相変わらず、飽きずに淡々とフランス語を勉強している。
謎の文字の羅列にしか見えなかった文章もそこそこ音読できるようになった。
ドイツ語でもイタリア語でも良かったのかもしれない。
文化がまだ生きていそうな国のことばであれば。
それほど、この国では生活やことばの中にそういう香りが漂う隙間さえなくなってきた気がしていて、何かの出口を自分なりに探しているんだと思う。
両親が相次いで死んでから随分経った。「亡くなった」とは書きたくない感じなのはなんでだろ。
子供の頃、家には各部屋に本棚があって、父の部屋(4.5畳の洋室)に至ってはほぼ「書庫」だった。
新聞は3紙取っていて、食卓で毎日普通に政治の話もしていたし、世界で何が起こっているかも両親の話や新聞や本を読んで知った。
そんな環境で育ったから、思考の仕方や知識を集める方法、文章の書き方も自然に身につけていったと思う。
似非科学や似非宗教に簡単に傾くタイプの父を、超現実的で無神論者の母がことごとく一蹴するのを傍から見ていて、子どもの私は父の「ブーム」になってるものを一応試したり読んだり検証していた。すべて知的好奇心からだ。
平常時は池波正太郎と司馬遼太郎を愛読していた父に、突然来る「ブーム」の内容は多岐にわたっていた。元祖オカルト雑誌「ムー」を始め、タロットや易など占いや魔術系、チベット死者の書、死海文書など、
何にしろ集団になるのは苦手な人だったので、ひとりで掘り下げて夢中になり、飽きると通常運行に戻る。
そういう父を見ていて、知りたいこと・知らないこと・不思議に見えることはまず自分で調べてみる、飛びつく前に論理的に検証する習慣が身についた。
これが「男」については当てはまらなかったのが、私の詰めの甘さだな。それこそ結婚前にしっかり検証しておけ、と昔の自分に言いたい。
他人が体験しないようないろいろを経験してきたせいで、いわゆる「新興宗教」の勧誘もたくさん受けたけど(不思議と嗅ぎつけてくる所あるよね、ああいう人々って)どこにも引っかからなかったのは、全部自分で調べてみる、という子供の頃からの習慣のおかげだ。
耳触りのいい言葉、一見いいものに見えても、掘り下げていくと「底の浅さ」がわかる。
感情で熱狂するんじゃなく「事実が何か」を自分で探求すると。
だから、「(国民を、あるいは日本を)元気にする」とか、勇気、絆、希望、なんていうふわっとした抽象的なものを、理由や目標に掲げられるのが好きではない。
具体的な方法を考えて行動することで、そういう情緒的なものはあとから付いてくるんだから。あえて言葉にしなくても。
それを「目標」にするのは違うと思ってる。
子どもの感情を育てる、という面で両親はほんとポンコツで、私はその点で偏った仕上がりになり、あんな配偶者にも引っかかったのだけど、自分の状況に気づいたときに客観的に検証したり必要な知識を蒐集して蓄えていけたのは、思考することを覚えていたからだと思う。
深く考える癖や政治や文化・芸術に関して吸収した知識は、若い頃は生きづらさにしかならなかった。
「女の子」「女性」というのは、そうではないほうが「扱いやすい」という人のほうが、学校にもその後の社会でも圧倒的に多かったから。
でも若くはない今になって、それを「美点」と捉えてくれる人が周りにいるようになった。
というか。
私自身がそれまでずっと間違った場所にいただけかもしれない。
思考にはある程度訓練が必要で、文化や芸術から何か感じとる感性も同じだと思う。
親から得たものはマイナスばかりな気がしていたけど、この思考や感性、知性については、良いものをもらっていたのかもしれない。
そこが違いすぎる人とのコミニュケーションはやっぱりすごく疲れる。(そしてその場合、相手は全く疲れ無いことがほとんど。)
それは別に私が悩むことでも譲歩することでも無いと思うようになった。
元配偶者なんて同じ日本語話者のはずなのに、全く「言語」が通じなかった。でもそれは「私の」問題ではなかった。
人種や国籍ではないんだよな。
通じるか通じないかは。