ー神様の本気の愛に応えてー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はいっせいにエルサレムに集まって来た。そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえをささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築いた。彼らは回りの国々の民を恐れていたので、祭壇をもとの所に設けた。彼らはその上で主に全焼のいけにえ、すなわち、朝ごと夕ごとの全焼のいけにえをささげた。彼らは、書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のいけにえをささげた。その後、常供の全焼のいけにえと、新月の祭りのいけにえと、主の例祭のすべての聖なるささげ物、それからめいめいが喜んで進んでささげるささげ物を主にささげた。彼らは第七の月の第一日から全焼のいけにえを主にささげ始めたが、主の神殿の礎はまだ据えられていなかった。…彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いた翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、その他の兄弟たちの祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、主の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて工事を始めた。こうして、ユダヤ人ヨシュアと、その子、その兄弟たち、カデミエルと、その子たちは、一致して立ち、神の宮の工事をする者を指揮した。レビ人ヘナダデの一族と、その子、その兄弟たちもそうした。建築師たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、『主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに』と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。そのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた。」

エズラ記3章1-13節

 

神様は、私たちと和解を果たすために御子イエス様を、私たちの罪の身代わりとし、十字架に架け死なせる程にあなたを愛されている。神様は私たちとリアルな関係を結ぶために、御子イエス様のいのちを私たちのために身代わりとされた。私たちはこの神様のリアルな愛の中、歩もう。

 

さて、↑は紀元前。バビロン捕囚から解放されたイスラエルの民が一番最初にした記録です。そもそもの話になりますが、もともとイスラエル王国が建国したのだって、エジプトの奴隷から神様の憐みによって救い出され、神様がかつて彼らの先祖に与えると誓われた地に導かれたその恵みのゆえに建てられた国だった。そしてこの神様が彼らに対し責任を持ち、守り導いてこられていた。

 

しかし王たちはだんだん高慢となり、神などいらない、私こそが王だ、神など信じたって何になると、神様を捨て離れ、好き勝手に生き、神様の祝福が離れて行った、というよりも神様を彼ら自身が捨てたわけですが。神様が守られ祝福されていたからこそ、本当の意味で国は輝き、諸外国の王たちさえ尊敬するほどにその栄光は輝いていた。

 

神様は彼らに最高のものを与え、いつでも養い導いてきたのに、彼らは神様を捨てた結果、捕囚されていった。神様は何度もその御手を伸ばされ、預言者を遣わし、守り導いてこられたのに、その愛を注がれ続けていたのに、最後まで拒否し続けたイスラエルはついにバビロンに捕囚されていくのでした。神様はリアルな愛を注いでいたのに、それを拒否したのですからある意味では必然だったのかもしれない。

 

ふと考えてみますと、赤ちゃんが、これは私の望むものではない、とお母さんやお父さんの養いを拒否し、生きることができるだろうか?私たちは成人だから赤ちゃんと一緒にしないでしょいい?でも、私たちは誰かに支えられ、生きている、1人でなど決して生きてはいけない。何より、すべての供給源である神様を離れてなど生きられないのです。

 

結果としてイスラエルはバビロンに捕囚されていった。それでも神様は彼らを見捨てられず、捕囚地にあってもその国の高官に助け人を置いたり、預言者を置くなどしながら神様は彼らを養い続け、70年たち、捕囚前に約束されていた通、彼らを解放させたのでした。神様を捨てたのに、でもそれでも、神様はご自分の愛する民、子を見捨てる事などできなかったのです。

 

その愛を受けて、捕囚地から帰ったイスラエルの民が一番最初にした事は、祭壇を築く事でした。↑を見る限り、神殿を建て始めるよりも前に、まず祭壇を築きいけにえを下げて行きました。祭壇は神様と出会う場所であり交流の場所です。祭壇を彼らが築いた、ということは、彼らは自分たちイスラエルのかつての象徴だった神殿再建よりも、まず、神様との交流を求めたのです。

 

私たちは確かに自分の手で自らを着飾ることはできます。しかし、神様はご自身の愛で、いのちで、何より神様の息吹であなたを生かしたい、着飾られるのです。人が造られたときも、神様が息吹を吹き込まれたときはじめて、「人は生きたものとなった」のです。どんなに神殿が、自分たちの誇りで自分を建て上げても、神様の息吹・いのち・霊があなたのうちに住まわなければ本当の意味ではいのちある者にはならない。

 

神様との交流が彼らの内に溢れたからこそ、まだ神殿が回復するより前に、まだ完全な回復の姿を見てない未来を夢見、神様がこれから成されることに期待し喜びの声を上げるのでした。一方で、自分たちの罪ゆえにかつての神殿の栄光ある姿を失ったことを、自分たちの罪を悲しんだ者たちもまたいた。だからこそ、彼らは神様のいのちを求めた。神様のいのちを求める必要があったのです。

 

彼らは進んで生贄をささげて行きました。別に、国に帰って来たんだし、どうするかは自由。でも、彼らは進んで、神様の愛、養いを願い求め近づいた。神様の方法を、神様ご自身を求めた。その彼らを神様は喜び受け入れて喜びに包んでくださった、喜びの声を上げるほどにその心にいのちの灯を灯してくださったのです。

 

私たちは神様を捨てた。神様のくださるものなど何の役にたとうか、と切り捨て離れてきた。自分のプライドや好きなもので自分という神殿を着飾って来た。しかし、神様から離れてなど私たちは生きられない。そして世に裏切られ、サタンに、罪に縛られ死にゆく者となってしまった。しかし憐み深い神様は私たちを見捨てることができず、私たちのこの死にゆくからだを、罪の代価をイエス様に負わせ、十字架に身代りに架け、死なせ葬られた。

 

しかし、3日目によみがえられたことによって、私たちと神様を和解させていただき、この十字架という祭壇に近づくあなたに復活のいのち・いのちの灯をあなたの内に灯してくださるのです。復活のイエス様があなたの内に住まわれ、聖霊様の灯があなたを喜びに包み、養われ導かれる。神様の愛があなたを覆い、着飾り生かしてくださる。あなたの哀しみを喜びの声に変えて下さる。

 

今日、自分が神様から離れているなら、これを悲しみ、十字架の祭壇に帰ろう。すでにあなたにいのちの灯を灯すために神様がまずその愛を十字架に示された。今度はあなたが応答する番です。今日、神様の本気の愛に本気のいけにえ、あなた自身を献げに行こう。主があなたを喜びで満たそうと、養おうと待っておられる。