「きょう、ママンが死んだ」
これを実際口にする日がくるとは…
仏文科入学当時は夢にも思わなかった。
手術をしたと書いたばかりだったけど…
4日の早朝だった。
やっぱり、気管切開はイヤだったのかなぁ。
いやだよぅ、もういいよぅ…って。
駆けつけた叔父、叔母たちも、
「長い間つらかったよね、やっと楽になれたね」
そう言っていた。
わたしも、そう思った。
最後まで、お母さんが痩せて弱っていく姿を、
直視することができなかった。
介護もついつい施設まかせで、
足を運ぶこともあまり頻繁ではなかった。
後悔も反省も山ほどある。
でも、じっくり振り返るには、
もう少し時間がかかりそう。
遺影のお母さんは、まだ元気で太ってて、
幸せそうな顔をしている。
そういう写真を選んだ。
背景や服も、華やかなものにしてもらった。
今は、こういう思い出だけでいいと思った。
思い出すのは小さい頃のことばかり。
美人でやさしいお母さんだった。
喪主を務めるわたしを見て、
若いのにしっかりしてるねと、
そう言ってくれる人も多かったけど、
基本、超過保護に育った一人っ子。
スーパー甘ったれなのです。
だから、みなさん今後とも
援護よろしくお願いします。
それにしても…
じーちゃん、ばーちゃん、
おとーさん、おかーさん。
ひょっとしてみんな後ろにいるのかなー、
とか思ったら、
悪いことできないなって思いました。