感情と理性とはよく対比される概念ですが

フォノグラムから観るとそれらはフォノグラム図形の対称性が

壊れたときに発生する現象であるという意味において同じです。

 

また、感情的な概念は、ほぼ、体感に伴った概念ですから

外宇宙の概念で置き換えることができないことが多いです。

 

極端な物質主義者は、観察できないからと言って

感情そのものを否定する人もいます。

 

私の場合、と言ってもおそらくすべての人にも当てはまるのですが

 

怒りの感情の後に悲しみの感情がやってきます。

 

その逆はありません。

 

これは、怒るという現象が頭に気が上がることであって

その後、徐々に気が下がっていくときに心を通過していくときに

悲しみという感情が生じるからです。

 

感情とは、丹田に収まっている気が、外れたときに起きる現象なのです。

 

いずれは、丹田に収まっていくため

感情は長続きはしないものでもあります。

 

また感情を抑圧することは

自然な生理反応を抑圧することでもありますから

心身ともに壊れていきます。

 

 

感情はなぜあるか?

 

私なりの答えは、

中心(平和)から外れていることを教えてくれるセンサーであるということです。

 

 

では、逆に中心に向かうようにフォノグラム図形を整えていくと

どのような感情になっていくのでしょうか?

 

私の知る限りその状態は

 

「愛」「慈悲」「神」

 

という概念しか思い浮かびませんでした。

 

これは感情が無くなった状態ではなく、統一された状態です。

 

感情というものも統一されればされるほど

深く豊かなものになっていきます。

 

表面的な浅く分化してしまったものを喜怒哀楽(輪廻)と称しているのだろうと思います。

 

その時、前頭葉ゲシュタルトが見せているこの宇宙は消え去りますから

理性や思考も消滅します。

 

ここで、中心に至る方法にいろいろな方法があることに気が付きます。

 

感情も理性も究極的には出所が同じなわけですから

理性や思考を頼りにしながら進んでいく方法

感情を頼りにしながら進んでいく方法

 

なにをよりどころにしても、必ず中心に至るということなのです。

 

フォノグラムは、ひょっとしたら、新しい進み方なのかもしれません。