再送信
物事は煩雑へと進む
これは大自然の理である
故に煩雑(矛盾)は大きくせずに
出来るだけ小さな努力で
小さくすべし
大自然に逆らうな、物理則を無視するな
2024ダボス会議
Rebuilding Trustなどと空疎なお題目で
『エコサイド』と唱えだした。
エコロジーとジェノサイドを
合成した造語で大規模環境破壊に
対する罪を規定しようと。
一見正論ではある。
しかし彼らが欺瞞に満ちているのは
代案がより矛盾を大きくする
環境破壊を進めるものだからだ。
SDGsなどと反論しがたい
キレイゴトの一方で
馬鹿げたことを繰り返している。
メガソーラーがその典型。
カンセンタイサクも同じだろう。
牛のゲップだ、水田がメタンを出して
二酸化炭素より有害ダ~
これまで永年保たれてきた
農業畜産漁業の枠組みを否定している。
カンセンショウタイサクは
2019年以前にも肺炎球菌で
無症状者が多数感染させてコロナ以上の
死者を出していても無問題
これは気にしだしたらキリがない
小さな矛盾を大きな網掛けをして
解決しようとしたら
却って被害が大きくなってしまう
永年積み重ねられた『知惠』だったのだ。
科学には越えられぬ壁がある。
枠組みを物理則を無視して
拙速に変えようとしまうと
却って矛盾が大きくなって
より負担が大きい
オカシナ世になるのである。
キレイゴトは結局は
弱者に多大なシワ寄せが及ぶのであり
最も唾棄すべき弱者イジメである。
さて、当初私はピーチ航空
新潟緊急着陸事件
マスパセさんに批判的だった。
勿論セケンのマスク排除に
同調したわけじゃないよ。
このアマチャンサタン
愚かにも彼の手法に
疑問を抱いてしまっただけ。
理由は簡単に言うと2つ
私のノーマスク排除は
1.望んでその場所に行ったわけではない。
行かない方法も提案
(抑も患者に家族がいない場合は
どうされるんですか?)
(例えば郵送でのサイン
で代替できませんか)
しかし説教されてしまった。
双方の最適解が得られるよう
相手の言うがまま準備も万端で
約束通りキッチリ時間を守った。
にも拘わらず相手側に
緊張感が全くなかったらしく
初歩的ミスが何重にも重なり
時間を反故にされた
2.ノーマスクを主張したわけでない
ピタっとマスクを
5時間はとても無理だと
事情を説明しても
妥協案は悉く無視された。
私の行動指針は
一方的に主張するのではなく
『出来るだけ双方の
矛盾を小さくする』
これに則ったものだが
あの狂気に満ちた「ゼロコロナ」
「えんがちょごっこ」の前には
無力であった。
「矛盾を小さくする」
故にいくら怒り心頭に発していても
大声で抗議はできない。
冷静に現実的な妥協点を探る。
ここがマスパセさんと
最も大きな違いかも知れない。
一人ではない
もう一人ハンデを抱えた人間がいた
不穏な空気を漂わせることで
認知症の母がパニクることは
何よりも避けなければならぬ故
あくまで上品に穏やかに。
こうした背景も
つつがなく暮らしを営めている
セケンさまには通じないのだね。
また自分一人だったとしても
マスパセさんのように声高に
「ノーマスク」は主張せず
鼻マスクも絡めたなんちゃってで
できるだけ「矛盾を小さくする」
べく行動しただろうなってこと。
鼻マスクは辺りの様子を伺いながら
それでも頻繁に注意されたら
穏やかでなくなるかも知れないがね。
これが実際に起こったわけだ。
私一人でも負担が大きいのに
母の行動を5時間制御するのは不可能だ。
ちょっと目を離した隙に
マスクが消えている。
で、係員が飛んでくる
事情を説明しても丁寧な言葉で
『外に出ていただけませんか』
事情が事情だけにぶち切れても
仕方ないと思うのだが
それが出来なくて
ミジメに懇願するだけだった。
とことん想像力の欠ける世の中
ヒドイと私は思うのだが
セケンの認識は違うらしい
『仕方がない』『誰も悪くない』
私は決してそうは思わないがね。
デタラメな恐怖を与えられると
こうも『排除』が優先になって
正当化されてしまうのだね。
それに対する疑念を唱えることも
赦されず、オソロシス
5年目突入
未だに続く「マスク排除」
一石を投じるには
私のような穏健派じゃダメ
時には「矛盾を大きく」しながら
声高に訴えることも必要だね。
マスパセさんを応援します。
争点となる彼の暴行に関しては
周りの反応、即ち空気だけで
暴行があったと司法は結論づけています。
こんなバカな話はないでしょう。
セケンの空気に阿て
客観性を欠いて何のための司法か。
「空気が間違えている」ことはある
それがこの4年間で改めて
認識出来たことではないですか。
抑も一方的に『ノーマスク排除』を
することこそが暴力で
泣き寝入りしている人もいるのですから
あの判決は怒りを禁じ得ません。
ですが、やっぱり
双方が事を荒立てるのではなく
『不自由を排除しようと
目くじらをたてるのでなく共存する』
『不自由を障害に変えない』
お互いが思いやりをもって
『矛盾を小さくする』意識を持って
行動することこそが
暮らしやすい世を作ると
私は信じたいですけどね。