ーミルク!ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。なぜなら、聖書にこうあるからです。『見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。』」

Ⅰペテロの手紙2章1-6節

 

赤ん坊は、乳を必要とする。母乳、母乳が厳しくとも粉ミルク。でもある時が来ると卒業する。いつまでもそれだけを飲んでいるとどうにもならなくなるから。しかし、この乳にすべてがあった。ある。不思議と赤ちゃんは本能的にわかる、神様が教えてくださっているのか。私達は神様をこれほどまでに必要としているだろうか?もう信じたから、もう問題解決したからいい、などとなっていないだろうか。私達は生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求め続けよう。私たちは神様から卒業しなければいけない、なんてことは決してない。この神様があなたを養い導かれる。神様から離れず、歩もう。命の道を。

 

さて、↑の手紙は紀元1世紀、イエス様の12弟子の一人、ペテロが書き残した手紙です。彼はよく強がり、失敗し、でもイエス様にあって引き上げられる、その繰り返しだった。ある時は水の上を歩いてくるように命じてください、と言いながら、命じられると、嵐を恐れて沈んだり。まあ、彼はADHDだった、という説もある。でもそう考えると神様はどんな時も神様は私達を愛し、導かれる。なんと感謝なことだろう。

 

特に彼はイエス様が十字架にかかる直前裁判にかけられる時、イエス様と一緒にいただろう、と周りの人から言われた時3回否定した。3回目に至っては呪いを込めて知らない、と否定した。そんな彼。しかし復活されたイエス様は彼をさばくのではなく、むしろそんな彼を導くため、彼のもとに現れ悔い改めに導かれた。

 

それまでは周りを恐れていた彼は大胆に御言葉を語るようになった。彼はいつも祈っていた。それはどんな仕事をしているときであっても変わらなかった。賛美をしていた、牢に捕らえられても。彼はいつも神様を求めていた。彼は赦されたからもういい、私は12弟子だったし今更、御言葉は、祈りは、賛美は必要ない、などとは決して思わなかった。それこそ、まさに彼の↑の手紙に現れている。彼もその後多くの迫害を受け、逆さ十字架で最後は殉教したそうですが。彼は最後までもうイエス様を否むことはなかった。

 

彼の時代は特に迫害、ローマ帝国による圧政がひどかった。クリスチャンと告白するということはもう、死ぬことを意味していたほどだった。そんな中にあってペテロはこう語る。「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」と。

 

ちなみに神様は全能の神様、と表現されることがありますが、この全能というのは、お母さんの乳房という意味があるそうです。そこにすべてがある、生きるすべてが。神様が与えてくださる。私たちは神様に抱かれ、必要を受けられる、が、これをいらない、とはねのければ飲むことはできませんよね。まあ本物の赤ちゃんはいつかは母乳を卒業しますが、本物のミルク、全能の神様から私たちは卒業してはいけない。

 

ペテロは12弟子で3年半一緒にくっついて回っていたから別に御言葉はいい、とは思わず、いつも神様を求めていた。ここにこそ命があることを知っていたからです。どんな迫害化にあろうとも、神様が最善へと導かれる。たとえ殉教しようとも、福音は、その蒔かれた種は神様がなお水を注がれ続ける。すべてを成し遂げてくださるのは神様。自分であれこれ頑張りたい気持ちはわかる、でも、私たちは神様に委ねよう。神様が成し遂げてくださる。

 

だから、私達はイエス様にくっついて歩み続けよう。イエス様はあなたのために命さえ惜しまず、十字架にまで架かられた、あなたの罪を身代わりに背負われ、罰せられ、死なれた。しかし、3日目によみがえられたことによって、あなたの罪を赦され、同じ復活の恵みに預からせてくださり、神様の子・家族としてあなたを招かれる。そこには尽きることのないミルク、御言葉の乳、いのちが備えられている。

 

ペテロは言う。「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。主のもとに来なさい」。知っている。だから、余計に味わうべく行こう、と。イエス様があなたという霊の家、復活のイエス様の住まわれる家、聖霊様の宮を築いてくださる。このイエス様があなたを失望させることはない。失望した、だからあれに頼ろう、これに頼ろう、ではなく、ここにすべてがある、ミルク、御言葉の乳に生かされ、歩もう。神様は語られる方。あなたを導かれる方なのですから。

 

「ああ、神様。あなたの御言葉のミルクをください。あなたの大きな愛で、僕達を育ててください。」(MILK)より。