「ヨブは主に答えて言った。あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。さあ聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。…ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増された。こうして彼のすべての兄弟、すべての姉妹、それに以前のすべての知人は、彼のところに来て、彼の家で彼とともに食事をした。そして彼をいたわり、主が彼の上にもたらしたすべてのわざわいについて、彼を慰めた。彼らはめいめい一ケシタと金の輪一つずつを彼に与えた。」
ヨブ記42章1-11節
私たちは人生様々な事に振り回され、右往左往する。納得できない事もある。この問題はこの人に、この問題はあの本に書いてある通りに、これは…と神様ではない何かに答えを求めに行く。でも結局のところ、私たちは神様を信じるしかない。いや神様に全てがあるからこそ、私たちは神様に信頼する。結局神様なんです。
さて、↑の話はヨブという人の話の結末部分。ヨブという人はどんな人かというと、結構な富豪だったのですが、その所有の家畜が奪われ、召し使いたちが殺され、次々と失っていき、ついには息子さんや娘さんが倒壊した家によって死んでしまった。さらに自分の体までサタンに打たれて疫病のような状態になり、もうどうにもならなくなった。
それでも神様により頼もうとしていましたが、3人の友人たちの不適当なアドバイスと攻めの中でついに神様に対して不平不満を持ち始めた。なんで、なんで、と。最初はそれでも神様を崇めよう、と言っていたのに。神様と討論したい、自分がいかに正しいのかを申し上げたい、と。
まあ、正直な話、ヨブさんの今簡単にまとめた不幸な出来事はサタンの策略の中で受けたものではあるのですが、なんで?どうして自分にこんな不幸が起こるのかわからない、理解できない、主よどうしてですか?そう思う気持ちは、恐らく人間なら誰しも持つのではないでしょうか?自分の財産、召し使い、家族が全部一気に死んで、自分もわけもわからず病にさらされたりしたら、慰めに来たはずの友人たちにおまえが悪いと責め立てられた日には…
じゃあ神様はヨブの問題に何も答えなかったのか?そうではなかった。実はこの直前、神様は、神様と討論して自分の正しさを立証しようとしていた彼の前に現れ、語りかけてくださった。それは結構厳しい内容もあります。何で神様、そんな大変な中にいるヨブにそんなきついことを言うの?という内容も。
神様は私たちの目から見たらすごく厳しい語りかけをしているように見えたのですが、実はその中身を見て行くと、神様が創造された物を見せたり、神様ご自身が何者なのかを示しながら、この天地万物を造った神様を示しながら、わたしがあなたとともにいる、他の友人たちが何と言おうが、あなたが今何かを失っていても、あなたと神様が共にいるんだ、わたしを見なさい、と神様ご自身が語られる中で示されたのです。何にも神様は語らないと思うけど神様は全てをお見せになり、また与えられたのです。
あの分野はこの人に、この問題はあの本にある内容で、これは神様は解決してくれないだろう、と右往左往するのではなく、神様ご自身のうちに全てがあるから、神様ご自身に目を留めるように、と。その神様が、彼にいのちを与えた神様が、彼を愛し目を留めておられるから。神様はヨブになぜこんな事があったのか、については応えられなかったが、結局のところ神様に全てがある事、神様は見捨てていないことをまさに示されたのです。ここに目を留めるように、と。
ヨブは、神様のその厳しい言葉の中にも示された愛に、↑にあるように「あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました」と応答しました。これ、本当に忘れてはいけない。結局のところ、知恵も知識も神様のところにある。私たちの問題の慰めも、解決も、何もかも、神様のところにあるのです。
私たちは神様以外にこれを求めて行く。これはアダムとエヴァに始まり、古今東西変わらない事。そうして私たちは神様から離れ、暗闇の中をさまよう。サタンの手の中に私たちは堕ちいり、サタンは3人の友人のように私たちを振り回す。お前が悪い、あれが悪かったんだ、ないし神は何も答えないじゃないか、と。そして神様は何も自分に良い物を与えていない、と神様を疑いはじめ神様を捨てる。でも、神様は果たしてあなたに何も良い物をくださらないだろうか?
神様がそれでもヨブをその暗闇から引き出すために出会ってくださり、↑の後半を見ると、神様はちゃんと正しい慰め主も備えてくださっていた。神様は彼を回復させてくださり、神様と出会う前よりも2倍の祝福をくださったのです。彼が慰めを求め、希望を求めている中で神様は答えとなられたのです。
神様は、神様を知らずに、神様の素晴らしさを疑い離れる私たちに、ご自身の愛を示すために、御子イエス様を送られた。そして私たちを見捨てられないため、その失われてしまった関係を回復させるため、私たちの罪の代価を身代りに背負われた。御子イエス様が十字架に架かられ死なれた。そしてなお3日目によみがえられたことによって和解がなされ、神様の子とされた。神様ご自身のものとされたのです。和解の関係がここに成立したのです。神様ご自身が私たちの問題、重荷、罪、死の答えとなるべく、私たちの罪によって失われた形を取り戻すべく十字架によって和解をなさしめてくださったのです。
何にも備えない神様が御子イエス様のいのちをあなたのために差し出しますか?あなたを愛するからそこまでできるんですよ?復活のイエス様があなたの内に住まわれ、家族となられ、あなたの内に神様を知らずに歩んでいた、失われた物を取り戻され、いのちで満たしてくださるのです。
私たちは疑うけど、結局のところ神様により頼み歩む、ここに全てが帰結する。神様はこの御子イエス様のいのちによって和解されたこの関係において、あなたに全てを備えて下さり、応えとなってくださるのです。
今日、私たちは主に帰ろう。これが全てです。結局神様なんです。この和解された関係の中、御子イエス様があなたの内に働かれる新しいいのちの内を喜び歩もう。この方の声に聴き、信頼し歩もう。神様は、私たちの想像をはるかに超える方。私たちの枠に納め切れる方ではない。神様の大いなる御業、愛に期待し、より頼み歩もう。神様は御子イエス様にあって大いなる不思議をあなたの内に成し遂げて下さる。
