学びたいと希望し、大学ではなく
ラ-ラのレッスンを選んだ。
聴音、楽典、和声、、、
ピアノレッスン以外に通っていた。
21時から聴音レッスンをした。
そして、将は、無言で東京へ行った。
無言と言うことが、切なかった。
25歳までにやりたい事をしたい!!!
若い時は、誰もが思う事だけど、
糸魚川から東京に上京した。
挨拶が無い事がこんなに切ないなんて。。
交換ノ-トしたり、毎日電話やメ-ル、
レッスンル-ムへ用事が無くても
来て、ラ-ラの倫理哲学を感銘しながら
学んでいた。
大事な生徒さんだった。
沢山情を捧げていたから、
虚しかった。
病んだ心状態だったけど、
この悲しみは、忘れられない。
将と3美が10代だった時、
S氏息子のT男が市議会議員選挙に
立候補した。
ラ-ラの力を貸して欲しいと
T男は、真剣に語った。
まだレイプ事件の前だった。
全身全霊で、毎日心を安堵に導いてあげた。
電話もメ-ルも連日。
生徒の2人を全面的に協力させた。
未成年だったので、出来ない事も
沢山あったけれど、
選挙ポスター貼りに、豪雨の中
2人は頑張った。
それは、ラ-ラの頼みであれば、
本物だ!と2人は分かっていたので
承認の心しか持ち合わせてないラ-ラの
頼みなら無条件で体験する!と
2人は頑張った。
大人の支持者と違って、
19歳だったので扱いが悪かった。
それでも2人は過酷な事を捧げたのは、
ラ-ラが、いつも
「人が嫌がる事を率先してやりなさい!」
という事の意味をちゃんと理解していた。
S氏は、この2人をも裏切った行為を
現在も続けている。
3美に至っては、どこに居るのか、
全く分からない。
将は、関東圏で暮らしているのでしょう。
一生涯をピアノ通して交流する筈の
大事な生徒でした。
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