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http://www.fate-zero.com/vol4.html
評価:★★★★星4つ

(僕的主観:★★★★★星5つ

『Fate/Zero~第四次聖杯戦争秘話』  著:虚淵玄(ニトロプラス) キリツグの動機
http://ameblo.jp/petronius/entry-10025380628.html


続きです。


■ZEROは、補完ではなく正伝と呼ぶべき


12月31日購入し、読了。いすみのさんともう一人、Fateの熱いカタリング仲間(笑)と正月早々オフ会で、熱く語りあう(笑)。もう読んだとたん入り込む。見事な小説だ。最終巻の前の話を僕は明確には覚えていなかったのだが、にもかかわらず一気に引きずり込む構成は、お見事としか言いようがない。虚淵玄、並々ならぬ力量だ。


全編通して、いずみのさんと意見が一致したのは、


これは外伝ではない、


ということ。


これは、まさに正伝であり、Fateという物語の本質を貫くメインストーリーだということ。

角川書店
フェイト/ステイナイト[レアルタ・ヌア] (通常版)

stay/nightが光とすれば、これは影。いや、原因と結果と言い換えた方がよりシンプルにわかりやすいと思う。衛宮切嗣と衛宮士郎が、それぞれ原因と帰結と考えると、この物語は凄くよくわかる。それに、アーチャーが士郎が結論を見いだせずに、切嗣に逆戻りしてしまったパターンと考えると、本当にこの物語は論理的に展開している。



1)衛宮切嗣:原因


2)衛宮士郎:結果
  -①セイバールート
  -②凛ルート 
  -③桜ルート
  -④幻の第四ルート


3)アーチャー:結果:①のルートのその後の帰結/(1)の切嗣と同じ状態に戻る



こんな構造になっている。


実はこのようなリニアな原因と帰結の関係性や対比構造(切嗣と綺礼など)などなど、論理的なつながりに明確に構造化できるものが多いのが、奈須きのこ作品の特徴であると思う。


たとえば、Zeroでは、わき役といえばわき役だが、実はこの作品の持つテーマの最終結論の一つを先取りしているようなウェイバー・ベルベットという落ちこぼれの魔法使いとイスカンダルなどは、その後、キャラクターブックに数行が描かれるだけのウェイバーの時計塔で有数の魔法使いに成長する未来との対比(これは縦ね)や「王・指導者のあるべき姿とは?」という対比で並ぶギルガメッシュ・アレクサンドロス・アーサー(それぞれが奈須きのこと虚淵玄の世界観が入りまくっているが)などなど、想像しただけでもその深さに眩暈がする興味深さだ。このあたりの話は、いずみのさんと話し出したらとまらないっす。


ちなみに、このような外伝レベルのスピンアウト作品を、一切の本質を損なうことなく正伝レベルまで引き上げ書ききった小説家・シナリオライターとしての虚淵玄の力量はたいしたものだとは思うが、、、、同時にその彼を選択し、骨格を与えたという意味で、やはり奈須きのこの圧倒的な世界感の完成度に頭が下がる気がする。


さて2)の本質をなす原因を作り出した切嗣の人生が、ほぼ士郎と重なる原体験を持っていること・・・・自分が原因で、愛する者や秩序が失われたという圧倒的なカタストロフ体験が、、、、幼少期にあったことが、彼らの人生をある種の強烈な欠落感覚に落とし込んで、極端な正義へと人生を走らせる結果になった。


キリツグの子供時代の父親の話と育ての母親のショートストーリーは、本当に短いにもかかわらず圧倒的な印象を放ち、小説が上手いなーと感心した。


そして、こんなシンプルショートの中に、キリツグがキリツグでしかあり得ない本質が見事に凝縮されていて、見事です!としか言いようがなかった。


キリツグの動機がかわる部分は、


なぜ彼がそんなにも強烈に正義の味方を目指すか?ということを、読者である我々が納得してリアル感を持てなければ、ならないのだが、本当にシンプルに一発でまとめた。誰も異論はないと思う。





■個人で正義の味方を目指す歪さ・動機だけではなく結果を求めるリアリストであるべき~世界を変えたければ組織の力で


ただ感想を言うと、これだけFateの世界観に埋没していると、アーチャーやキリツグ、士郎の目指すところは本当によく理解できるし、彼らの「そうとしか生きられない切なさ」みたいなものに感動する。それは彼らの動機の深さと美しさがあるからだ。

が、、、、しかしそれでいいのだろうか?。


いや物語としてはこれでいい。


だけれども、これほどの理想を持つのならば・・・・


なぜ、彼らは、「組織人」として世界を変えるということを考えなかったのか?。


彼らほどの能力があるのならば、単独行動ではなく、組織自体を一から作り出してもいい。


そこに魔術師のような突出した「力」を持つ個人の幻想というか、勘違いを感じてしまう。


「個人」だけでは、世界は変わらないのだよ。


そう思ってしまう。


僕も同じ理想を持っています(苦笑)。


「世界を救いたい」というマクロ系の意識は、子供の頃からあって、だからこそ「そういう物語」が好きで、「そういう仕事」につきたいと思っていました。


けどさー、、、生きるのだけだって大変な上に、現実は妥協を迫るし、個人の能力の小ささには絶望するし、そのうえ何が正しいかわからなくらいマクロの世界は複雑です。


でも、この年齢になって、ある程度社会を体験してくると、やっぱり世界を変えるのは、「個人」の集積の上にある「組織」なんだな、というのが実感するようになってきました。



