ある年配の女性が病にかかった時の話 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

2つ↓の投稿で、病について見ましたが、これはとある年配の婦人が病気になった時の話。

 

彼女はある時、一ヶ月近く風邪で寝込みました。いつも健康であったため、寝込んでも二、三日で回復してしまうような人でした。

 

ところが、今回の風邪はかなり堪えたようです。元気な人は、なかなか他人の病気の痛みを理解できない弱さがあります。心の内で、病気の人を「弱い人」と決めつけているところがあります。しかし、そうした健康傲慢を打ち砕かれる経験をその方はしたようです。入院こそしませんでしたが、食欲がなく、病院で数回、点滴を受けました。

 

その時、その方は嫁が自分のそばに付き添ってくれている姿が目に焼きついて離れなくなりました。その方のご主人(すでに亡くなっています)が、生前、病気で入院していたとき、自分の仕事が忙しかったこともあるのですが、一度もご主人のお見舞いに行ってやらなかった自分を思い出し、なんと自分は自己中心で、身勝手で、愛のない冷たい者であったか、と気づかせられたそうです。滅多に病気をしないその方が、今回の経験を通させられたことは神様のあわれみでした。その方は、今回の病を通して、自分の弱さとともに、さらに神様の愛とあわれみを深く知る機会となりました。

 

イギリスのスポルジョン氏は、神様を敬う者には「嘆きの召し」があると言っています。つまり、追い詰められた嘆願こそ、祈りの真髄を引き出すものだということです。そうして2つ↓の投稿で見たように神様の御業がまさに現されるわけですね。

 

 

嘆くことは決して悪いことや弱い人を指すわけではない、マイナスなわけではない、神様にあっては多くの益を引き出す神様の愛の配慮と言えます。
嘆きを通して、「主に身を避ける者の幸い」のひとつひとつを味わっていきたいものですね。それが私たちに対する神様の召しであるなら。

 

灯火と聖書「詩篇6:9」の言葉