<ISCM世界音楽の日々2001横浜大会>実行委員長回顧総括〜その2 | 松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~

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ISCM国際現代音楽協会の<世界音楽の日々>音楽祭100周年に寄せて、
開催から23年が経過したISCM横浜大会の回想録を続けています。

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四年前の2020年は、1930年に新興作曲家連盟として産声を上げた
現 特定非営利活動法人 日本現代音楽協会(通称:現音)の
創立90周年にあたりました。
現音は、1922年に創設された国際現代音楽協会(ISCM)に、
非西欧系国としては最も早い1935年に加盟をして、その日本支部となっています。
そして2001年に、長年の懸案であったISCM世界音楽祭を
日本が主催して開催できたのでした。
このところ、その日本初開催となった国際現代音楽祭の開催準備秘話や
実際に開催した各演奏会等のイベントについての回想録をアップしています。

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ISCM(国際現代音楽協会)世界音楽祭の日本開催は、
日本作曲界の長年の悲願であり、また日本の作曲家が
これまでにISCM世界音楽祭で受けてきた
多大な恩恵に対する国際的な責務でもありました。
ようやく20世紀中に開催したいという意向を
三善晃委員長時代の最後の年にあたる
1993年に表明したものの、
その後の日本経済の低迷もあって
開催への準備は一向に進みませんでした。

佐藤敏直委員長時代には、偶然空きのあった2001年
(新世紀開幕の年!)に承知予定が決まり、
ACL(アジア作曲家連盟)日本支部であり
ISCM準会員でもあるJFC(日本作曲家協議会)
との共催で、ISCM-ACL合同開催
(過去に1988年香港大会に前例がある)
を目指した時期もありましたが、
結局は袂を分かつことになりました。
これは些か残念ではあったのですが、
当時の(現在まで続く)公共及び民間の支援体制下で
単年度に結集しうる財源を鑑みれば、むしろ
妥当な結論であったと納得することとなりました。
その後も、開催拠点会場の選定さえままならず、
ジリジリと時は経過しました。

その後、松平頼曉委員長体制発足間もない
1998年の4月のある日、サントリーホール総支配人
新旧交代の挨拶を兼ねた音楽関係者の親睦会に
日本現代音楽協会事務局長としてたまたま出席した私は、
前総支配人として挨拶された渡壁煇氏のスピーチから、
“氏が新しく会館する横浜みなとみらいホールの
館長に就任される” ことを知った。
“そこで開催するしか可能性が無い!” と直感した私は、
図々しくもその場で渡壁氏に事情を説明して、
近日中に改めてホールに伺う了承を取りつけました。
そして5月には松平委員長と元ISCM本部役員の湯浅譲二氏
とともに、横浜みなとみらいホールを訪問して、
我々の目指す音楽祭の概要等を説明する機会を得て、
渡壁氏から協力の言葉を得ることができたのでした。
正式開館前の館内施設を
一通り見学させていただきましたが、
大小ホールをはじめ会議室からレセプションルームまで、
音楽祭に必要な施設が完全に揃い、
隣接してホテルやレストラン等の商業施設も有り、
且つ絶好のロケーションにも恵まれている
この"横浜みなとみらいホール"こそが、
我々にとって最適であることを確信したのです。しかも、
横浜であれば東京の演奏家や聴衆の動員も可能です。
その日から、ISCM日本開催に向けて、
一筋の光が射し始めたのでした。


・・・みなとみらいホールのファサード・・・
$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-横浜みなとみらいホールのファサード