盛号の骨格標本 | 助作農園・一口馬主ライフ

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雫石の農人による一口馬主(ノルマンディー・YGG)の生活を綴っています

先週、岩手県立盛岡農業高校の資料館で、『盛号』の骨格標本を見学してきました。

ちなみに『盛』は『さかり』と呼びます。

なので大船渡市の盛と同じ呼び方です(笑)

 

盛号は、明治5年に青森の三本木村で生まれました。

上野・不忍池での競馬でサラブレッド相手に明治18年、19年と2年連続優勝、その後盛岡駅構内で貨車の入れ替え作業に従事、老後は岩手の紫波で過ごし、明治37年に老衰のため亡くなりました。

ちなみに南部馬とは日本在来馬の一種で、人に従順で粗食で丈夫で在来馬の中でも大柄であったことから、とても人気があったと言われています。

阿弖流為から坂上田村麻呂に贈られた『阿久利黒』、源義経の愛馬『太夫黒』、源平の宇治川の戦いで先陣争いを繰り広げた『生食』と『磨墨』などは南部馬だったと言われています。

しかし明治になって富国強兵策による軍馬改良を目的に、丈夫な南部馬と大柄な西洋馬が交配されていったことにより、南部馬は絶滅してしまいました。

ということで、盛号は「南部馬最後の名馬」と言われております。

 

ちょっと見にくいですが、これが盛号の骨格標本です。

唯一現存する南部馬の骨格標本でもあります。

体高151㎝。

サラブレッドより10㎝ほど低いですが、それでも大きく見えました。

 

以下職員の方に教えていただきました。

・この盛号は、西洋の馬に勝てる馬を探してこいと依頼を受けた東條英機のお兄さんが徒歩で東京~青森を往復して探して連れてきた。

・最後の飼い主によって懇ろに弔われ、その骨格は教材として使ってもらうために盛岡農業高校へ寄贈されたのですが、その際飼い主とその親との間で、神聖なる馬をそのように扱っていいのかと寄贈するか否かちょっともめた。

・しばらくは獣医科の教材として使用されたようですが、その獣医科がなくなり、また高校の移転もあって、忘れ去られた存在になっていた。

・昭和54年に外部の方からの指摘で盛号の骨格標本があることを知った当時の職員が、倉庫にあったむしろにくるまれたリンゴ箱の中からバラバラの骨格を探し出して復元した。

「将来科学が発達して骨格からDNAが採取されて、それをもとに南部馬が復活すればいいなあ」と仰っていたのが印象的でした。

 

こちらは青森県十和田市にある称徳館で展示されている盛号の複製です。

3年ほど前に訪れたときの写真です。

盛農の骨格標本を元に複製されたものだそうです。

サラブレッドと比べると頭が大きく、脚が太く、蹄が大きいように見えます。

いつの日か並べてみることができる日がくればいいなあと思います。

 

盛岡農業高校の資料館は普段は公開されていないので注意が必要です。

十和田の称徳館は休館日でない限り見学可能です。

競馬好きの皆さん、たまには日本の在来馬に触れてみるのも良いかと思います。