”魔人”とも言われているグルジェフ。
写真からフォノグラム観ると前頭葉はスッカラカン。

その社会的ペルソナ、演じた姿は魔人でも、私の眼からはいい奴にしか観えません。
*ちなみにラジーニシは渦巻きだらけのただの俗人です。
 

 

今週の配信はこちらです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=teRfF7BFlsU

 

 

 

口当たりの良い言葉を並べる自称聖人とは異なり

かれは、弟子が精神的依存することを許しませんでした。

 

グルジェフは、40くらいまで、世界中を旅して、その都度、日雇いのような仕事をして

資金調達などしている、今でいえば、バイトしながら布施のような不労所得などを

貰わずに、一切の甘えを許さずに真理を探究した人です。

 

有名な逸話で、すずめにペンキを塗ってカナリヤだといって

売りつけたというものがあります。

 

そしてその金で、秘儀の本を買いあさり、真理を探究していきます。

 

「悪魔の背に乗ってでも真理を探究する」

 

この辺の徹底ぶりが特に私に親近感を感じさせます。

 

人物自体もとても親近感がわくのですが

それ以上に、グルジェフの思想の中身がフォノグラムに通じているように感じました。

 

まだ、書籍にすべて目を通したわけではありませんが

 

「人間は機械である」というグルジェフの思想に、私は、一文付け加えたいと思います。

 

「そして、その機械は動かしているコードがフォノグラムである」と。

 

この機械部分は私が言っている前頭葉ゲシュタルト認知自我、及びその実態である

渦巻きフォノグラムのことです。

 

 

この渦巻きフォノグラムは、前頭葉自我から自由になれていない人から

典型的にとることのできる図形パターンです。

 

この渦巻きフォノグラムは、惑星などの影響を受け続けます。

 

西洋占星術とは、おそらく、この前頭葉渦巻きフォノグラムと

惑星運航の関係を調べたものと思われます。

 

マドモアゼル愛さんは、「月は欠損を表す」ということをおっしゃっておられます。

 

グルジェフのエニアグラムという概念も、これにあたります。

 

そして、この渦巻きフォノグラムに最も影響を与えているのが月だと

私は考えています。

 

占星術の本来の目的は、本質から自分がどれだけ離れているかを

知るためのツールであり、前頭葉自我が欲しがるものを

満たすためのものでは無いのです。

 

前頭葉自我を砕く方法をグルジェフはいろいろの提案しました。

 

グルジェフムーブメント、、これは、前頭葉の肉体駆動に混乱をきたし

姿勢制御筋に移行するもじもじ考と同様な工夫が散りばめられていることが

瞬時に解りました。

 

そして、グルジェフワーク、自分に最も都合の悪い人物と付き合っていく事が

覚醒に導くということなども、前頭葉の予定調和を欲しがる脳の報酬系のまやかしから

自由になるための工夫だということもすぐに解ります。

 

こいつは筋金入りだと思いました。

 

宗教やスピリチュアリズムの陥る大きな罠の一つに

指導者に対する精神的依存があります。

 

「自称聖人たちは、不労所得(お布施)を得ている自分のやましい心を

誤魔化すために数珠が必要になる」

とグルジェフは言っています。

 

そのような人たちにはグルジェフは魔人に見えたことでしょう。

 

 







 

 

 

 

 

 

 

*生前の福永さん

 

今週のおにょTVは、私の師であり、共同研究者の

故・福永敏麿氏を偲びたいと思います。

今週の配信はこちらです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=jxNiGal4oKk

 

 

 

出版イベントに先駆けて

胸中いろいろと思うことがあります。

 

ここまでの道のりを考えますと決して平たんな道のりではなく

振り返れば奇跡の連続であることに気が付きます。

 

多くの方々の縁によって、今の状況があることを考えますと

どれだけのお陰様が作用したのか計り知れません。

 

きっとこのようなことも、死後はっきりと

その裏側で何が起きていたのかすらも

思い出すことでしょう。

 

