私たちは、なぜ生きねばならないか…という問いを発しがちですが、生きるとか死ぬと かという人生の一大事の『なぜ』は、誰にも分からない。それよりも私たちは、誰も『生 きる』のではなく『生かされている』と考えると、おのずから生き方も変わってくる。
ー三浦綾子さんー
今日、ブ○○オフで色々見ていた時、
たまたま「生きる理由」についての中学生の疑問に答える本を見つけたのですが、
人の誕生の根本が、偶然できた、進化でできた、となっていた。
それではその中で誕生した生物、人間の生きる理由もまた偶然にゆだねていることになりますよね。
でも、私たちは神様によってひとりひとり、偶然ではなく、生まれる前から計画され、お母さんの胎内で組み立ててくださって誕生した。そうですよね?進化云々のプロセスを抜いても、人間の誕生を考えても、魂ができることも、こんな精密に身体が出来上がることさえ、ありえない。遺伝子情報云々どころの騒ぎではない。神様があなたを両親を通して作られた。
何と感謝なことだろう。偶然ではない。その神様は作って放置するのではなくあなたを養われる。「生かされている」のです。倉に何も収めるわけでもない鳥さえ養われ、野の草さえもき駆らせてくださる神様が。
今日、私たちは必死に生きるのではなく、神様の愛に生かされ、感謝し、委ね、歩ませていただこう。
「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。」
