新年に寄せて、司馬遼太郎著「坂の上の雲」を通して
日本という平和で恵まれた国で生きていることを、
あらためて振り返ってみたいと想います。
極東の小さな島国である日本が、
結果的には欧米先進国に占領されたり植民地化されることなく
(第2次世界大戦終結後の数年間を例外としてですが)
様々な時代に成立した芸能・芸術・文化が
同時並列的に今なお共存している・・・
このような幸せな国は、世界中を見渡しても
そうそうあるのもではありません。
江戸時代末期=つまり幕末期から、日本は、
産業革命によって工業化による武力と経済力の両面で飛躍した
欧米列強の地球規模の勢力拡大の図式に中に
いやおうとなく組み込まれていきました。
ちいさな国に「藩」という自治国家のようなものが
群雄割拠していたことが却って幸いしたのか、
極東の端であまりにヨーロッパから遠かったからか、
アメリカが南北戦争で日本を本気で攻める余裕が無かったのか、
とにかく植民地にならずに明治維新を達成できたことは、
今から振り返ってみてもまず第一の奇跡のように思われます。
そして、明治時代に入ってから、
重税に喘ぎながらも国民はそれでも黙々と働き、
「日清戦争」と「日露戦争」の二つの戦争を
慎重で謙虚な状況分析と大胆且つ繊細な決断や作戦を重ねて、
なんとか凌いで凌いでいくのです。
特に「日露戦争」が周到な準備と多大な犠牲の上に
何とか達成されたギリギリの辛勝であったことは、
もっと広く正格に日本人は知っておくべきでしょう。
残念ながら学校教育の通常の授業の中では、
このあたりの近代史について時間をかけて
十全な考察を巡らせる余裕は無いようです。
せめて私たちは、例えば司馬遼太郎著「坂の上の雲」等の
歴史小説や調査文献を読んで、
その時代の空気と日本人の気概に
思いを巡らせる経験を持つ必要はありそうです。
明治の時代に、
正岡子規(短詩型文学者)
秋山好古(陸軍将校・日本騎兵の祖)
秋山真之(海軍将校・日本海海戦作戦参謀)
の3人が奇しくも同郷の幼なじみとして松山に育ち、
日本の歴史の動向の中心に飲み込まれていき、
そこで精一杯に真摯且ついきいきと邁進する様に、
当時の日本人の持つ気概と徳を見出すことができます。
それにしても、初版本で全6巻、文庫本で全8巻、
凄まじいばかりの長編小説です。
2009年暮・2010年暮・2011暮と3年計画で、
NHKがこの「坂の上の雲」を特別ドラマとして放送した事は、
まだ記憶に新しいところです。
映画にも匹敵する素晴らしい巨篇ドラマでした。
「日露戦争」以降、日本はどういう訳か
思考の肥大化を起してしまします。
そして、遂には日中戦争や太平洋戦争を拡大させ、
遂には昭和20年(1945年)の終戦を迎えるに至った訳です。
21世紀に入った今日の私たちの感覚からすれば、
こんなに何度も戦争を繰り返した明治時代から昭和前期までの
日本はいったい何だったのだろうと感じます。
自国の市場拡大や資源確保の為には、他国と競ってでも
後進国を植民地や属国にしても良いというような、
帝国主義が国際的に主流の考えとして
君臨していた時代だったということなのでしょうか。
流石に今の世界の世論の中では、
そのような武力的な帝国主義は陰を潜めていますが、
違う形での大国の横暴や局地的な武力の行使による
悲劇的な事件は世界中で後を絶ちません。
人類はまだまだ未熟なのでしょうか。
芸術や文化、音楽といった素晴らしい概念や能力を有する
人間・人類でありながら、醜いことも数知れず・・・
自分・日本・人類を見つめ直したいと思います。
写真は、日没の赤光、象徴的なカットにしました。