いいかえると、士郎もアーチャーもキリツグも、生き急ぎすぎなんです。



組織を通して、世界を変えるというビジョンをなぜ持てなかったんだろうか?って思うのです。


繰り返しですが、そこに魔術師のような突出した「力」を持つ個人の幻想というか、勘違いを感じてしまう。


まっ、この辺の感想は蛇足。物語の完成度と美しさとは別の話だからね。




・・・・・というか、


□Fate/stay night ネタバレゲームインプレッション
Pasteltown Network Annex ~ Pastel Gamers / まちばりあかね☆
http://pasteltown.sakura.ne.jp/akane/games/impression/fate.htm  


□人が生きるということは?~失われた第 4 のルート?のまちばりあかねさんに感涙
http://ameblo.jp/petronius/entry-10059145499.html


ここで書いたことの繰り返しのテーマですね。「全体」と「個人」の二元的対立を、「自分を楽しむ」というコンセプトで止揚すること・・・というやつです。こういう日記風雑文のいいところは、書き続けていると、自分が何に悩んでいるかが、少しづつ輪郭が表れてくるところです。


-----------------------


(抜粋)

バランスの問題~ではどうやってバランスをとるのか?


そう考えると、幻のイリヤルートが存在しなかったことは、悔やまれる。


****************

確かに、二者択一的に、どちらが「ホンモノ」なのか? と問われれば、おそらく多くの人は『桜だけの正義の味方』(個人的な感情)こそが正解である、と答えると思います。しかし、それでもほとんどの人は、凛ルートをプレイし終えた瞬間には、士郎の痛ましいまでの信念の在り方に憧れ、感動もしたのではないでしょうか? 凛ルートの士郎の在り方に我々がやはり心打たれ、引かれるのは、「それが出来ないと分かっていてもそれに『憧れる』から」ではないでしょうか?
 つまり、人の心の在り方は二者択一論的なものではなく、そうした「あり得ない理想」への憧れと、「何があっても守り通したいもの」との間で、優先順位を付けつつ心のバランスを取るのが、本当の人の在り方なのではないでしょうか? 例えば、


最優先事項は、イリヤの笑顔を守ること。(←個人的な感情)


次の優先事項は、身の回りのみんなの幸せを守ること。


多分無理だけど出来るといいなぁと思うことは、世の中の人間全てを助けること。(←普遍的な倫理観)


といったように、優先順位をつけて、可能な限り全力で頑張る、というのが現実的な人の在り方であったようにも思うのです。


http://pasteltown.sakura.ne.jp/akane/games/impression/fate.htm#ROOT  

****************



この3段階の価値の序列の付け方に悩みながら生きてくことこそ、生きるということなのだと僕は思います。

-----------------------



このバランスを維持するためには、組織の力がないとできない!と僕は考えているんですよね。



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『Fate/hollow ataraxia』~宗教的救済への志向とナルシシズムからの脱出②
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028793362.html

『Fate/hollow ataraxia~宗教的救済を志向する主人公・ナルシシズムからの脱出劇の典型③
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Fate/stay night ネタバレゲームインプレッション
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■新たな一回性の獲得~全体構造を理解した上での再読の醍醐味

素晴らしすぎる。sくん に紹介していただいたサイトだが、あまりの見事な分析に、このくそ忙しいのに、毎日20分ほどFateを再プレイしているほどです。再プレイして、涙が出るほど感動する近作品も凄いが、やはり新しい「視点」を獲得して整理して全体像が理解した上でのプレイは、隅々まで理解がしやすく、一回性の体験にはない「新たな一回性の体験」が獲得出来てうれしい。


■凛ルートの本質である「自分が楽しむというコンセプト」


僕は、凛ルートに非常に強い感銘をけて、死ぬほど凛に惚れこんじゃったにもかかわらず、自分がなぜ彼女の在り方にありかたこれほど、強い執着心が生まれるのかがよくわかりませんでした。僕の人生の中で、不動のベスト3に入りそうなほどの強い吸引力が彼女にはあるんです。


ということは、僕の人生の欠落もしくは動機において、関連付けられて何かの魅力があるとしか考えられません。


それはなんなのだろう?ということが、実は今まで不明でした。それについて、ほぼ完璧に言いつくしているので、このまちばりさんは、凄いよ。少々長いけれども一部抜粋してみます。(ちなみに、絶対すべて読んでみると、感動すること請け合いですよ)。


凛について書いた箇所です。


***************

彼女は、聖杯戦争に勝利するためには手段を選ばない、と言います。その計算高さも様々なところで見て取ることができるし、桜のことも「バカな娘」だと一刀両断した上に、彼女の過ごしたあまりに酷い日々を「理解しようとも思わないわ」とまで言ってのけてしまう。にもかかわらず、死にかけている士郎を切り札である父の形見のペンダントを使ってまで助けてしまうし、いつだって妹のことを気にかけているし、最後の最後で桜を殺すことも出来ませんでした。


 たいていのことはうまくやってのけてしまう。仮に失敗してもいつまでも挫けない。無茶なことは無茶と諦め、無理に結果を求めない割り切りの良さもある。それでも努力することの大切さを人一倍強く感じている。努力が報われないことがあることを理解しながらも、報われて欲しいと願わずにはいられない。計算を重ねて戦略を練る割には、押さえきれない激情でとんでもないことをやらかしてしまうこともある。最も冷徹でありながら、最も人情に富み、最も信頼関係を重んじる。ある意味、矛盾だらけの行動。しかしそれらの闇も光も、彼女の中には入り混ざったカタチでバランスよく整っているのです。


