雨が降っているのに喜ぶということは、ときにむずかしいことです。人は苦しみを喜ぶことができるでしょうか。喜びも苦しみも共に人生の悲しい障害になります。喜びや悲しみのゆえに、しばしば折り合いがつきません。晴れた空と苦しみのない身体を望まない人がいるでしょうか。しかし、いつも太陽の輝くところに住んでいる人は、しばらくの間、曇りの日があればいいなと思うものです。この地上に、雲に覆われた日があればこそ、天国の喜びは大きくなるものです。
春がいつまでも続く生活には、涙でびしょぬれになることもしばしありますが、そこには魂の潤う園があります。それは、自分で悲しみを知った「悲しみの人」に最も近い生活であり、そこには喜びと平和の花が咲くでしょう。もし、そのお方の喜びが私たちのうちにあるならば、私たちの喜びは満ちあふれます。
その魂は潤う園のようになり、彼らは重ねて憂えることがない。(エレミヤ書31:12/口語訳)
「荒野の泉Ⅱ」 カウマン夫人著より
私たちの人生は誰のものだろう?
私達は神様によってつくられ、しかも御子イエス様はあなたを救うために十字架に身代わりに罰せられた。底までしてまであなたを愛し、取り戻そうとされた。その愛によって新しくされたなら、それがどれだけ恵みに満ち溢れたものとなるのか。誰があなたを生かしているのか、今日もう一度思い出そう。
