ー神様が忘れるはずがないー | 子育て休職中牧師の聖書のおはなし
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子育て休職中牧師の聖書のおはなし

東京で牧師をしておりましたが、子育てのため一時的に北海道に移住しました。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られた神様からのラブレター・聖書から少しずつ分かち合わせていただきますね(*^_^*)

「ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」

イザヤ書4421-22

 

神様は私たちを忘れるはずがない。私たちが勝手に神様に対して疑心暗鬼になっているだけで、侮っているだけで、神様は私たちを愛するがゆえに、その愛するあなたを忘れない、覚えておられる。この素晴らしい恵みを私たちは忘れてはいけない。

 

さて、↑のことばは預言者イザヤという人を通して神様が民に語られたことばです。このイスラエルの民は最大の危機にこの時代、瀕していました。というのも、アッシリヤ帝国にバビロン帝国の台頭。彼らは彼らに苦しめられていた。というよりも、神様を侮り、神様が自分たちを守り導いてくださっているのに、いや他の神(偽神)の方が私の役に立つだろうと、他の国々の存在もしない偶像、神を求め、また思想を求めていた。自分のしてほしいことをしない神様など神ではない、と。そういう意味では、勝手に神様から離れて行ったのですから、今の状態は自分のまいた種の結果と言えば結果。

 

じゃあ神様は彼らが苦しむのを黙って見ておられたのか?といたらそうではなかった。神様はいつでも彼らにその愛を示し、救いの機会を示されていた。時にはイザヤのような預言者を通して、神様がどれだけ彼らを愛しているのかを語り、また別な預言者を通して以下に歩むべきか、また奇跡を行い、また具体的に神様から引き離そうとするサタンから、悪の王から、また敵国から神様は守っておられた。

 

そう、↑の神様の言葉は、ある時突然出たことではない、神様は最初から彼らを、あなたを愛しておられるのです。イザヤを通して神様はこうおっしゃられた。「わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない」。

 

神様が私たちを造られたのです。だから、あなたを忘れないというのです。しもべ、ということばに引っかかるかもしれませんが、しもべはそばに置かれます。そして当時のイスラエルを考えるなら、しもべは奴隷のようにこき使う、今の時代のイメージとは全然違う、ちゃんと家族の一人のように考え、そのしもべに悪意を持って何かをすれば罰する事をちゃんと神様は教えています。

 

その神様が、傍に置かれる、罪人であるにもかかわらず、それでもあなたをそばにいさせたい、御側におらせ、共に養いたいというのです。何より、そのような罪人である私たちを忘れてなどいない、何という恵みなのだろう。もう無下に捨てられてもおかしくないのに。だから神様はいつでもその御手を伸ばされていた。

 

しかし民は残念ながら最後まで神様に逆らい、その手を振りほどき続け、対にその罪の報酬として北イスラエルはアッシリヤに、南ユダはバビロンに捕囚されるのでした。いや、この預言が語られるのは捕囚よりも前。神様は愛するがゆえに警告をしていた、でも民は神様が与えて下さるすばらしい恵みよりも、自分の思うがままに生きること、自分の欲望に応える神・偽神を求め続けるのでした。傀儡神と言った方が良いか?

 

そんな絶望下にある、危機にある彼らに神様は見捨てていないことを上で語るのでした。ちなみに↑の続きでは、必ずバビロンを打ち倒す王が現れる事を約束されたのでした。具体的にはペルシャ帝国になりますね。そのクロス王を必ず立て、あなたがたを救う、と。事実クロスは後にイスラエルを解放したわけです。神様はそのように罪を犯した彼らさえなお憐れまれ、忘れなかったのでした。

 

彼らは根本的に神様を侮り、神様に対して疑心暗鬼になり、神様がどれだけ良いことをなしてくださったか、今暗闇の中にあっても共におられ成してくださるのかを信じず、自分の傀儡神を求めた。でもこれ、私たち他人事のように見がちですがそうではない、私たちもそうなっていないだろうか?本当に陥る話。

 

でも、もう一度↑の神様の言葉をみてほしいのです。「わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない」。神様がその手で造られたあなたに対して責任を持っておられる、親としてあなたを忘れたことがない、というのです。あなたを忘れた日など神様はない。私たちが勝手に神様の愛を疑い疑心暗鬼になっているだけで神様はいつでもその御手を伸ばされているのです。イスラエルの民にそうであったように。

 

しかし、それでも罪を犯し神様から離れ続ける神様は私たちを忘れ見捨てる事をせず、つには、↑に「贖った」とありますが、御子イエス様を私たちの内に遣わされ、私たちに神様の愛を存分に示され、彼らの具体的な必要に答えて行かれた。そして最後は、私たちの最も必要な罪の赦し、刑罰・死・永遠の裁きからの解放のため、御子イエス様が身代わりに十字架に架かられ、身代わりに罰せられ、死なれたことによって、御子イエス様のいのちによって私たちは神様の子ども・家族へと買い戻されたのです。イエス様が死んで捨て置かれずに、よみがえらせられたように、私たちをも死したままに放置せず、イエス様をあなたの罪の身代わりとなられた救い主として信じ受け入れる人にはこの復活の恵み、永遠のいのちに与らせていただけるのです。バビロンから解放されたイスラエルのごとく、私たちは罪の縄目、サタンから、永遠の裁きから解放されるのです。

 

そこまでされた神様がどうしてあなたを忘れる事などあるだろうか?あなたを忘れず、罪人である私たちを見捨てず、あなたを救うために御子イエス様のいのちさえ差し出された、この神様の深い愛を前にどうして神様を疑い侮り疑心暗鬼でなどいられるだろう?御子イエス様のいのちを持ってまで買い戻されたのがあなたなんですよ?私たちはもっと神様に信頼し歩もう。復活のイエス様はあなたの内に住まわれ、あなたの内にその恵みを、御心を現し導いてくださる。よみがえって終わり、後は好きに生きれば?天国に行ったらまた色々恵むからそれまでは我慢してね、ではなく、あなたの内に住まわれ世の終わりまであなたと共におられる、と約束されたのです。十字架の贖いゆえに。イエス様も今や私たちを僕とは呼ばずに友と、十字架ゆえに呼ぶと宣言された。

 

「わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない」あなたは今日この神様の呼びかけ、愛の宣言の前に、十字架に現された神様の愛にどう応答しますか?まだ永遠の捕囚、裁きの日は来ていない。遅すぎる日が来る前に私たちは神様の前に立ち帰り、この恵みを得、この恵みの中歩もうではありませんか。