 さらにそれだけでなく、彼女は士郎やエミヤ、セイバーと違って「自分が楽しむ」ことも知っているし、自ら新しい道を切り開いていく力強さも持っている。さらにはそんな自分の在りようそのものに誇りを持っています。(※彼女にとっての誇りは『自分の在り方』そのものであり、セイバーや士郎、エミヤのように、心の在り方や自らの誓いに対して誇りを感じているわけではない、というのも象徴的です。)


 一見するととっつきにくいけれども、その内実は非常に人間味あふれた性格の持ち主。そしてその在りようは、セイバーや士郎、エミヤなどの悩みや迷いを越えたその先にすでに存在している。それが遠坂 凛というキャラクターなのです。(そう考えると、この作品の全体構成が、凛に始まり凛に終わる、というのも象徴的ですね。)

http://pasteltown.sakura.ne.jp/akane/games/impression/fate2.htm

(強調ブログ管理人)

*************

遠坂凛というキャラクターの魅力を余すところなく描写していて、いい文章です。結局、彼女は何が凄いのか?といえば、これはまちばりさんのいう「欠落している全体結論 ~ 失われた第 4 のルート?」で描かれるべきであった、


この作品の最終結論であるマクロとミクロのバランスとるということのロールモデルが彼女


だと言っているんです。


士郎、セイバー、エミヤは、「心の在り方」や「自分の誓い」という部分に強い誇りを感じているのですが、ようはこれって、幻想なわけです。しかし現実がひどければ酷いほど、心の純粋性の強さというのは、輝きを増します。これらの存在の美しさとは、「そこ」にあるわけです。


でも、凛は合理主義者なので、現実と折り合うことを目指すんです。


ただ、、、、「自らの理想・・・マクロの使命」と「ミクロの絶対に守りたいもの」は、往々にして両立しません。それは非常に不可能に近い困難さなんです。


僕の人生のライフテーマもこれです。


人間が生きるということは、二つの意義があると僕は持っています。



1)人としてミクロの世界で愛すべきものを見つけ守ること


2)人類の一員としてマクロの使命と理想を知り、そのために自己捧げること


そしてこのふたつは、非常に矛盾しぶつかり合うもので、この二つを結びつこることは非常に困難なので、この二つを基本的に二元論的に、二択の選択肢を迫るのが一般的な物語や世界で繰り替えされるパターンです。そこで、1と2をバランスを取るというために、


3)ミクロとマクロのという矛盾したモノを、結びつけるという不可能を為すにあたって「自分を楽しむ」というコンセプトが生まれるんです。


そう、、、、困難なのはわかっている。


不可能なこともわかっている。


けれど、「それを行い続けること自体が美しく楽しく」、自分にとって誇りでありうる状態。


不可能なことにギリギリまで挑戦し続け、ミクロ(愛するものを愛し抜く)ことを喜び、時には愛するものを犠牲にしなければならないぎりぎりの選択肢の中で人類の一員としてのマクロの使命のために自己を投ずる。


これこそ、人間の美しい「生きる在り方」なんではないだろうか?って僕は思います。

そして、それを体現しきっているからこそ、僕は凛を愛するんだと思う。


そして、僕が自分の人生に課している一つの哲学として

自分を楽しもう

というものがある。シゴトしている時に特にこれが堅著に現れる。シゴトの意思決定は、それで人の人生が変わってしまうような人事やリストラなどの判断をたくさん迫られます。けれど、甘えたことを許すことはできない。マクロ管理するものとして、指揮官として、全体が負けるような、全体が壊れるようなことは許されないからです。


そこには、ミクロの情は入る余地がない。


けれども、それでも人間は何の為にマクロのためにがんばるかといえば、自分の人生のよろきびや自分の好きな人や友人や、自分の大切なものを守るためでしょう?。


ミクロを愛することができない人には、部下がついてきません。


その時に、意思決定者は、深く悩むのです。


いったい、どうすればいいのだ?


これはすさまじい激務で二択です。


しかし、こういうバランスを調整し続けることを楽しんで生きていくことこそ、そういうことに耐え続ける自分の在り方を誇りを持って生きることこそ、それが一番かっこいいことなんではないか?って僕は思います。


そして、そういう人生を豊かに楽しんでいる人は、たくさんいる。


それこそが、ライフ・オブ・マスター(人生の達人)というやつだと僕は思う。

BYマスターキートン


勝鹿 北星, 浦沢 直樹
MASTERキートン (1) (ビッグコミックス)


■バランスの問題~ではどうやってバランスをとるのか?


そう考えると、幻のイリヤルートが存在しなかったことは、悔やまれる。

確かに、二者択一的に、どちらが「ホンモノ」なのか? と問われれば、おそらく多くの人は『桜だけの正義の味方』(個人的な感情)こそが正解である、と答えると思います。しかし、それでもほとんどの人は、凛ルートをプレイし終えた瞬間には、士郎の痛ましいまでの信念の在り方に憧れ、感動もしたのではないでしょうか? 凛ルートの士郎の在り方に我々がやはり心打たれ、引かれるのは、「それが出来ないと分かっていてもそれに『憧れる』から」ではないでしょうか?


