5月に特養に入ったうちのママンですが。
先週土曜、あらたな手術を受け、
次は「療養型病院」に移ることになりました。
今回の処置は「気管切開」。
諸々の理由で窒息の危険が高まった患者さんの、
呼吸の確保のために行われるもの。
のど仏の下あたりに穴を空け、プラスチックの器具を差し込み、
空気の通り道を作ってあげる。
これをしてしまうと、医療依存度が高まって、
夜間、看護師さんがいない、
いまの特養では受け入れ不可となる。
特養のスタッフさん、みんないい方ばかりで、
建物の内部もきれいだし、雰囲気も明るいし…。
気切などしないで、寿命が短くなっても、
このまま最後まで特養にお世話になればいいじゃないか、
そこまでして、生きなくてもいいじゃないか、と、
最初はそう思った。
でも、入院中の病院のドクターに、
「むずかしい選択だろうけどね、でも…死んじゃいますよ?」
繰り返しそう言われて、気持が揺らいだ。
それは半年先かもしれないけど、明日ってことだってあるわけだ。
11月の連休中、悩みに悩んで…手術を選んだ。
やっぱり、当たり前だけど、呼吸が詰まるのは苦しい。
それさえ楽になれば、環境のほうは変えることもできる。
逆に特養にいて、死の恐怖を味わいながら、何度も助けられ、
また同じことを繰り返すようなことになったら…どうだろう。
自分の息を止めたり、口を塞いだり、喉をつまんだり、
想像力の限りをつくして、決断した。
でも…。
術後のおかーさんは、めっっっちゃ痛そうで、
涙をためた目を見開いていた。
痛そう~、痛そう~ってせんせーに言ったけど、
せんせーはへいちゃらぴな顔してたから、大丈夫みたい。
(せんせーは口は悪いけどやさしい人)
でも痛そうだった…。
おかーさんの手術なんて、ここ20年で4回目くらいだけど、
やっぱり老体にメスが入るのは見ていてきつい。
気切の欠点は、声が出なくなること。
5月に胃ろうを作った時も痛がっていたけど、
あのときは、「痛かった」って口で言えたもんね。
今度は…つらいよなあ。
しかも、いきなり口鼻じゃないところから、
空気が抜ける仕様になってしまったわけだから、
最初は慣れないみたいで、すごく苦しそうだった。
昨日、様子を見に行った時には、
出血もおさまって、かなり落ち着いてきた様子で、
少し安心したけれど、
まだまだ、違和感に慣れないのか、
懸命に呼吸しているようにも見えた。
わたしがパニック発作を起こすときって、呼吸が苦しくて、
意識して、吸う、吐く、吸う、吐く…としてしのぐんだけど、
そのうち、「ああ、これずっとやってるの、つらいな」って、
「死ぬまでこれ、やってなきゃいけないんだよな」って思って、
気が遠くなって、怖くて、余計に苦しくなったりする。
もっとも、わたしのは実際死んだりはしないけど。
おとーさんと元だんなも喘息持ちだったし、
おとーさんはプラス泥酔で窒息して死んでるし、
息ができない恐怖って、昔から想像する機会が多くて、
…だから余計に。。ね。
処置前に、気切をした患者さんに会わせてもらった。
その方は、とてもおだやかに呼吸していた。
それが、唯一の希望だった。
おかーさんも、早く、傷口がきれいに治って、
あんなふうに、楽に呼吸できるようになるといいなあ。
おかーさんに強いておいてなんだけど、
わたしのときは、もっと早い段階で、
さっくり殺してほしい。
今のうちに一筆書いとくか。
先週土曜、あらたな手術を受け、
次は「療養型病院」に移ることになりました。
今回の処置は「気管切開」。
諸々の理由で窒息の危険が高まった患者さんの、
呼吸の確保のために行われるもの。
のど仏の下あたりに穴を空け、プラスチックの器具を差し込み、
空気の通り道を作ってあげる。
これをしてしまうと、医療依存度が高まって、
夜間、看護師さんがいない、
いまの特養では受け入れ不可となる。
特養のスタッフさん、みんないい方ばかりで、
建物の内部もきれいだし、雰囲気も明るいし…。
気切などしないで、寿命が短くなっても、
このまま最後まで特養にお世話になればいいじゃないか、
そこまでして、生きなくてもいいじゃないか、と、
最初はそう思った。
でも、入院中の病院のドクターに、
「むずかしい選択だろうけどね、でも…死んじゃいますよ?」
繰り返しそう言われて、気持が揺らいだ。
それは半年先かもしれないけど、明日ってことだってあるわけだ。
11月の連休中、悩みに悩んで…手術を選んだ。
やっぱり、当たり前だけど、呼吸が詰まるのは苦しい。
それさえ楽になれば、環境のほうは変えることもできる。
逆に特養にいて、死の恐怖を味わいながら、何度も助けられ、
また同じことを繰り返すようなことになったら…どうだろう。
自分の息を止めたり、口を塞いだり、喉をつまんだり、
想像力の限りをつくして、決断した。
でも…。
術後のおかーさんは、めっっっちゃ痛そうで、
涙をためた目を見開いていた。
痛そう~、痛そう~ってせんせーに言ったけど、
せんせーはへいちゃらぴな顔してたから、大丈夫みたい。
(せんせーは口は悪いけどやさしい人)
でも痛そうだった…。
おかーさんの手術なんて、ここ20年で4回目くらいだけど、
やっぱり老体にメスが入るのは見ていてきつい。
気切の欠点は、声が出なくなること。
5月に胃ろうを作った時も痛がっていたけど、
あのときは、「痛かった」って口で言えたもんね。
今度は…つらいよなあ。
しかも、いきなり口鼻じゃないところから、
空気が抜ける仕様になってしまったわけだから、
最初は慣れないみたいで、すごく苦しそうだった。
昨日、様子を見に行った時には、
出血もおさまって、かなり落ち着いてきた様子で、
少し安心したけれど、
まだまだ、違和感に慣れないのか、
懸命に呼吸しているようにも見えた。
わたしがパニック発作を起こすときって、呼吸が苦しくて、
意識して、吸う、吐く、吸う、吐く…としてしのぐんだけど、
そのうち、「ああ、これずっとやってるの、つらいな」って、
「死ぬまでこれ、やってなきゃいけないんだよな」って思って、
気が遠くなって、怖くて、余計に苦しくなったりする。
もっとも、わたしのは実際死んだりはしないけど。
おとーさんと元だんなも喘息持ちだったし、
おとーさんはプラス泥酔で窒息して死んでるし、
息ができない恐怖って、昔から想像する機会が多くて、
…だから余計に。。ね。
処置前に、気切をした患者さんに会わせてもらった。
その方は、とてもおだやかに呼吸していた。
それが、唯一の希望だった。
おかーさんも、早く、傷口がきれいに治って、
あんなふうに、楽に呼吸できるようになるといいなあ。
おかーさんに強いておいてなんだけど、
わたしのときは、もっと早い段階で、
さっくり殺してほしい。
今のうちに一筆書いとくか。