不思議な夢 子どもを信じるって、なんだろう? | さんたのいえ

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保育で世界をひっくり返しちゃえ。


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なんか不思議な夢をみた。

昨夜、胃腸炎にかかり、半分うなされながらの夢。

こんなときでも、保育の夢をみるんだなぁ。




自分が胃腸炎で苦しくて、

子どもたちに対してなにも決められない。
なにも伝えてあげられない。

だからそのまま、なぜかふと安心しつつ子どもたちを見ていた。





すると子どもたちは、

自分たちなりに考えて

結局あらゆることを丸く収めてしまった。





僕がしたのは、

自分自身の中にある自分への不安感や無力感と向き合い、

最終的に全てを受け入れて、あったかい気持ちで

子どもたちを信じてゆだねた。




まるでピッコロの大人たちと子どもたちの関係みたいだった。




ピッコロの中島先生の名言

「子どもたちに任せて決まらなかったことは、今まで一度もない」

を、思い出しつつ。

__



決めること、考えること。



大人は子どもたちをみて、いつも"何かしなければ"と思ってしまう。



そして、
ほぼ子どもの行動や考えの全てに対して、

『それはいいことだ。よくないことだ。』

という目で見ている。これ、ほんっとにそうなんだよ。直接言わないにしても、たいていそういう風に心が動いている(もしかしたら、僕だけかもしれんけど)



『よいこと』を感じると心があたたまり、
『よくないこと』を感じると心がキュッと締め付けられる。




昨日も保育中に、

大きい子がなにもしてない小さい子を叩いて泣かしたというシーンがあって、

でもどうやら自分はことの全てを見ていなかったと知り、むしろ叩いた子は他の子を守ろうという気持ちだったと知った。

この自分の弱さ。浅さ。心の無さ。



僕は自分の正義を振りかざし、
この子の優しさや考える力をまた奪ってしまった。


大、反省です。




よくよく考えたらさ

『よいこと』か『よくないことか』なんて
見てる僕が判断していいことなんだろうかね?

判断していいとしても、

それを子どもたちに押し付ける理由って
なんなんだ!?



それは、

僕自身の弱さ以外何者でもないなと思った。

子どもの行動とか言動に一喜一憂して
自分の心がブレまくってるだけで、
「考えてあげた自分はえらいぞー!だれか認めてほめておくれー」
とかって言ってるようなもんかもしれん。





子どもたち自身が自分で感じてやってみて、
そこでどんな気持ちがしたか。
どう思ったのか。

そのほうがよっぽど大切なんだなと、
気付かされる夢だった。


__


なんか言葉であの夢を表現するとやすっぽい感じになるけど、

純粋で愛に満ちている子どもたちのこころをくじかないために大人ができることはね、




あーだこーだ支持したり意見いったり教えたり未来予測して落とし穴落ちないようにしてあげることではなくて、


「君が選んだことなんだ。体験してみるといいよ。僕は信じて、ちゃんとみてるからね。何かあったらいつでも戻っておいで。その時は心を込めて君の心を抱きしめるから。」


みたいに思いつつ、在る。
ってだけで、充分なんだろうなと感じた。


2歳の子が書いた絵。
枝を使って、指を使って、いろいろトライ。

ほとんど僕になにも求めず書いていたけど、
なんとなく、側にいてくれるとうれしいよ、みたいに感じてる気がした。

側にいて、目線同じにして、
「この子は何感じてこれ書いてるのかな…」
と思うことが、なんかすごく幸せだった。

たまにこっちを見るその子をみて、
心のキャッチボールってこういうのなんかなぁと
じんわり感じた、幸せの瞬間です。




ほんと、まだまだここからだ、自分!


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