 つまり、人の心の在り方は二者択一論的なものではなく、そうした「あり得ない理想」への憧れと、「何があっても守り通したいもの」との間で、優先順位を付けつつ心のバランスを取るのが、本当の人の在り方なのではないでしょうか? 例えば、


最優先事項は、イリヤの笑顔を守ること。(←個人的な感情)


次の優先事項は、身の回りのみんなの幸せを守ること。


多分無理だけど出来るといいなぁと思うことは、世の中の人間全てを助けること。(←普遍的な倫理観)


といったように、優先順位をつけて、可能な限り全力で頑張る、というのが現実的な人の在り方であったようにも思うのです。

http://pasteltown.sakura.ne.jp/akane/games/impression/fate.htm#ROOT

****************

この3段階の価値の序列の付け方に悩みながら生きてくことこそ、生きるということなのだと僕は思います。

まちばりさんの記事は本当に見事だった。


僕がこういうものを書きたい!っている理想形の一つ。

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真月譚月姫 5 (5) (電撃コミックス)

評価:★★★☆星3つ半

(僕的主観:★★★★★星5つ

お天気純真吸血鬼の破壊力を思い知ってほしい!

by 奈須きのこ


その通りだ。


アルクかわえー(笑)。


以上。


それ以上でも以下でもない。またゲームがしたくなってきました。


メディアミックスされた作品・・・ゲームを漫画化した作品で、少なくとも原作の本質を理解して、すでにもう知っている脚本を再度もう一度読みたい!と思わせるパワーを持つ作品を僕はほとんど知らないが、少ないもののうちの一つであることは間違いない。


>前の記事からの引用

■本質の理解とおもしろさは別のもの?

ちなみに、

「本質が理解してされていること」

「その話が好きなこと」

には大きな隔たりがある。

これは、僕が自分の評価を人としゃべっているときによく感じるのだが、自分が完全に本質を理解できたと思ったときには、ほとんどかなりの読み手がその本質を理解していないで、その他のガジェッド(装飾の部分)に萌えているだけということが多い。逆に、自分がよくわからないけど面白いなーと思うときには、様々な人の意見を聞いたり自分なりに時間をかけて初めてこの「おもしろさ」の背後にはこういった構造が隠れていたのか?と驚くことが多い。ちなみに、本質が理解できていない場合は、楽しみ方も間違えている場合が多い。

そう、つまり、おもしろい、ということと作品のテーマの本質は、ちょっとズレた位相にある場合が多いいようだ。おもしろさ、というのはたくさんの読み手・消費者が、自分の文脈にひきつけておもしろいと感じるもので、それが、必ずしも作者・クリエイターの追及したい本質のテーマと重なるというわけではないからだ。とりわけ、アニメーションは、本質がなくとも、物が動くという美しさやおもしろさだけで充分成り立つし、マンガもキャラクターのかわいさなどやちょっとしたサブの演出だけで、それだけで充分おもしろくなってしまうということもありうる。

もちろん本質をどこに設定するか?という問題もある。僕はここでは、動機の問題や作品を既定するドラマツゥルギーの構造を、小説や文学を評価する時の評価の仕方で評価している行為を本質の理解とよんでいるが、そもそも映画などにはまったく別の評価の仕方もあるし、それは当然マンガにもあるだろう。まっ、だが、基本的には脚本を評価するのは、文学や小説を評価する見方でよいとは思う。そこが大きなウェイトを占めることは間違いないのでね。


*************


閑話休題

ちなみに、この前の夏コミで購入したCRAZYCLOVERCLUBさん『T-MOON COMPLEX X』が、ものすごく面白かった。僕はもともと同人誌ほとんど読んだことなかったのだが、これはよかったなー。同人誌って、Hなものしかないとおもってました。誤解でしたスミマセン(てへ)♪。これは、ホロウの後の世界(たぶん)で、アルクとFateのメンバーが出会う話で、志貴とイリヤのサーバントのバトルシーンが、むちゃむちゃかっこよかったです。うまいよこの人。僕は選択方法がさっぱりわからず、多く並んでいる人のところにはし君にすすめられて並んだだけなんだが、いやーこれはえがった。

http://www.crazyclover.com/



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フェイト/ステイナイト[レアルタ・ヌア] (通常版)

評価:★★★★★星5つマスターピース

(僕的主観:★★★★★星5つ


あの傑作のPS2への移植版。


いま時間がないから時期が過ぎたころにでも買いに行くべー。


・・・・ちなみに、一言いえば、買ってやってみるといいですよ。質は、好みを違いを超えるレベルの傑作なんで。


http://www.akibablog.net/archives/2007/04/fate_stay_night_realta_nua_070420.html

アキバblogsさんより


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<<ミクロとマクロの接続の失敗・日常と非日常の対比演出①>
■トータルの感想
■評価の軸をどう設定するか?
■キャラクターに感情移入するためには~ミクロの物語とマクロの物語の接続
a.ミクロ(関係性の領域)とマクロ(ドラマツゥルギー)が、意味を持ったつながりになっていない
b.主人公の対比が分かりにくい
■日常と非日常の対比という伝統的スタイル~マクロの脚本は秀逸

<<宗教的救済を志向する主人公・ナルシシズムからの脱出劇の典型②>
■人間存在の「何」をフォーカスして観察するのか?
■極限の悪とは何なのだろう?~まだ僕にはよく理解できていない
■猟奇の内部から物事を見る~なぜそんなことを?