今でこそ、本を出版するまでに至ったフォノグラムという現象は

福永敏麻呂氏なしでは決して地上に現れなかったかもしれません。

 

決して幸せとは言えなかった氏の人生を振り返るとともに

彼の蒔いた種が全てのはじまりであったことを皆さんとともに

偲んでみたいと思います。

 

 

しばらくイベントに先駆けて、それがらみの記事になると思いますが

11月の3っ日間のイベントではたぶん話しつくせないこともあり

おにょTVで配信していこうと考えました。

 

今、私は過去を振り返る時間が多いです。

 

全ての方の出会いによって、今の自分が形成されています。

 

20年以上前の福永氏との出会いがフォノグラムの全てのはじまりなのです。

 

生前も、死後も、決して知ることのない

しかし、確かに地上に生を受けた一つの稀有な魂、、、。

 

存分に語っていきたいと思います。

 

*イベント情報

https://onyology.com/event-publication/

 

https://onyology.com/books-phonogram/

*フォノグラムが本になりました↓

 

 

*イベント情報

https://onyology.com/event-publication/

 

https://onyology.com/books-phonogram/

*フォノグラムが本になりました↓

 

 

フォノグラム図形を書きだすということも

無意識が勝手にやったことで、なぜできるようになったのか

よくわかりません。

 

先日、カポエラの練習で

無意識の反応で始めて動きを誘発できた体験をしました!

 

これ、自分的にデカい出来事です!

 

カポエラはどのように体を動かすのですか?

 

どうしたらあのような動きになるのですか?

 

と、昨年、メストレ・モラエスが来日したときに質問をしてみました。

 

すると帰ってきた答えが

 

「蚊が寄ってきたら払うでしょ、あれと同じだ」

 

という答えが返ってきました。

 

?????その時にはいまいちその真意が解らなかったのですが

昨日その意味が解りました!

 

早い動きの練習が始まり、意識が動きについていかなくなった時

無意識が発動します。

 

これ、なんにでも当てはまる上達するための真理です。

 

ここに行かなければ何も引き出せない!

 

野生の勘が発動するように、そのように追い込んで練習していけば

きっとかっこいい動きが芋ずる式に出てくるのだと思いました。

 

おもろすぎる~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予約を、近隣の大きな書店から

蓮華舎に注文していただけないでしょうか」

 

本の予約販売が10月10日から始まりました。

ここから予約購入が可能です。

 

発売日は12月10日になります。

 

https://onyology.com/books-phonogram/

 

 

 

ご購入予定の皆様にお願いがあります。

 

私のようなまだ無名で、認知されていない人物の本を

書店の棚に並べるのは、一筋縄では行きません。

 

出版社もできたばかりで、いうなれば、弱小の我々が

どのようにしたら、フォノグラムの本を、書店に並べることが出来るかが

次の我々の課題になります。

 

そこで皆様のお力を今一度お借りしたいのですが、

 

「予約を、近隣の大きな書店から
蓮華舎に注文していただけないでしょうか」


*注・書店予約の場合は11月半ばから可能です。
今すぐには予約できませんのでよろしくお願いします。

 

アマゾンや、オニョロジーサイト、蓮華舎のサイトからも

予約、購入できるのですが、書店に並べて人目につかせることが

出版の一つの目的でもあります。

蓮華舎もたった一人で、全国に営業に回らなければならないことを考えますと

皆様のご協力さえあれば、かなりの負担を軽減することが出来ます。

 

皆様のご協力で、大きな組織力やお金の力に

対抗することが出来ます。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

小野田智之

 







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今週の配信はこちら

 

https://www.youtube.com/watch?v=0EShroJCds0

 

 

 

感情と理性とはよく対比される概念ですが

フォノグラムから観るとそれらはフォノグラム図形の対称性が

壊れたときに発生する現象であるという意味において同じです。

 

また、感情的な概念は、ほぼ、体感に伴った概念ですから

外宇宙の概念で置き換えることができないことが多いです。

 

極端な物質主義者は、観察できないからと言って

感情そのものを否定する人もいます。

 

