なぜ生きるのか?(三浦綾子さん) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちは、なぜ生きねばならないか…という問いを発しがちですが、生きるとか死ぬと かという人生の一大事の『なぜ』は、誰にも分からない。それよりも私たちは、誰も『生 きる』のではなく『生かされている』と考えると、おのずから生き方も変わってくる。

ー三浦綾子さんー

 

今日、ブ○○オフで色々見ていた時、

たまたま「生きる理由」についての中学生の疑問に答える本を見つけたのですが、

人の誕生の根本が、偶然できた、進化でできた、となっていた。

それではその中で誕生した生物、人間の生きる理由もまた偶然にゆだねていることになりますよね。

 

でも、私たちは神様によってひとりひとり、偶然ではなく、生まれる前から計画され、お母さんの胎内で組み立ててくださって誕生した。そうですよね?進化云々のプロセスを抜いても、人間の誕生を考えても、魂ができることも、こんな精密に身体が出来上がることさえ、ありえない。遺伝子情報云々どころの騒ぎではない。神様があなたを両親を通して作られた。

何と感謝なことだろう。偶然ではない。その神様は作って放置するのではなくあなたを養われる。「生かされている」のです。倉に何も収めるわけでもない鳥さえ養われ、野の草さえもき駆らせてくださる神様が。

 

今日、私たちは必死に生きるのではなく、神様の愛に生かされ、感謝し、委ね、歩ませていただこう。

 

「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。」