<<宗教的救済を志向する主人公・ナルシシズムからの脱出劇の典型③>
■全体の次元に位置する悪の立場に立った個人の視点が、世界を眺める時・・・
■アーチャー&遠坂凛コンビかっこえーなー~彼らは何と戦っているの?
■物語の構造の総評~メタレベルの物語と日常と非日常の対比
■閉じることの拒否~それでも逃げることを拒否する
■マクロがミクロを知る物語~堕天使は人類の味方


上記②の続きです。


■全体の次元に位置する悪の立場に立った個人の視点が、世界を眺める時・・・


そして、、、、なによりもそういった、自分の心が崩れて怪物になっていく絶望感や虚無感など、人間的なるものが解体していく過程を、凄い哀切とシャープ現実認識で、著者は描いていく。ここでは別にホロウに限って、書いていません。全作品がそうだもの。


そう思いませんか?


、、、、切ないくらいに美しいんですよ。


山の上で虐待を受けて殺されたアンリマユが・・・・自分を殺した村がなくなった後も、俯瞰してその山々と世界を眺めるシーンが、胸に迫るほど美しいんですよ。明らかに不思議な郷愁とせまるような美しさを主人公は、、、アンリマユは感じていますよね?。それがすごく不思議なんです。あれほど苦しいことばかりなのに、なぜ、、、、、遠くから眺める世界が美しいと感じてしまうのか何度も、本人が、、、認め難いのだが・・・やはり美しいのだ・・・と追想しているでしょう?それがせつなくて、、、、。



■奈須きのこのカタストロフの描写の美しさ


たとえば、ライダーの核を描いた話で、ゴルゴンの三姉妹の末娘であるメデューサが、愛する二人の姉を殺すシーンなんか、それが切なくて悲しくて・・・・。


思わず号泣でしたよ。


しかも、この著者って、キビシーナーと思うのは、被害者は苦しいのは、末娘のメデューサだけだというような主観描写から、最後の最後のシーンで、実はそんな末っ子を二人の姉が心からうらやましく思っていたというシーンを入れて、、、、、その嫉みや苦しみを超えて、目をそむけず妹の与える死に準じる…いや死に準じるのではなく、愛する妹を一人にしないために、目をそむけないってシーンが来るところです。


もう・・・何ともいいがたくて・・・。なんて、切なく美しいんだ、と思う。


そして、そこで逃げない二人の姉の行動からこのほとんどライトノベルのガジェットとして出てきたようなツンデレ姉×2が、「そこで逃げない!」というワンシーンだけで、彼女たちがいかに苦しい過酷な人生を送ってきたか、、、、そしていかに深く本当に妹を愛していたか・・・・が一発で読み取れてしまう・・・・。相手に殉じることができるのが、一緒に運命を甘受できるのが、愛なんだよ!。


うーむ、天才だなー。何が天才かというと、行為心理的な動きや、関係性の描写・・・・マクロに飲み込まれていくミクロの悲哀をバッチリ読者にたたきつけれる演出力とかが・・・・・見事なんです。ともすれば、その演出方法が、通俗的な萌キャラの主観や外観という記号を使用するために、なんだか文学読みっぽい人からは、下に軽くみられる傾向があるけれども、「これ」こそが最も難しい極上のエンターテイメントのコアの部分なので、僕は絶賛ですよ。


ちなみにおさらいすると、奈須きのこさんのカタストロフの描写すごく美しく見えるのは、主人公(=その時の読者の感情移入ポイント)をこれでもかと悲劇に追い込んでいく。たいてい愛する者や大事なものを自分自身がぶち壊すような悲劇まで。これは、マクロの仕組みにミクロが「どうしようもなく」巻き込まれていく形をとります。そして、ぎりぎりまで主人公が追い詰められるのだが、実は、主人公「のみ」が悲劇だと、主人公も読者も思い込んでいるのだが、その最後の瞬間に、自分の周りの人間は自分以上に苦しんでいた…ということが、わかってしまう(=ナルシシズムが破られる)ことが同時に起きる。ようは主観でずーーーっと描写するし、主観から見る世界がライトノベル風ツンデレ世界みたいなポップさがあって、それが、どんどん引きづり込まれていくのですが、最後に一気に相対化を起こすわけですね。絶対性が、一気に相対化起こして、自分の苦しさのが実は他者も背負っていたことに気づき、そんな世界の残酷さと美しさに、、衝撃を受けるという脚本・演出なんですよね。ようは、、、、自分、他者を、世界を知るということを目指しているんでしょう。


①自分自身が、壊れること


②大事なものが、壊れること(=たいてい自分が壊してしまう)


③そして、②が実は自分以上に苦しんでいる存在であることに主人公が気付いてしまい、それまでそういった悲劇の主人公でナルシシズムに浸っていた自分がいかに愚かだったかまでが暴露されること


この3つが同時に発生するんですね。


それが、とんでもなくせつない。①~③で自己ナルシシズムが壊され、②で対幻想(=恋人関係など依存ね)が壊され、③で世界そのものをたたきつけられる、という流れ。これで、完全にナルシシズムの世界は、ノックアウトですもんね(苦笑)。


音楽の効果なんかを見ているとわかるんだけれども、そういった猟奇的な描写で人間の悪を内部から体感させ(そのシーンの効果音は、ものすごくえげつない)、その被害者の受けた対象者の受けたボロボロの傷を最後の最後まで暴きたて・・・・そして、そうせざるを得なかった、そんなドラマツゥルギー=という現実に巻き込まれた登場人物を、俯瞰ショットから(=読者や視聴者の視点)眺めるときに、凄まじいやりきれない哀愁が漂うんだよねー。