私の場合、と言ってもおそらくすべての人にも当てはまるのですが

 

怒りの感情の後に悲しみの感情がやってきます。

 

その逆はありません。

 

これは、怒るという現象が頭に気が上がることであって

その後、徐々に気が下がっていくときに心を通過していくときに

悲しみという感情が生じるからです。

 

感情とは、丹田に収まっている気が、外れたときに起きる現象なのです。

 

いずれは、丹田に収まっていくため

感情は長続きはしないものでもあります。

 

また感情を抑圧することは

自然な生理反応を抑圧することでもありますから

心身ともに壊れていきます。

 

 

感情はなぜあるか?

 

私なりの答えは、

中心(平和)から外れていることを教えてくれるセンサーであるということです。

 

 

では、逆に中心に向かうようにフォノグラム図形を整えていくと

どのような感情になっていくのでしょうか?

 

私の知る限りその状態は

 

「愛」「慈悲」「神」

 

という概念しか思い浮かびませんでした。

 

これは感情が無くなった状態ではなく、統一された状態です。

 

感情というものも統一されればされるほど

深く豊かなものになっていきます。

 

表面的な浅く分化してしまったものを喜怒哀楽(輪廻)と称しているのだろうと思います。

 

その時、前頭葉ゲシュタルトが見せているこの宇宙は消え去りますから

理性や思考も消滅します。

 

ここで、中心に至る方法にいろいろな方法があることに気が付きます。

 

感情も理性も究極的には出所が同じなわけですから

理性や思考を頼りにしながら進んでいく方法

感情を頼りにしながら進んでいく方法

 

なにをよりどころにしても、必ず中心に至るということなのです。

 

フォノグラムは、ひょっとしたら、新しい進み方なのかもしれません。

 



カポエラにシャマーダというよくわからない動作があります。

ジョゴ中に、お互いが両手を合わせて「気」を感じあっている行為に観えます。
カポエラは、身体の動きでやる即興の音楽のようなものですから、

基音がズレてしまうと音楽にならないのです。

そこで、何かがズレてるなと感じたら、

そこでいったん基音を合わせることが必要となります。

きっとこれがシャマーダじゃないかと思います。

この行為は、フォノグラムでは相手と同期するという言い方をすることがあります。

例えば、フォノグラムの基本感覚で「重い、軽い」という表現をすることがあるのですが、

これが相手によっては逆に反応することがあります。

 

この場合、お互いの身体基音が逆位相になっており、

認知の図と地が逆転してしまっている状態です。
例えば、下図のルービンの壺ですが、

相手は向かい合う二人の顔について話しているのに、

自分は壺の話を持ち掛けるという、

永久に交わらない平行線をお互いが歩いている状態になります。

この場合、何をどのようにお互いが働きかけたとしても、

何も伝わらないという状況になってしまいます。

 

この状況を避けるために、お互いの身体基音を合わせる必要があります。

 

実は、日常でも言葉以上にこの身体基音を合わせることが

コミュニケーションにとってとても大切な要素となります。

交わることによって、初めて何かが動き出すのです。

これは何も、生き物とのコミュニケーションだけにとどまりません。

例えば、漢方薬など、飲まないでも、身体の白点(ツボ)に置きさえすれば
その振動、波動を意識がキャッチすることが出来ます。

薬のそもそもの目的は、身体の振動情報を変えることですから、

その目的が達成できれさえすれば飲む必要は無いのです。

この白点は、無意識に当たる部分です。
このような振動情報は無意識が認知するものであり、

顕在意識である前頭葉とリンクした渦巻きのところに、

いくら漢方を置いても何も感じることは出来ません。


これは、言い方を変えれば、漢方とシャマーダしたことになります。

生き物と生き物、生き物とものの間に起こること

これがアートの源泉ではないでしょうか?



















