本当に他人事ではなくなってきた | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

例のウィルスによる問題、本当に他人事ではなくなってきた。

私の住む北海道帯広市。

十勝地区にあるのですが、十勝はコンスタントに100人近くの感染者を出しています。

そしてついに昨日…

酸素80前後まで落ち、体温もかなり高かった利用者さんが、

病院に搬送できない。救急車は到着していた、でも受け入れ先が本当に見つからない。

最終的には受け入れ先は見つかったのですが…

 

それにしても私たちは神様抜きで考えていると、どうしてもこの他人事ではなくなってきたことに恐れをなす。

 

しかし、昨日の投稿(1つ↓)でみたように、神様の前に他の神々はたち仰せないのです。何もすることはできない。どんな問題も。

 

聖書にはこのようにあります。

「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

 

「キリストはあなたがたに対して弱くはなく、あなたがたの間にあって強い方です。確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。」

 

私たちは空っぽでも、弱くてもいい、神様の力があなたを多い、生かしてくださる。強めてくださる。イエス様があなたと共に生き、あなたを導かれる。今日、このイエス様からはなれず、イエス様にあって家族とされた恵みに感謝し、歩もう。