しゅ‐は‐り【守破離】

剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

 

 
 
3月に出産、4月にはトリプル女神の覚醒、5月は最愛のお父さんとのお別れもあり、
この数年間を振り返ってました。
 
 
 
3年前は月収10万も厳しく、いつも嫌な出来事ばかりの毎日を過ごしていた私。
 
今は収入もどんどん高くなり、現在は月商3000万を超え、大好き❤️ばかりの幸せいっぱいの毎日を過ごしています。
 
 
振り返ると、「学ぶ」という事にとことん素直になってから、私は成長がとても早かったと思います。
 
 
綾子さんのこの記事にもありますが
この守破離は、もう永遠の法則で、この「守」ができない人はそれこそ永遠に成長はないんです。
 
 
 
 
何か成長したいと思う時や
この人みたいになりたいなと思う時。
 
誰かから学ぶということは
まず、全部信じるということ。
 
自分の意見は置いておいて、まず無批判にその人がやっていることを全て写す。
 
 
「守」です。
 
 
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有名なプラハの図書館。行ってみたいです・・!
 
 
 
前にも書きましたが
鵜呑みにするというのは、その人の持って生まれた性質や、向き不向きの問題じゃなくて「学ぶ」という事において絶対の最速の成長方法です。
 
 
 
「私はなかなか疑い深い性格だから~」とか、向き不向きで判断するのがもうセンス皆無です。
まだ成長も何もしていない状態、いわゆるセンスない状態での「いいとこ取り」は、いいとこ一切取れてないです。
 
 
これがすんなりできるのが3%だとも思っています。
人のせいにしない、という事です。
 
97%は、「本当に正しいのか?私はこれを鵜呑みにして損しないのか?」「この人を信じていいのか?」と確認してから「今の自分に分かるところだけ」を安全に取り入れようとします。
 
その「安全」すら、グラグラですけどね。
 
 
3%は、自分に起こる事、自分が選んだものは最善!と自負しているので100%を持って学べるんです。
選んだ自分自身を信じるという事です。
自己信頼=他者信頼です。
 
 
学ぶのが下手な人は
早い段階で批評や自分の意見を入れちゃう。
 
 
学べる事がいっぱいあるのに、自分の意見や批評を入れちゃったらその分学べる事が減ります。
 
それをプライドといいますが、プライドはよく自尊心と類語にされます。
 
 
庶民は自尊心の使いどころがおかしいんです。
 
くだらないプライドです。
くだらない自尊心です。
 
 
私は
疑問に思う事や、分からないことは
「まだ自分が未熟でバカだから分からないんだろうな。」と思うように、しています。
 
 
あと1年経ったら、わかるかも
あと2年経ったら、わかるかも
 
 
そういう気持ちで、自分がこの人から学びたい!知りたい!と思った事は鵜呑みにしています。
 
 
 
 
 
 
 
 
一つの「明らめ方」として

何をするにも、名乗ってみればいいんです。

 
何かを学ぶにしても、誰かのブログを読むにしても、何か自分の中でそれに対する「自分の意見」「自分の批評」が出てきたら淡々と名乗ります。
 
 
 
振り返ると、私はこれをやってました。
 
 
 
モヤっとした気持ちや、疑問が出ても
「こんにちは!私は30歳、女性、こども2人、美女だとよく言われますが自分ではそう思ってません。月収10万、毎日嫌な事ばかりの世界です。そんな満たされないシングルマザーとしては…」
 
と、立ち位置を常に名乗ってから意見を言う。批評してみる。
 
 
これやってたら、いかにくだらないプライドが成長のチャンスを棒に振ってるか気づくんです。
 
どれだけ自分ががめつく、素直に受け取らず、取りこぼしているかが。
 
自分の下らない庶民のプライドで器をいっぱいにして、せっかくのチャンスを取りこぼしているかが。
 
取りこぼしについてはこちらをどうぞラブラブ
 
 
 
ただの野次馬で読んでる人は置いといて、
何か人生を豊かにするヒントが欲しいと思って色んなブログを読んでいるなら、いかに素直に受け取れるかは重要です。
 
ちゃんと自分の立ち位置を明らかにして表に出す。発言する。
 
意味のある自己開示って、ただそれだけな気がします。
 
別に洗いざらいブライベートを晒すとか、
自分の感情全てぶちまけるとか、そういうのじゃなくてね。
 
 
 
 
 
 
それが、「ありのままを受け入れる」という事。
全肯定ということ。
 
全肯定、ありのままの勘違いをしているひとがとても多いですが、
「ありがとう!これでも十分幸せです!十分満たされてます!」と思い込むという事ではないんです。
 
月収10万の自分も、満たされない自分も、嫌いな事ばっかりな現実を生きている自分も、「これが今の私」と自覚する事。
逆に、月収1000万で幸せいっぱいな毎日を生きている私も、「これが今の私」と自覚するという事。
 
これが全肯定。ありのままを受け入れること。
 
 
 
 
 
 
 
今は
「こんにちは!34歳、女性、未婚、子供4人のシングルマザーです。彼氏あり。会社経営。月商3000万で、生まれてこのかた、ずっと美女の、毎日幸せいっぱいな私からしたら…」
 
 
 
という立ち位置でいつも何かを見たり、読んだり、ブログを書いたりしています。
現在の立ち位置を公開宣言しています。
 
 
いつだって勇気要りますよ。
全ての人が同じ立ち位置じゃないので、全員に理解される事はもちろんありません。批判されたり攻撃されたりもします。でも、どんな人だって、自分の意見は、自分の場所であれば何を書いてもいいと思ってます。
 
 
ただ、立ち位置はいつも入れること。「私目線」をごまかさずにいつも自覚すること。月収10万だとしても、月収1000万だとしても、どちらにしろごまかさない。
これが一番の成長になるんです!!
 
 
それをね、自分の立ち位置は、本当はまだそこじゃないのに
「人格者なら、こういうから」とか
「出来る人ならこういうから」とか
 
 
逆に、「嫌われちゃうからそこそこだという事にしておこう」と、
自分の立ち位置をごまかしてばかりだから、ごまかして書いてるから、おかしな事になるんです。取りこぼすんですよ。
※自分への戒めです。笑
 
 
まぁ人格者の定義も
「全ての人に温かいひと」とか
「どんな人にも優しい眼差しを向けるひと」とか
ほぼほぼ、庶民が定義した「人格者」だと思いますけどね。
 
 
庶民の、庶民による、庶民の為の人格者
 
 
だから私は庶民の庶民による庶民の為の道徳は大嫌いなんです。
話が逸れました。
 
 
 
自分を明らかに見る目が絶対であれば。
現在地を正しくいつも自覚しているのであれば。
 
 
人の事も、「今の私」から見て、正しく明らかに見れています。
目線はいつだって自分です。
 
 
憧れの人はどんどん変わっていくし、学びたいと思える相手も変わっていく。すごく自然なこと。
 
という事は、排除対象もしっかり見極めます。
 
ものすごく成長した今の位置からちゃんと見て、すごく切ないけれど、ちゃんとわかるのです。
 
自尊心を持って一線を引く。というのは、まず徹底的に「守」をやってからです。