 

 

フォノグラム研究を進めていきますと

記事のタイトルのような、シャープな結論を言うことが出来ます。

 

反対に、多数に分離したツボを

一つにまとめ上げると丹田が出来上がります。

 

天気図を思い描いてください。

 

台風の目が一つにまとまっているほど

大きな動き、しかし、単純な形態になっています。

 

台風が弱まっていくほどに目がぼやけていき

更には、目が分離していくと熱帯低気圧になり

高気圧と低気圧の複雑な分布になっていきます。

 

この複雑な分布が身体ではツボと硬結にあたります。

 

丹田が分離することにより

身体形成がなされ、知恵が発達するのですが

それでも、丹田が一番力の中心点でなければ

身心ともに苦しい状態になっていきます。

 

世界のあらゆる文化で発達した身体操作法は

身体を動かし、無限に分離したツボを集め

丹田を形成することにその本当の目的がありました。

 

近代西洋思想の影響、それは前頭葉のはじめから歪んだ思想

のより、その本来の目的が失われ、競技化という方向に

進んでいきました。

 

本来的に力が無いものは、

外にその力を求めようとします。

 

力は自分の中にこそありますから

そこに目を向けなければ

いつまでたってもハリボテのままです。

 

 

 

 

 

 

 

何故か気合の入った格好で登場したもちお、、、。

 

スパッツにアディダスの短パンと観たことのない格好をしていました。

 

ぷっ、、。

 

 

ブーちゃんも、ムラトリに挑戦。

 

最近は、フォノグラム図形もスラスラかけるようになって
凄いです。

 

弓のムラトリも難なくこなしていました。

 

実は、名人、かつてもじもじ考の特別講義を受講しており

身体調整や、呼吸法のことも興味津々でした。

 

弓とともに、心身のムラ、フォノグラムをきれいにしていく事が

最終大儀に繋がります。

 

最後には、弓も、身体も、意識もフォノグラムレベルでは

同一化してしまい、道具も身体も心も一如になっていきます。

 

 

京都に持ち込まれた一本の弓からスタートした

ムラトリ・フォノグラム調整研究もそろそろまとめです。

 

ギターを手にしながら、いったい何をしているかというと

弓の音の分布を音階の違いで聴き分けているところなのです。

 

音の分布を同じにしていけば、等音面、等緊張の構造体が

出来るのですが、その最終的な分布をどこで止めるかが

最終的な問いと言えます。

 

巷で言われているムラトリは、おそらくムラトリではありません。
しかし、名人の所有していた弓の作者は、

確かに音を合わせて削っていた形跡が見て取れました。

 

これは、ヴァイオリンのストラディとガルネリにも同じことが言えます。

 

本当の技術は失われ、残っているのは真似事の類です。

 

フォノグラムの調整は、精妙で、ほんの少しのやすりでも

劇的な変化を与えることが出来ます。

 

そういえば、削る代わりに、薄いシールをポイントに張ることによって

弓に反応を劇的に変えることもやってみました。

 

これには皆さん驚かれていました。

 

フォノグラム情報とはそのような情報を扱うわけです。

 

 

今回は、オクターブ格子が出た段階で敢えて止めました。


これでもかなりの弓に仕上がっています。

 

 

人体をオクターブ下の格子パターンが出るまで

フォノグラムを調整していきますとサマディー一歩手前です。

 

ここから先は、意識と、ごくわずかな姿勢制御でフォノグラム図形を

整えていきます。

 

その状態になるまで削るべきかどうか?

 

この問題は、ビリンバウでは高音成分が無くなり

楽器としては輝きが無くなった状態になってしまいました。

その時の実験動画が以下です。
 

https://www.youtube.com/watch?v=fpsbaq3IazQ

 

 

この時の経験から、弓の弦ねが甲高い方がいいという話を聞き

オクターブが出たところで止めました。

 

やってみないとわからないのですが、

弓はしなるようにはなればなるほど、高音成分は無くなっていきます。

 

柔らかさと強さの折衷点、均衡点が正解だと思います。

 

これは肉体にも言えます。

 

強くてしなやか

 

強さは言い方を変えれば硬さです。

 

男性的とも言えます。

 