「ではどうすればよかった?」


「どうにもならなかったんだ」


というような、深い諦念が、さびしい笑顔とともに語られるような感じで。この辺の著者の世界理解には、深く落涙するんだよなー。人間はナルシシズムの奴隷で、その奴隷構造から逃げられない。わかった!と思った時は、自分と愛する人と、世界そのものを自分が壊してしまったあとなんです。厳しすぎる。


ただし、、、アンリマユには、②~③の体験や自覚はないんですね。①の自分自身が壊れるだけなんです。だから彼には向かう方向性も意思もない。


それが、士郎の人格に憑依することで、方向性が与えられるというわけです。そこで、、、、、そこまで一方的に人類の悪を身に受けながら、、、、、それでも、世界が美しいって、思うんだぜ!そんなのあるかよっ!!!(泣)。この辺は、美学が入っているなーと思う。すべてが滅びた世界で、一人え世界を眺めるようなイメージ。ああっ、、、そういえば、手塚治虫さんの『火の鳥』を思い出すな…。アンリ・・・・かっこいーよおまえ。。。つーかせつない。。。

手塚 治虫
火の鳥 2 未来編 (2)


■アーチャー&遠坂凛コンビかっこえーなー~彼らは何と戦っているの?


かっこいーなー。アンリマユとカレンが、天の階段を登るときの絶対防衛ラインでの、戦いは全員が、一致団結するというか・・・一致団結していないんだけど(笑)、物語の盛り上げという意味でかっこよかったー。


なんつーか、あれって何と戦っているか?と考えると、


アンリマユの内面の善と悪との戦いなんだよね。


正確に言うと、善と悪というわけではなくて、ある意思とある意思の戦いがあって、それぞれの意思の代表としてあの気持ち悪い獣たちと、士郎の影みたいな姿の二つが戦っているわけだ。


つまり、心の中にある葛藤が、エネルギーとして形を保ち、現実に出てきたと考えるわけだ。思想戦をしても、見ている観客にはわかりにくいし、面白くないので、、、このまま永遠に日常が続けばいいと考える気持ちが、それに反対するものを皆殺しにしようとする獣となり、逆が、ブラック士郎になるわけなんですね。そして、その大戦争や肉弾戦を、目に見える戦闘シーンという、わかりやすいカタルシスに置き換えてあげているわけですね。ある意味これは様式美の演出方法ですね。



■物語の構造の総評~メタレベルの物語と日常と非日常の対比

ストレートにいうと、『オープンユアアイズ』『ヴァニラスカイ』『トゥルーマンショー』などのドラマツゥルギーとまったく同形の作品。上記で書いたのですが、

     

1)「心地よい日常という永遠」の中から、物理的に脱出するという劇としての筋書き

と、


2)心の中で停滞していたエネルギーがある方向へ「変化・進化」することを意思する


というダイナミズムを重ねているという意味で、永遠の日常からの脱出劇という典型的でオーソドックスな脚本パターンですね。内面の葛藤と、外面(=物理的現実)での境界を失わせて重ねることで、視聴者にとってわかりやすい劇になるのだ。『マトリックス』なんかは、永遠の日常を目覚めたところから現実がスタートするという意味では、なかなか秀逸ですよね。くろうさんが、学園祭物語の系譜という形で、これらのカテゴリーをいろいろあげているが、この系統は、かなりオーソドックスな様式美のようなのだ。このシリーズを、いろいろ探してみてカテゴライズして時系列で追うと面白いかもしれない。もっとも初期のリュミエール時代のフランス映画の、有名なルネクレール監督のの『眠るパリ』なんかも、まったく同形の脚本だ。たぶん歴史的の追えば、想像力と演出の物理的限界だと、どうしてもこうなるようだ、ということが分かると思う。ちなみに僕は、『月姫』のファンディスクである『歌月十夜』をやっていないので、わからないが、様式としてはまったく同じものらしい。そういう意味では、この系統の様式の見事なパターンといえよう。・・・・やれなくてさびしいです。

ビデオメーカー
眠るパリ(1923)/幕間(1924)


□ビューティフルドリーマー~学園祭物語の系譜~
http://d.hatena.ne.jp/crow2/20060629
くろうのだらオタ日記


東宝
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー

『Fate/hollowataraxia』ミクロとマクロの接続の失敗・日常と非日常の対比演出①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028096433.html


ちなみに、「永遠の日常」は、この終わりが意識されていればいるほど、その日常の愛しさが深まるという構造なんですが、脚本的には優れてバランスが取れているのですが、演出的には、非常にかったるくなってしまっていて・・・・そういう意味では、脚本がバラバラというのがよくわかる作品でした。まーFate本編レベルは、神レベルなんで、、、そこまでやる必要があるかといえば、ファンディスクなんで、、、ね(苦笑)。アンリマユだけで、超度級のアイディアだよ。ちなみに、アンリマユのような、全体の悪を一人で背負ってしまうような存在や、善と悪を倫理的にわざわざ分けて、それを行きつくところまで到達させてしまうような「この」造形が好きでない人は、この作品は駄作に感じるだろう。完成度は、本編にくらぶればかなり低い。が、、、、逆に、アンリマユのような設定がつぼの人(例えば僕)には、、、、、すげーーー感涙にむせぶ作品。そういう意味では、受け手を少し選ぶ作品かもしれない。ただ、そもそもエンタとしては、水準はかなりクリアしていますけれどね。


