あしたのジョー | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

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懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

 今日は。

 先週は突然お休みして申し訳ありませんでした。


ところで、あの、ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズが9月10日に世界同時で絵本 『Gus & Me』を発売したというので、早速本屋に行きましたが、見つけられせんでした。

もう読んだ方はいますか?


 今回は、8月に紹介した「あしたのジョー、その時代」 の作品そのものについて書いてみたいと思います。


<あしたのジョー>


あしたのジョー2  こんな国民的な作品のストーリを改めて紹介する必要もないと思います。
もし読んだことがない人がいたら、是非、この作品を読んでほしいと思います。
今読んでも決して古くありません。


 この作品が発表された67年暮れから73年の6年間僕は、この作品をオンタイムで読みました。
でも正直を言うと、この時は、「巨人の星」の方に夢中になっていました。
少し遅れて連載された「あしたのジョー」は読んでいたし、好きでしたが、力石徹の告別式をファンがやることにはついていけませんでした。
また、あの有名な最後の真っ白に燃え尽きるシーンの論争(ジョーは死んでしまったのか)にもついていけませんでした。
もともと僕は人と討論することが好きではないからしれませんが…。


 何故なんだろうという疑問に対する回答のようなものを、最近見つけました。
「『巨人の星』は小学生から中学生に受け、『あしたのジョー』は中学生から高校生に支持された。」というのです。
あしたのジョーが連載された時(67年から73年)は僕は丁度、小学生から中学生そして高校1年生にあたります。


 漫画ですが、全ての少年が理解できるたのではないのでしょう。
やはり、その作品がフィットする年代があるのかもしれません。
前に書いたエッセイ「くたばれ涙くん」 の時もそう感じました。
漫画にも、その作品がわかる年齢とわからない年齢があるのだと。


 

この「あしたのジョー」は、それまで発表された他の「紫電改のタカ」 「ハリスの旋風」「ちかいの魔球」「少年ジャイアンツ」などのちば作品とは明らかに違いました。
それは、今までの主人公 滝城太郎(紫電改のタカ)・二宮光(ちかいの魔球)や石田国松(ハリスの旋風)達と、矢吹ジョーが違うところから来ていると思います。


 今までの主人公は滝を始め、少年誌特有の、正義感あふれる青年・少年でした。
ところが、このジョーは、生まれた環境にもよるのだと思いますが、人を詐欺にかけるなど、少し暗い面があります。
正義感一点張りの今までの主人公とは明らかに違います。
でも、そのため人間的ではあります。


 これは原作が高森朝雄(梶原一騎)だからでしょうか。
その影響はあるかと思います。

 

 

 例えば、力石の死を乗り越えて、再びリングに戻ったジョーですが、試合でなかなか相手の顔面にパンチを打ちこむことができません、
力石への顔面へのパンチが彼に致命的な傷を与えたからです。
その苦しみの中から、なんとかジョーは顔面へのパンチを打つのですが、その直後にジョーはリング上で吐いてしまいます。
主人公がリングの上で吐く。
それも一度ではないのです。
ジョーは自をがコントロールできないのです。
こんなに悩む主人公は今まで少年誌にいたでしょうか。



ちばてつや  こんな主人公を描けるのは、梶原が原作だからでしょう。
すごいのは、このシーンを書いているうちにちば自身の体調が悪くなってしまって暫くこの作品を休載していることです。
描いているちばが、原作者の梶原と、作品を書く段階で、自分自身の中で問答をしているうちに、ジョーがちばに乗り移り、自身の調子を悪くしのだと思います。


 
 梶原一騎は、同じ原作者として有名な小池一夫に「あしたのジョー」はちばの作品だと語っています。
それまで原作に忠実に描くことを漫画家に強要した梶原ですが、この「あしたのジョー」を書く際には、それはしないことを編集者とちばと三人で最初に決めたといいます。
ちばは、その当時、自分一人で、ストーリー作りから漫画まで描ける数少ない漫画家の一人でした。
そのため、梶原とちばは、お互いの家が近かったせいもありますが、かなり、打合せをしていたと言います。


 ちばは、暴力団の世界もわからなかったし、そもそもケンカすることさえ理解できなかったといいます。
ちばの性格からいうとこの大人の世界は理解を越えていたのでしょう。


 こうした二人が創り上げた主人公ジョーだからこんなにも我々に響いてくるのですね。


 話は少し変わりますが、僕の漫画の神様の手塚治虫は、他の漫画家に対して、かなり嫉妬を少年のように感じていました。
またそれを糧に新しいマンガを書いていました。
例えば横山光輝
ある時新聞に載った長者版付で手塚が横山に負けたことがあり、スタッフに激怒したという逸話があります。
石ノ森章太郎「ジュン」を読んであれはマンガじゃないと叫んだとか。
これも手塚自身では決して描ける作品ではなかったために、嫉妬したと言われています。
これには、後日談がありますが、これを書くと長くなるので、項を改め、後で書きましょう。
しかし、ちばてつやに関してこのようなことを聞いたことがありません。


 一つには、ちばが手塚が決して書かなかったスポーツマンガが主だったことによるものだと思います。
それとちばは、決して「自分が自分が」と主張する作家ではないからだと思います。


 同じ梶原一騎の原作の「巨人の星」は親子愛を、この「あしたのジョー」は師弟愛を描いていると言われています。
そして、もう一つ同じ少年マガジンの「愛と誠」が男女愛を描き、これで梶原一騎の三部作と言われているそうです。
いつか、「巨人の星」について書きたいと思います。