そして、「坂の上の雲」に正岡子規の側近として何度か登場する
俳人=高浜虚子の墓所がある鎌倉・寿福寺の閑静な佇まいです。

日本という平和で恵まれた国で生きていることを、
あらためて振り返ってみたいと想います。
極東の小さな島国である日本が、
結果的には欧米先進国に占領されたり植民地化されることなく
(第2次世界大戦終結後の数年間を例外としてですが)
様々な時代に成立した芸能・芸術・文化が
同時並列的に今なお共存している・・・
このような幸せな国は、世界中を見渡しても
そうそうあるのもではありません。
江戸時代末期=つまり幕末期から、日本は、
産業革命によって工業化による武力と経済力の両面で飛躍した
欧米列強の地球規模の勢力拡大の図式に中に
いやおうとなく組み込まれていきました。
ちいさな国に「藩」という自治国家のようなものが
群雄割拠していたことが却って幸いしたのか、
極東の端であまりにヨーロッパから遠かったからか、
アメリカが南北戦争で日本を本気で攻める余裕が無かったのか、
とにかく植民地にならずに明治維新を達成できたことは、
今から振り返ってみてもまず第一の奇跡のように思われます。
そして、明治時代に入ってから、
重税に喘ぎながらも国民はそれでも黙々と働き、
「日清戦争」と「日露戦争」の二つの戦争を
慎重で謙虚な状況分析と大胆且つ繊細な決断や作戦を重ねて、
なんとか凌いで凌いでいくのです。
特に「日露戦争」が周到な準備と多大な犠牲の上に
何とか達成されたギリギリの辛勝であったことは、
もっと広く正格に日本人は知っておくべきでしょう。
残念ながら学校教育の通常の授業の中では、
このあたりの近代史について時間をかけて
十全な考察を巡らせる余裕は無いようです。
せめて私たちは、例えば司馬遼太郎著「坂の上の雲」等の
歴史小説や調査文献を読んで、
その時代の空気と日本人の気概に
思いを巡らせる経験を持つ必要はありそうです。
明治の時代に、
正岡子規(短詩型文学者)
秋山好古(陸軍将校・日本騎兵の祖)
秋山真之(海軍将校・日本海海戦作戦参謀)
の3人が奇しくも同郷の幼なじみとして松山に育ち、
日本の歴史の動向の中心に飲み込まれていき、
そこで精一杯に真摯且ついきいきと邁進する様に、
当時の日本人の持つ気概と徳を見出すことができます。
それにしても、初版本で全6巻、文庫本で全8巻、
凄まじいばかりの長編小説です。
2009年暮・2010年暮・2011暮と3年計画で、
NHKがこの「坂の上の雲」を特別ドラマとして放送した事は、
まだ記憶に新しいところです。
映画にも匹敵する素晴らしい巨篇ドラマでした。
「日露戦争」以降、日本はどういう訳か
思考の肥大化を起してしまします。
そして、遂には日中戦争や太平洋戦争を拡大させ、
遂には昭和20年(1945年)の終戦を迎えるに至った訳です。
21世紀に入った今日の私たちの感覚からすれば、
こんなに何度も戦争を繰り返した明治時代から昭和前期までの
日本はいったい何だったのだろうと感じます。
自国の市場拡大や資源確保の為には、他国と競ってでも
後進国を植民地や属国にしても良いというような、
帝国主義が国際的に主流の考えとして
君臨していた時代だったということなのでしょうか。
流石に今の世界の世論の中では、
そのような武力的な帝国主義は陰を潜めていますが、
違う形での大国の横暴や局地的な武力の行使による
悲劇的な事件は世界中で後を絶ちません。
人類はまだまだ未熟なのでしょうか。
芸術や文化、音楽といった素晴らしい概念や能力を有する
人間・人類でありながら、醜いことも数知れず・・・
自分・日本・人類を見つめ直したいと思います。
写真は、日没の赤光、象徴的なカットにしました。

そして、「坂の上の雲」に正岡子規の側近として何度か登場する
俳人=高浜虚子の墓所がある鎌倉・寿福寺の閑静な佇まいです。