永遠の日常についての考察/『魔法先生ネギま!MAGISTER NEGI MAGI』

ちなみに、本日先ほど、『シムーン』というアニメを見終わったんだけれども、それも最後の最後でたたみかけるように、この日常・・・・というか、閉じられた「いま」からの脱出を指向するんだけれども、凄い世界を作りこんでいるだけにおしいのだが、全然脚本と演出が…ミクロとマクロがリンクしていないので、視聴者の脳内補完を要求するレベルが高すぎて、エンターテイメントとしては崩壊していたと思う。好きな人には、死ぬほど好きなメッセージなのだが、たぶん好きでない人にはさっぱり補完できない作品だった。この系統の作品を、エンターテイメントとするには、演出力やマーケッティング力を駆使しないと独り善がりのクリエイターの独善的作品になりやすいことを示していると思う。そういう意味では、内面の吐露も多いので、クリエイター(=たいてい監督)の人格としての成熟度が、もろに問われる凄い怖い形態の類型かもしれない。『シムーン』は、監督や脚本はなかなか抑制がきいて、よかったので、かなり熱狂的に少数者にメッセージが届いた可能性はあるが、、、、いかんせんマーケッティング意識が僕にはほぼゼロに見える。どうしたら広範な人に「わかりやすく」提供できるかという意識がゼロで、傲慢ではないのだが・・・ちょっと甘いな…と思いました。

   

■閉じることの拒否~それでも逃げることを拒否する~宗教的救済への志向


まぁ脚本といいたいことの本質は、こうみると非常にオーソドックスだと言えます。演出の手法もね。ただ、アンリマユの発想など題材が、やはり非常に奈須きのこ的というか、独創的ですよね。この題材の選び方が、これらの作品を作品たらしめている大きなオリジナルな部分であると思います。基本的に、奈須きのこさん、TYPE-MOON作品のナルシシズムへの拒否は、総じて以下のパターンを示します。


①自分自身が、壊れること


②大事なものが、壊れること(=たいてい自分が壊してしまう)


③そして、②が実は自分以上に苦しんでいる存在であることに主人公が気付いてしまい、それまでそういった悲劇の主人公でナルシシズムに浸っていた自分がいかに愚かだったかまでが暴露


されることこの3つが、同時に発生するんですね。


そのため、どうしようもなかった・・・という深い後悔と哀愁が、全体に漂うんですね。③まで暴露して、告発することが、心理的にも物理的にも、容赦なく暴かれるところが、これらの作品の容赦のないところです(笑)。大抵そこまで、えぐりませんし、肉体的にも極端な世界を、詳細に内部から描いたりはしないです。


士郎なんか典型ですが、この①~③フルラインナップで体験(苦笑)しているにもかかわらず、「それでも」逃げないんですねー。そこが、凄い。構成的には、こうした意匠(=表面)は猟奇モノで、脚本は、ナルシシズムの告発です。


先ほど、この作品の物語世界の舞台が、アンリマユの内面になっていて・・・・内面の中が善と悪に切り分けられて闘っていると書きました。これって、非常に倫理的な問いかけで、、、こういことを真面目に追及していると、最初は青臭いのですが…その内、人類の罪とかそういうレベルを考え出して(笑)、、、色彩が非常に宗教的色彩を帯びるんですね。宗教的って?なに、、、といわれると、それはやはり、いまいる「自己」という閉じられた世界が、何らかの契機で、より巨大な「世界」に包括されていつことに気づく瞬間で、それが解放であり、自己の死であり・・・・ってこれも抽象的で長いんで、また書きます。一言でいうと、内面が救われない限り、人間は救済されないんですよね。けど、自己を救済するのは、単純じゃないんです。理解されればいいという少女漫画も、それはある意味少女漫画の限界で、理解だけで世界が体感できるはわけが本当はない。人間存在として…対幻想(=恋人などの依存関係)レベルでの救済は、人間存在の救済までは至りません。世の中には、恋人とお金と自己の欲望をすべて得ても、それでも救われないというちょっと困った人は、それなりにいるものなのです(笑)。

コリン ウィルソン, 中村 保男
アウトサイダー
コリン ウィルソン, Colin Wilson, 中村 保男
宗教とアウトサイダー〈上〉
コリン ウィルソン, Colin Wilson, 中村 保男
宗教とアウトサイダー〈下〉

ちょっと抽象的すぎたので、具体的な場面とセリフで、追ってみます。この最後の最後で、爽快に逃げることを拒否するシーンは、カタルシスだよなー。


***********


-----------彼が、彼女に別れを告げなかったように。

彼女もまた。このあり方を、胸の内に秘めたように。


「・・・・・・ここは未来を重んじる者のみが至る梯子だ。私にも、貴様等にも踏み入る余地はない。」



***********

このへんは、かっこえがったなー。これは、天に昇るアンリマユを守るために階段の下でセイバーが語るセリフなんだけれども、・・・・上記に「私にも」というセリフがあるところが、ぐっとくるんだよなー。なぜならば、個として解放されたセイバーは、本当は残りたいんだよ。そりゃー愛する者のそばにいたいさ。けど、それはだめなんだ、私にはその資格がない、、、と言い切っているんだよね。これは、自身が生者ではないこと・・・・「いまここ」にいるべき存在でないことを、これでもかって、彼女は深く理解しているんですよ。。。美学ですなー。