しなやかさ、柔らかさは女性特有のものです。

 

しなやかさは、出方を間違えれば軟弱、女々しさになります。

 

男性は、しなやかさが出るように心身ともに鍛錬していくべきです。

 

女性は、芯の強さを持てるようにと、男女は、鍛える方向が違うのです。

 

その均衡点が一番いいところ

 

性別を超えたところに本当の答えがあるようです。

 

フォノグラム研究は、そのようなことも明らかにしてくれます。

 

弓一つとっても、奥深い研究が出来るものです。

 

もちろん、もっと他にもフォノグラムが応用できる事例は

たくさんあると思います。

 

あっという間の2日間でした。

 

夢のような楽しい時間でした。

 

これにて弓バカ日誌シリーズ、ひとまず終了いたしたいと思います。

 

ではでは~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日行われた、弓・ムラトリ・フォノグラム調整・合宿

の様子をレポします!

 

弓バカ日誌の記事が上がる前に、明日の放送を迎えてしまいそうなので

「弓バカ日誌3」を書きます。

 

今週の配信はこちらです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=_IeErnYmIyg

 

 

 

 

翌朝さっそく、作業再開です。

 

この日は土砂降りの雨に見舞われました。

 

 

作業の合間に名人から弓の引き方を

指南していただきました。

 

行きの車の中で

 

「的に当てるのが弓道ではない」

 

「的にとらわれるな」

 

というお話を伺いましたが、その時はピンときませんでした。

でも実際にやってみると、言葉の意味が少しずつ解ってきました。

 

はじめは、弓に矢をセットするだけでも苦労しました。

 

合宿前に、YouTubeなどの動画を観ながら

身体のフォノグラムを調べ、どうやって動かしているのか

予習をしておきました。

 

20K近い弓を引くだけで、丹田から気が上に上がってしまうのですが

そこをどういう風に解消していくかがポイントではないかと思っていました。

 

そして、弓特有の技術を学ぶことが出来ました。

 

矢は弓の右側につがうのですが

そうすると、普通に考えても矢は右に飛んでいきます。

 

これを、左手で弓を左側に絞るように、というよりも内部緊張として

結果左側に絞る動きが出るのですが

その力のお陰で矢がまっすぐに飛ぶということでした。

 

指の微妙な握り方など、弓道の極意は「手の内」にあるようです。

 

「手の内」という言葉の語源ということでした。

 

この左に絞った弓が、矢が放たれた後、その反動でくるッと回転します。

 

これがかっこいいなと思いました。

 

「これ出来るようになれんかな~」

 

と思って練習していました。

 

もう一つのポイントは右手が自然と離れることです。

 

つがった矢を離すのではなく離れる。

 

これらはすべて、脱力できているかどうかの尺度になります。

 

練習しているうちに、肩甲骨の使い方が解ってきて

なんとなくですがいい感じになってきました。

 

はじめは的を狙っても、明後日の方向に飛んでいた矢が

帰り間際には、ほぼ的の付近に集まって安定してきました。

 

的をまぐれで当てるよりも価値があるような気がしました。
 

https://www.youtube.com/watch?v=kYoGWgaBHfs&feature=youtu.be


 

 

 

ちょこっとだけ、弓がくるりと回転していたのが動画を観たときに気が付きました。!

いえ~い!

 

帰りの車で名人が

 

「2回間違えれば的に当たる」

 

ということを言っていました。

 

それほどに、的に当てるということは

弓道の本質とは無関係ということなのです。

 

たった二日の合宿でも、そのことは理解できた気がします。

 

「どこまでも自己の身心に向き合い

それが矢野跳び方に現れ、つるねの音に現れる。」

 

弓のムラトリも大事ですが

結局のところ最も重要なことは

 

「身心のムラトリ」

 

なのです。

 

これを「道」と言っていいのではないでしょうか~

 

形骸化したしきたりや、礼節、作法は

その本質を欠けば、単なる支配するための暴力にもなってしまうのです。

 

まだまだ続く