妻籠宿 〜長野県木曽郡南木曽〜 | 旅するカメラ

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妻籠

名古屋駅から特急「しなの」でちょうど1時間。
8時ちょうどに南木曽(なぎそ)駅に到着した。
あいにくの雨模様だったが山間の静かな町にはしっとりした雨が似合っているように感じる。
駅の構内にコインロッカーが見当たらなかったので駅員さんに尋ねた所、向かい側にあるタクシーの待合所にコインロッカーがあるのでそれを使ってくれとの事。無事に荷物をコインロッカーに入れた後、8時15分発のバスに乗り込んだ。木曽川の上流の美しい紅葉に見とれているとわずか7分程で妻籠(つまご)のバス停に到着した。
妻籠 妻籠

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濃い霧が山間にかかり駐車場の時点で既に幻想的な風景であるのだが、
駐車場から少し登った所に残る旧山中道は更に江戸時代の宿場町の雰囲気をそのままに残していると言う。
はやる気持ちを抑えきれない様に少し急ぎ足になって中山道への入り口に向かうと、少し坂道になった細い路地の向こう側に中山道が見えてきた。
まるで現代の道路から江戸時代への時空の狭間の様な路地。
雨が降っているからより一層幻想的に見える。


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ちょうど駐車場から上がってきたこの辺りは地図で見ると下町と中町の丁度中間あたりだろうか。
まだ午前8時過ぎだと言う事もあり人通りもまばらで静かな山間の宿場町の雰囲気をそのまま閉じ込めてしまった様な町並みを見ていると、何度も「本当に来て良かった・・・。」と心の中で繰り返しつぶやいてしまった。


そして少し先へと歩いて行くと「枡形」の案内標識が見えてきた。
「枡形」と言えばまるでお城用語の様だと思っていたら本当に同じものであった。

徳川家康が西国の外様大名が江戸に攻め込んで来るのを防ごうとして築いたものだと聞いた。
薩摩藩で言う「外城」の様な役割を宿場町は持っていたと言う事か。


【枡形の路】
江戸時代のはじめに制定された宿場は、一種の城塞の役割も持たされて整備され、宿場の出入口には必ず枡形が設けられた。宿場の枡形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が進入しにくいようにしたものである。
この妻籠宿の枡形は、明治32年からの大平街道の改修工事により、その上部斜面を掘り割られているが、よく当時の姿を伝えている。(現地案内板より)


↓この写真は枡形を下から見たもの。一番最初の写真が枡形の上から見たものである。
妻籠

アスファルトに固められた道路ではなく土の旧中山道。
雨の日は足場が悪くなるからだろうが、どんなに昔の町並みを残している所でも石畳であったりするものなのだがここまで徹底的に保存してくれるなんて素晴らしすぎる。とは言え、土の中山道はこのわずか50メートル程だけなのだが・・・それでも十分当時の街道の雰囲気を今に伝えてくれている。


妻籠

そして中山道は石段の向こう側の寺下地区へと続いて行く。
ちょうど宿泊客が出発する時間と重なってしまった為に自動車があちらこちらに停まっていたが、
これはこれで現代の宿場町の風景と言う事でいいのではないだろうか。
かつての妻籠は新しい道路や鉄道が出来た為にその街道としての役目を終えてしまい廃村寸前まで寂れてしまった事があったと言う。
やがて江戸時代の宿場町の姿を色濃く残している町並みが見直され、全国に先駆けて町並みの保存運動が起こったのである。なんでも新しく開発して大きな旅館や商業施設を建てて町おこしをすれば人が集まると言うものではないと言う事に全国の中でもいち早く着目し、そして実行した町なのだ。昭和51年には「重要伝統的建造物群保存地区』として選定されている。
ただ、古いまま残しておけばいいと言うものでもない。手をかけて補修していかなければ廃れるものなのだ。かと言って、あまりにも手を加えすぎるとこれまたよくない。
でもあまりにも商業施設が無さ過ぎるとせっかく訪れた時に休憩する茶店等が無いと旅人には辛いものがある。
その辺りの絶妙なさじ加減を求められて来るのだから難しい問題でもある。

こんな素晴らしい町並みを残してくれている事に感謝せずにはいられない。

妻籠
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その後、少し雨で冷えてきた体を温かい蕎麦と郷土料理の「御幣餅」で癒した後、
先ほど通ったときはまだ時間が早すぎて開館していなかった本陣跡へと向かった。

妻籠本陣


「本陣」とは江戸時代の宿場町の中の宿泊施設の中でも最も格式の高いもので参勤交代の大名や宮家・公家・高僧等の休泊に利用され、一般の旅人が宿泊する事は許されなかったらしい。江戸時代であれば私のような一般の旅人は決して足を踏み入れる事が出来なかった本陣。これは中に入らなくてどうすると言った具合である。
が、この時間になると他の観光客がだんだんと増えてきたのにもかかわらず本陣に入る人は少ない。
有料だからだろうか?(入館料大人300円。脇本陣・歴史資料館との共通入館料は大人700円。)
係の方から「妻籠は町並み自体が歴史資料館のようなものですから・・・。あまりお金をかける所が無いのでよかったら脇本陣や歴史資料館も合わせて見て行ってください。」と営業された。少しでも妻籠の町並み保存活動にこれで役に立つ事が出来るのであれば安いものである。
と、軽い気持ちで入った本陣だったのだが、一歩中に入ると驚いた。
ちょうど入り口が台所になっていたのだが、竃(かまど)があり、囲炉裏には本物の炭がくべられており雰囲気満点。
入って良かった・・・。

妻籠本陣

当時の大名達と同じ景色を目の前にしている不思議な感覚。

妻籠本陣 妻籠本陣
妻籠本陣
ちなみに、この本陣は島崎藤村の母の実家。
藤村の実兄が東京へ出た後、建物も取り壊されてしまったがその後忠実に再現されたものだとの事。




さらに、一旦外に出て数十メートル離れた所にある「脇本陣」とそれに隣接している「歴史資料館」へ。
「脇本陣」とは大名がかちあったりした場合の予備の本陣。
ここもとりあえず中に入ってみただけだったのだが・・・やはり囲炉裏があり、脇本陣では係の方の説明が付く。
囲炉裏の一番正面の温かい場所にその家の主が座り、嫁は一番端の板ばりの席に座っていた事などをテンポ良く説明してくれたおかげでとても楽しかった。
因みに、2階の階段を上がった所には壁の中に隠し扉があり秘密の話をする時に使っていたとか。

隣りの資料館には妻籠の町並み保存活動についても詳しく展示してあった。
古い町並みは住みにくいからと開発を進めようとする町もあれば、こうして町並みを残そうと努力する町もある。
どちらがいいかと言うのはその町に住む住人が決める事だと思っているのだが、この妻籠の様に家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」と言う三原則に基づいて生活を送ると言うのは口で言うのは簡単だが実際には不便もあるだろうし難しい事だと思う。


妻籠


温泉がある訳でもなんでもないごくごく普通の宿場町に
雨が降ろうとこれだけの観光客がやって来るのだ。

「何も無い事」がこんなに素晴らしいなんて。
いろんな意味で価値観が変わる・・・そんな妻籠宿だった。

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