***********

この女は弱い。能力は申し分ないが、存在として弱すぎた。生存に疑問を持つなど致命的な欠陥だ。


今にも死にそうな精神。


常に気を張っていなければ手首を切りかねない悲観性。


だが・・・


---------それでも、ここまでやってきたじゃないか。

「アンタは不器用で無様だったけれども。


ずっと、少しでもマシな自分になろうと頑張ってきた。


弱くても努力して、なんとか自分を良くしていこうと足掻いてきた。


今まで苦しみながら呼吸を続けてきた。


・・・・・その誇りを。

おまえが認めてやれなくて、だれが認めてやれるだろう。



***********


これを、、、、、アンリが言うんだぜ。・・・・・人類からあれほどの仕打ちを受けた奴がさっ!。これは、生きることの肯定たとえ、間違っていても、弱くても、苦しいだけの人生でも・・・・・それでも、頑張って戦う行為が美しくないわけなかろっ!!!その誇りを、自分こそが認めなくてどうする!。うわーすげー胸に来る。


***********


「あのバカ神父もいっていたじゃないか。行き詰ったら海を渡れってさ。それは正しい。・・・・・バゼット、世界は続いている。」


それが可でも不可でも構わない。


そもそも現在を走る生き物に判断など下せない。



***********


行き詰った海を渡れ。

・・・・いい言葉だ。

僕も学生の時に、旅に出ました。中東からヨーロッパ横断して4カ月ほど放浪に(笑)。

そもそも、正しいとか、、、、悪とか善とか…そんなことは、「いまこの時」を生きている生き物は考えてもしょーがないんだ。考えちゃうものだけどさっ(笑)。けど考えた時は、何か大きなものを身に、世界を旅すればいい。今の自分の場所に縛られたものの見方が解放される時が来るから。


***********

-------なんで。何の取り柄もない私を、どうして選んでくれたのです。


私は貴方の言う通り弱くてつまらない人間なのに。」


・・・・・確かに照れくさいわな、と納得した。


「・・・・わかんねえかなぁ。だからそこがいいの。オレが好きなのはアンタノそういう弱さだ。


自分が嫌いで、一生好きになれなくて、それがわかっていながら、少しでも上等な自分になりたくて足掻いてきた。


オレはそういう無様なヤツがいい。


結果はどうあれ、自分の為に進む奴が好きなんだよ。」



「------------それは、誰かの為ではなく?」



「ああ。そういうのは余裕のあるヤツニ任せておけばいい。アンタハもう少し、時自分だけで手いっぱいだってことを自覚するべきだ。バカなんだから。」


バカなんだから……うわー愛があるなー。このセリフ。ラストの展開は、この肯定に満ち満ちていて、いやーーーーーいいねーーー!!!。感動する。しかも、すげーすっきり系統の落ち。




■マクロがミクロを知る物語~堕天使は人類の味方



ちなみに②で僕は、この作品が、神様=アンリマユの方向性がないエネルギーに、意志を持たせるという脚本です、と書きました。これはすなわち、マクロがミクロを知る物語と、僕は読んでいます。グノーシス派キリスト教の経典とかの最初の創生の部分なんかが似た構造ですが、あれは、一人でいるとさびしいので鏡を作ったら、自分の相似ができた…とか、、、光りあれと叫んだら、影ができてもう一人の自分が生まれてしまった、、、とかになっているんですが・・・・なにを云っているかというと、ようはほっておくと何も生み出さないエネルギーが充溢した空間に、何らかの運動エネルギー(=ドラマツゥルギー!!)を起こさせるには、アクションが必要だっていっているんですよね。



そうすると、ようはマクロの存在(=ミクロの意味が理解できない)が、ミクロの世界に堕ちる・降りてくるという形式をとるわけです。ルシファーの堕天使も同じ構造。高河ゆんの『アーシアン』もすだけれども、天使の話を書くと、いつのまにかルシファー(=悪魔)が実は人類を愛した味方だったという話が多いのは、このためだと思う。、、、それを悪ととらえるのではなく、純粋なものが、現実に汚れることで、逆に個別性を得て・・・・・それまで知らなかった、苦しみを味わうかわりに、、愛も希望も得るという話なんですよね。下記の映画なんか、それを、演技!でできた稀有の例。さすが天才的アクターブラッドピットです。



 
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
ジョー・ブラックをよろしく  

ようは、赤ちゃんが、世界を知っていく過程と同じになるんです。それはマクロの力・視点を失うことの同義だけれども、しかしミクロの豊かさを生きるとこと指向する・・・・それは、やはり人類の存在の肯定です。この前、手塚治虫の『ブッダ』について、人間的なるもの存在の輪から抜けて出すことが、実は人間性の否定なんじゃないか?と言ったのは、この逆パターンを僕が大好きだからなんです。逆にいえば、ブッタは、僕の好きなのとは逆のミクロからマクロへ至るパターンを編み出した人と読めるのでしょう。

   

なっ・・・・長かった…読んでいる人いるんだろうか???(笑)。つーか、まだ自分でも疑問だけで答えを出していない問題が多いので、かきながら考えているので冗長で意味不明なものも多いと思いますので、いろいろこれから思考を進めていきたいと思います。時間かかってめんどくさいのですが・・・・・これをやると、物語への没入度が数百倍跳ね上がるので、人生が楽しいので、がんばります。


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■関係記事



TYPE-MOON 『Fate/hollow ataraxia』
http://d.hatena.ne.jp/genesis/20070214/p1  
博物士さんより




■ホロウの失敗は、ひとえに主人公の失敗であるかと。
http://rosebud.g.hatena.ne.jp/catfist/20070217/1171710896  
きゃっと・ふぃすと@美少女ゲーム年代記さんより



■「Fate/hollow ataraxia」プレイ日記第最終日。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20051111

SomethingOrangeさんより


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