ー喜びの40日間ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「モーセは急いで地にひざまずき、伏し拝んで、お願いした。『ああ、主よ。もし私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか主が私たちの中にいて、進んでくださいますように。確かに、この民は、うなじのこわい民ですが、どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自身のものとしてくださいますように。』主は仰せられた。『今ここで、わたしは契約を結ぼう。わたしは、あなたの民すべての前で、地のどこにおいても、また、どの国々のうちにおいても、かつてなされたことのない奇しいことを行おう。あなたとともにいるこの民はみな、【主】のわざを見るであろう。わたしがあなたとともに行うことは恐るべきものである。わたしがきょう、あなたに命じることを、守れ。見よ。わたしはエモリ人、カナン人、ヘテ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を、あなたの前から追い払う。あなたは、注意して、あなたが入って行くその地の住民と契約を結ばないようにせよ。それがあなたの間で、わなとならないように。いや、あなたがたは彼らの祭壇を取りこわし、彼らの石柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒さなければならない。あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから。あなたはその地の住民と契約を結んではならない。彼らは神々を慕って、みだらなことをし、自分たちの神々にいけにえをささげ、あなたを招くと、あなたはそのいけにえを食べるようになる。あなたがその娘たちをあなたの息子たちにめとるなら、その娘たちが自分たちの神々を慕ってみだらなことをし、あなたの息子たちに、彼らの神々を慕わせてみだらなことをさせるようになる。あなたは、自分のために鋳物の神々を造ってはならない。あなたは、種を入れないパンの祭りを守らなければならない。わたしが命じたように、アビブの月の定められた時に、七日間、種を入れないパンを食べなければならない。あなたがアビブの月にエジプトを出たからである。最初に生まれるものは、すべて、わたしのものである。あなたの家畜はみな、初子の雄は、牛も羊もそうである。ただし、ろばの初子は羊で贖わなければならない。もし、贖わないなら、その首を折らなければならない。あなたの息子のうち、初子はみな、贖わなければならない。だれも、何も持たずに、わたしの前に出てはならない。あなたは六日間は働き、七日目には休まなければならない。耕作の時も、刈り入れの時にも、休まなければならない。小麦の刈り入れの初穂のために七週の祭りを、年の変わり目に収穫祭を、行わなければならない。年に三度、男子はみな、イスラエルの神、主、主の前に出なければならない。わたしがあなたの前から、異邦の民を追い出し、あなたの国境を広げるので、あなたが年に三度、あなたの神、主の前に出るために上る間にあなたの地を欲しがる者はだれもいないであろう。わたしのいけにえの血を、種を入れたパンに添えて、ささげてはならない。また、過越の祭りのいけにえを朝まで残しておいてはならない。あなたの土地から取れる初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない。子やぎをその母の乳で煮てはならない。』主はモーセに仰せられた。『これらのことばを書きしるせ。わたしはこれらのことばによって、あなたと、またイスラエルと契約を結んだのである。』モーセはそこに、四十日四十夜、主とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、彼は石の板に契約のことば、十のことばを書きしるした。」

出エジプト記34章8-28節

 

楽しい時間はあっという間に過ぎていく。一方で大変な時間は短くても、とても長く感じることもある。試練の時などもそうですよね。では神様との時間はどうでしょう?あなたにとっては喜びの時間ですか?聖書には色んな事が書かれていますが、それはあなたが生きるために、本当のいのちに溢れるために語られた神様の言葉。私たちはこの喜びの、神様との時間をいつも喜び楽しもう。神様もあなたに栄光を現して下さるから、

 

さて、イスラエルの民がとんでもない罪を犯し、それでもモーセのとりなしの祈りもあり、神様は赦され、再契約を結ぶ事を約束され、石の板を用意し、再びシナイ山に登って神様との会話する場面が↑になえます。

 

モーセは神様と一緒でなければ意味がないんだ、と神様に食い下がり、民のためにとりなし祈ります。彼の決断を見た神様は「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に」と、約束されました。

 

モーセは喜びのあまり急いで、迷うことなく「…どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自身のものとしてくださいますように」と答えます。罰すべきものは…のくだりを聞くと躊躇しやすいのが人間。しかしそれにまさる神様の恵み、耐えることなく、途切れることなく保たれる神様の千代にまで及ぶ恵みの前に、彼は迷いはなかった。神様が守って下さる。神様の御手の中導いてください、とモーセは願うのです。

 

これに神様は喜んで「今ここで、わたしは契約を結ぼう。わたしは、あなたの民すべての前で、地のどこにおいても、また、どの国々のうちにおいても、かつてなされたことのない奇しいことを行おう。あなたとともにいるこの民はみな、主のわざを見るであろう。わたしがあなたとともに行うことは恐るべきものである。わたしがきょう、あなたに命じることを、守れ」とモーセに答えます。また彼らが同じようなことをするかもしれない、実際に彼らはこの先も似たような罪を繰り返します。しかしそれでも神様は契約を結ばれる。かつてなされたことのないほどの楠しい事をおこない、それを見させていただける。神様は立ち帰る人を喜ばれるのです。

 

今度は祭儀的な話も加わっています、守るべきこととして。しかし、それはもっと前、十戒や律法の中にあった事とかわりません。大事なのは、「あなたが入って行くその地の住民と契約を結ばないようにせよ。それがあなたの間で、わなとならないように…」というところにあります。

 

神様が契約を結んでくださり、神様が彼らに必要なものを与えないはずがあるだろうか?後に約束の地についた後、彼らは濃厚のことは彼らの農耕の神に祈ったほうが良い、など神様に頼らなくなっていき、苦しみます。しかし神様は何も与えてくださらないだろうか?助けてくださらないのだろうか?多額の献金をしたら助ける、良いことをしたら助ける、ならいったい誰が救われるのだろう。神様は初めに私たちに愛を示されたのです。彼らが闇の底、奴隷の中にあっても心に留め、驚くべき奇跡をもって救い出し、毎日養われ、戦いにも勝利させてくださり、助け手も時に応じて与えてくださった。

 

モーセは40日40夜かけ、神様と親しく交わりをもちながら、この喜びを用意した板に刻んだ。言われたから、を超えて、自分の信仰の告白だったのかもしれない。神様と過ごす1日はこの世の千日にまさると言いますが、時間さえ忘れさせてくださるほどに神様は私たちに奇しいわざ、恵みを注がれるのです。私たちも神様とこの濃密な40日40夜を超えた永久のいのちをあゆませていただこう。神様はこの恵みをあなたにも与えるべく、罪を犯し契約を破った私たちの罪の身代わりにイエス様を十字架上で罰し、死なせたのだから。そして3日目によみがえられたことによって、私たちを墓の中から、死のそこから、暗闇のそこから、罪の束縛から開放し、神様の恵みの道、天に行くまで続く永遠の喜びに導かれるのだから。この愛なるイエス様が共に。

 

私達はこの救いの喜びを心の板に日々刻み込もう。神様がくださっている恵みを忘れることがないよういつも心に40日40夜といわず、刻み続けよう。いや神様があなたに刻みつけて下さる喜びから決して目を話すことなく歩み続けようではありませんか。イエス様の命にあって結ばれる永遠の契約を喜び。