メアリー&マックス | ヤンジージャンプ・フェスティバル

ヤンジージャンプ・フェスティバル

基本はシュミ日記です。
…遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん…
  

ああ、せっかくの平日休みが終わってしまう・・・。
・・・というわけで、最後まで休日を楽しみつくそうと、夜は映画館で、こちらの作品を鑑賞。

平日とはいえ、今日はレディース・デイ。
客席はそこそこの埋まり具合。


ああ。
ここにいる方の大半は、昼間仕事したり、勉強したりしてたんだろうなぁ・・・と、ちょっぴり負い目、ちょっぴり優越感を感じつつ・・・・・。


まずはあらすじをご紹介。


【あらすじ】
前作「ハーヴィー・クランペット」でアカデミー短編アニメ賞に輝いたオーストラリア人監督アダム・エリオットが、20年来の文通相手というニューヨークに暮らすアスペスガー症候群の男性との交流を基に紡ぎ上げた珠玉のクレイ・アニメーション。ともに孤独を抱えたオーストラリアの少女とニューヨークの中年男性との間で始まった手紙のやり取りを通じて、互いに紆余曲折を経ながら強い絆で結ばれていくさまと、それぞれの20年に及ぶ悲喜こもごもの人生模様を、ブラックユーモアを織り交ぜつつ切なくも優しい眼差しで綴る。声の出演は「シックス・センス」のトニ・コレットと「カポーティ」のフィリップ・シーモア・ホフマン。
 オーストラリアのメルボルンに住む8歳の少女メアリー。友だちのいない彼女は、アメリカの見知らぬ誰かに手紙を書こうと思い立ち、分厚い電話帳から変わった名前のマックス・ホロウィッツさんを選び出す。当のマックスは大都会ニューヨークに暮らす肥満体の中年男。他人とのコミュニケーションが苦手で孤独な日々を送っていた。そんなある日、オーストラリアの少女メアリーが出した手紙が届く。これに対しマックスはタイプライターで丁寧な返信を綴る。こうして、2人の20年以上も続く文通による交流が幕を開けるのだが…。

allcinema onllineより)


うひゃあ。
変な映画だったーw


主人公の少女メアリーは、オーストラリア人。
自分の容姿に過剰なコンプレックスを抱いていて、学校に行っても友達はいないし、イジメに遭っているし・・・という悲惨な生活。

家に帰っても、状況はちっともよくならず・・・。
母親は重度のアルコール依存症で、まともに家事もできないし、盗癖もあるし・・・更にはメアリーを虐待までしている様子・・・。

そんな、悲惨なメアリーの人生。
唯一安らげる時間は、大好きなチョコレートを食べながら、大好きなアニメ番組を観ている時のみ。



ところがある日。
メアリーは、ふとしたきっかけでアメリカに住んでいる、男の人と文通を始めます。

まだ見ぬ友人との文通をきっかけに、メアリーはようやく自分の心を打ち明けることのできる存在を手に入れる・・・のですが・・・・。


この文通相手というのが、過食症気味でアスペルガー症候群の中年男という設定。

そんなわけで、この作品。
登場人物全員が、ココロに大きなやみを抱えている・・・という作品。



ストーリー自体は、孤独を抱える男と女が、会ったことのない相手との文通を通じて、心を通わせていく・・・という、ありふれた内容。
でも、この作品はそんなありふれたストーリーにはならず・・・。

二人のココロのやみが、あまりにも深く、大きいがゆえに、ココロを通わせていくほど、お互いに傷つけあいボロボロになっていく・・・というジレンマ。
観ているこちらが胸をかきむしりたくなってしまうほどのツラく、哀しい展開に・・・。


しかしながら、作品ラスト。
二人が辿りついた結末の何とも清々しいことよ・・・。
決してハッピーエンディングではないけれど、あの瞬間に、二人はようやく本当の友達になることができたんだろうな・・・と、そんな気がいたしました。


そんなわけで・・・
登場人物がちょっと変わった人物設定ゆえに、ちょっぴり取っ付きづらくて、かなり判りにくい作品ではありますが、この二人の感じている孤独感には、おそらくシンパシーを抱ける人も多いはず・・・。

何年かに一度、ふいに観たくなってしまうような・・・。
そんな不思議な魅力をもった、奇妙な味わいのある作品でした。