以前入手しておいた京都の麺つゆで、ざるそば(信州北部の産)を食した。非常においしい。口に入れた瞬間に広がる旨味が強く、なおかつその旨味が素早く引く。その為、そば自体の風味がより一層際立つのである。おそらく、出汁をふんだんに使い、その配合も絶妙なのであると思われる。流石は古くからの食文化を誇る京都である。このつゆは、出汁として椎茸も使っているようだ。

  この、椎茸というものは、とても優秀な食材である。品質の高いものは、同じく品質の高い松茸の、更に上を行くほどなのである。

  日本には素晴らしい食材がふんだんにある。元々の自然環境にも確かに恵まれてはいるのだが、やはりこれは、日本人の才能の為せる技でであろう。丹念に愛情と情熱を注ぎ込んで作ってくれる人や苦労や危険を顧みずに調達してくれる人が割とたくさんいて下さるということ。そして、そういうものを強く愛し、嗜好する事の出来る人間が数多くいる、ということ。

 そのどちらもが、日本人のセンスの良さを物語っており、そしてこれらが優れた食材を多く生み出している要因であろう。

 その気になり、そう望み、そう行えば、非常に美味しいものを食べることが出来る。大変に結構なことではないか!

 幼い頃の、あの感覚。まるで別の生き物のようだ。もし今、あの時と同じ濃度で外界を知覚すると、

精神は崩壊するのかもしれない、あったまおかしなるワ!

 徒に理想視するのは明らかに不条理というものではあるが、「あるとイイナ!」の最上級形ぐらいは、

奉るにあたり、全く以って吝かではないのである。


 そんな幼児期からしばらくが経過した少年の頃、春から秋にかけては昆虫や小動物を求めて野を駆け山に跳び、冬は恐竜が闊歩した太古の地球に思いを馳せる、そんな暮らしをした人も居なくは無いハズ。

 そんな少年にとって、「恐竜を見る!」というのは一つの大きな夢であった。実際に夢の中でなら何度となく

目撃しているわけだが、そんな時に見るのは、二足歩行の大変小型のものであった。深層意識の中で、大型の

ものを見ることは「聖域」を侵すことであったのかもしれない。

 映画でCGを見た時も勿論感動したが、レンタルされて日本に上陸した、かのT.REXの完全骨格を目の当たりに

した時の衝撃には遠く及ばない。


 鳥や爬虫類が好きな人、特に鳥に魅了されてやまない人は、恐竜も本来嫌いではないはず。

鳥は極めて神秘的な生き物である。不可思議、獰猛、洗練、美。そして、どこまでも底の知れぬ、その気味の悪さも感じ取れる。畏敬の念を抱くには充分に過ぎる。

中米辺りの非常に珍しいものを観察する時などは、よりそう感じ易いかもしれない。

ちょっとした別次元の存在で、大変高度に洗練された生き物だと考えれば、道理ではある。鳥と人間の遺伝学的相違の距離を絶妙に表したものなのかもしれない。

  

 そういう意味では、昆虫であるとか、爬虫類、更にはイルカやクジラといった生き物に人それぞれに感じる

様々な思いも、似たようなことであるかもしれない。


 話が飛んだ。

私は、体長10mもあるワニをじっくりと目前で観察したことがあるが、ある意味アレは「恐竜」だ。

近く、目線のあまり変わらぬ高さで「眼が合った」時なんて、一瞬正気を失うかと思った。あれは本当に怖い!ゾゾゾッと来るとか肚の底から震え上がるとか背筋に物凄い戦慄が走る、とかそんなものではなく、瞬間的に魂を砕かれる感じだ。水中で遭遇した大型のサメ、ツメと牙の届くであろう場所・距離で見る虎、感じる怖さはそのどちらとも別種のものだが、そのどちらよりも私は怖かった。

  ・・・・、というわけで、「恐竜」の話でした。

 

  ずいぶん昔のことじゃった。、ケーマートで小躍りする一人のトンヤン人がおったそうな。
彼は、$49.99の傘を手に何やらコーフンした面持ちであった。若々しい頬に朱を上らせ、両の鼻孔は大きく膨らみひしゃげてたわみ、酷使に対して猛然と抗議している。店内の空調からの暖気が吠えよ噛みつけよとアジテートする。瞳が揺れて見えるのは瞼が小刻みに痙攣しているからであろうか。眉根から隆起した山脈はわずかに二つの峰を構成するばかりだ。
 それらの現象たちは自らの権威を高める為、与えられた権限を行使した。少数の専門家からなる委員会は、全会一致の採決を下したのだ。「彼の精神は高揚状態にある。」
 言うまでもなくその通りであった。では、なぜ彼のテンションはそれほどまでに上がっているのか。
その答えは、彼が手にシッカと握っているものと関わりがあるはずだ。それは黒い折り畳み傘であるが、均整のとれた極めて大柄な体格を誇っている。頑丈そのものといった筋骨に分厚い皮膜のマントを纏い、足元も重量感溢れる靴で固めており、その佇まいは驍勇さをしのばせてあまりある。
 彼の故国は割と降水量が多い。彼の故国の十八番・お家芸はスリム・コンパクト・軽量化である。やたらと図体がデカく、重たいものはかなり忌避される。大きいものもあるにはあるが、総じてモヤシのように
ヒョロヒョロしていて、物の役に立ちゃあしねぇ!若さミナギる彼の手荒な扱いと強風暴雨の前には、常に文字通り風前のともし火である。
 彼の元へ伺候せるもたちまち身体に不具合を生じさせては去ってゆく者たちを目にし、彼はこう思った。
「織田信長か!わしゃぁ!!」日本史に名高いこの人物は、癇癖に任せて伺候せる幾人もの幾人もの乳母を傷つけた為、乳母は皆次から次へと去って行ったという。
 そんな彼も、遂にその任に堪え得る相棒を得た。ズッシリとした重量と堅固な材質のハンドル部が手に心地よく馴染む。一たび開けば、大人4人はその庇護下におけるであろう。横から吹き付ける雨風をも苦にしない。朝夕のスコールからもついには傘下を守り抜く。ただ一本、昂然としたその雄姿に彼は惚れ込んだ。3か月後、ともに旅を続けてきた相方と旅の空の下敢え無く離れ離れになった彼が落胆したのは言うまでもない。