「この世のほかならどこへでも」 | この世の外ならどこへでもーモラハラ・DVからの自己回復日記

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2012年より「望郷解毒酒場」という謎のタイトルで書いてきたこのブログ。
離婚後は解毒する「毒」も無くなったのでタイトルを変えました(2021・4より)
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最近、結構な熱量でフランス語の勉強をしている。

昨年、単位も取ったけど、試験向けのやっつけ勉強だったから授業終わったら全て忘れたというのに、やる必要のない今になって突然スイッチが入って毎日数時間ずつ続けている。

 

好きだったボードレールやランボーの詩を原語で読みたいというのもある。(このブログのタイトルもボードレールの詩からとった)

 

フランスに盲目的に憧れてるわけでは無い。

私にとっては、杏ちゃんの動画よりも丸山ゴンザレスのパリの裏側動画のほうが、おしゃれなフレンチ・ポップスより血なまぐさい歌詞のフランス国歌が、興味深いのだ。

 

ことばの音の響きがどうも好きらしい。

必要に迫られて英語を覚えようとしたときは全くやる気になれず挫折したけど、フランス語は違う雰囲気。

 

 

たぶん自国の激しい劣化にすっかり落胆したんだと思う。

急にこうして真剣に他の国の言語を覚えようとしているのは。

 

もともと純文学の美しい日本語が好きだから、文章を文脈で理解できない人・理解力のなさを自覚していない人があまりにも多いことや、ことばの軽薄さ、文化や芸術や学問、知性が軽んじられてるのが。

 

ここまでひどくなってるんだと、感じることが本当に最近多くて、日本人でいるのが嫌になりつつある、、。

こんな感覚はそこそこ生きてきて今までなかった。

 

ほんと、どうして自分の頭で考えようとしないんだろうか。

権力の大きさが「正しい」ことの証左とはならないのに。

どうして疑わないのかなと思う。

考えて気づかないのかなと思う。

「考える」ことが当たり前だった自分には理解できない。